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本日のバスツァーの最後の参観は教林坊である。
西国32番札所の観音正寺の子院のうち、唯一現存する坊である。
駐車場でバスを降りてから、細い山道をくねくねと登ってゆく。
子供の頃、よく見た田舎の原風景にめぐり合った感がした(写真)。

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狭い書院に通され、ここで住職より坊の由来、庭園の説明を受ける。
見所は小堀遠州作庭といわれる池泉式回遊庭園であろう。
急勾配の斜面と小さ目の池に、多くの岩石を配した桃山様式で、不老不死の蓬莱庭園である(写真)。
その中心は聖徳太子が岩の上で説法をしたと伝わる説法岩。
枯れ滝、鶴島、亀島が説法岩を向いているのに、蛙岩は反対を向いているという説明が面白い。
この庭園は古墳を利用しているが、少し小堀作庭にしては小さい庭園である。

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教林坊は605年、聖徳太子によって創建された。
寺名の「教林」は、太子が林の中で教えを説かれたことに由来し、「太子の説法岩」とご本尊を祀る霊窟がある。
このご本尊の石仏は、村娘の難産を帝王切開によって助けたという安産守護の伝説があり、その時かたわらの小川が血で赤く染まったので「赤川観音」と呼ばれる。(写真)
また二度詣りによる心願成就という信仰が伝わる。

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これまた面白いのは本堂の中に安置されている釈迦如来像の後はガラス張りになっており、ちょうど本尊の霊窟を拝めるように作ってある(写真)。
本尊の後がガラス張りになっている例はあまり無いのではないだろうか。

ここから一路、米原駅にとバスは向かうが、日曜日にして花見の季節でもあり彦根市内は大変な渋滞であった。
どうにか17時10分に米原駅に到着。

我々の乗る新幹線まで時間が40分ばかりあるので、Kさんの案内により、米原駅から徒歩5分あまりのところにある青岸寺の庭園を訪ねることにした。
青岸寺に着いた時、閉門の17時を20分過ぎていたが、住職さんの親切な計らいで庭園を見学することができた。

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青岸寺は山号を吸湖山、曹洞宗の寺院で、創建は室町時代初期。
ここの庭園は1678年に、彦根の楽々園の作者である香取氏が作庭。
中央奥に三尊石を配し補陀落山の世界を表現した築山林泉式枯山水庭園である。
一見して、この庭園の持つ豪壮さ、深さに感動しその魅力に取り付かれた。
イワヒバの群生も珍しいが、石をふんだんに取り入れ、中央には一度見たら忘れないような印象に残る蓬莱島が配してある(写真)。
亀石の上に左向きの鶴が石で表現されている。

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左手には書院「六湛庵」がその優雅な佇まいとともに庭園の中に溶け込んでいる(写真)。
写真の左端に立つのは和様折衷の織部燈篭。
庭園は水を表現するのに普通は白砂を用いているが、ここでは杉苔を配して、その岩との対比がまた美しい。
雨が降ると、水の中に緑の杉苔が映えて一段と趣きが増すとのことである。
是非、雨の日にもう一度訪ねてみたい。

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それにしても石組みの数が多い。それも見える石の三倍の石が埋められているという。
庭園の右にはヤマツツジが彩りを添えていた(写真)。

時間が迫ってきたので急ぎ米原駅に戻った。
米原駅の至近距離にこんな素晴らしい庭園を持つ寺院があるとは知らなかった。
いつも待ち時間の調整に苦労する米原ではあるが、ここで四季折々の庭園風景を楽しむことができることを知った。
新幹線社内で缶ビールを一本飲んだだけで、疲れと満足感でメロメロ状態。
珍しく寄り道をせず自宅にご帰還。