昼食は水口市内の地ビール醸造をしている「寿賀蔵」という、お目出度い名前のレストランで、素朴な幕の内弁当を頂く。

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午後、最初に訪ねたのは東近江市の石塔寺である。
山号はこの寺ゆかりの阿育王山、天台宗の寺院。
聖徳太子が仏法興隆のため近江に四十八の寺院建立を祈願され、この石塔寺はその満願のお寺で、もとの名を本願成就寺という、まことに由緒正しい寺院である。
写真は石段とその左には石仏が並ぶ。

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この石段の下、右手に木造本堂が建っていた。
新しい本堂前には、池があり草花、樹木を配した美しい庭になっていた(写真)。


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石段は170余段あり、上り詰めるとお堂などは一切無く、異様な風景が目に飛び込んできた。
真ん中にひときわ高く石造三重塔の阿育王塔があり、周囲を数万の石塔、五輪塔が取り巻き他には何も無い(写真)。
青空にすっくと立つ珍しい石塔が見るものを圧倒し、一種異様に異次元の世界に迷い込んだような錯覚さえ受けた。
奈良時代前期に造られた仏舎利の一つで、石造三重塔としては日本最大最古のもので、重文指定されている。

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その東側には、やはり重文指定の石造宝塔がある。
1302年に造られ、円筒形の塔身に宝形造の屋根が付いている。
また石造五輪塔(重文)が二基並んでおり、各々1304年、1349年に造られたもの。
しかしいずれも石造三重塔の大きさと、無数の石仏の中に埋没して、あまり目立たない。
写真は左に宝塔、右に五輪塔が二基並ぶ。

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寺伝によると、釈迦入滅後100年、阿育大王がインドを治めたときに、8万4000の塔婆を作り、それを仏舎利に納めて三千世界に撒いた。その一つとして発見されたのが当三重塔であるとのこと。
鎌倉時代以降、自分の極楽往生や先祖供養のため、この石造三重塔の周りに五輪塔や石仏を奉納する人が絶えず、現在のような数万体がひしめく異様な光景になったという。
写真はその一部分。
「こけむして あはれぞ深き石塔寺 ほとけの誓ひ 世々にくちねば」