去る5日の日曜日、JR東海ツァー「近江かくれ里に導かれて」のツァーに、いつもの老三人組で参加した。
副題に「白洲正子が愛した地をめぐる」とあるように、彼女の随筆や小説の中に出てくる、彼女がこよなく愛した寺社・史跡をめぐる旅である。
今、白洲次郎・正子が一種のブームのようであり、参加者は女性軍が圧倒的に多く、いつものツァーよりも上品そう、かつ少しだが年齢が若い層の参加が多く、珍しく夫婦づれが少かった。
とはいっても我々三人組は白洲正子に惹かれて参加したのではない。
とりわけ私は白洲正子の特権階級独特の自意識が好きになれない。

今回の行程は、新幹線米原駅よりバスで、油日神社、櫟野寺、石塔寺、太郎坊宮、教林坊を巡るといった、めったに廻れないコース設定になっている。
それも日帰りコースであるから、ツァー以外ではこのスケジュールは不可能であろう。

ただ新横浜発の新幹線が6時46分と早かったせいもあり、寝不足でかなり疲れる旅であった。
しかしそれでも帰りの時間に間に合わせるため、各々の拝観時間は40分程度しかなく、いささか消化不良気味であったが、バスの米原着が17時10分で、名古屋方面へ帰る人の新幹線にギリギリとなった。
我々老三人組は米原での待ち時間40分を有効に使い、疲れをものともせず、駅近くにある青岸寺の素晴らしい庭園をも拝観してきた。
今回はいわゆる観光コースからは外れた、素朴な寺社を心ゆくまで堪能でき、思い出に残る旅であったことに感謝、感謝!

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米原から甲賀市の外れにある油日神社まで約1時間であった。
油日神社は祭神が油日神で、油の火の神として古来より庶民の信仰が厚い。
東相殿には罔象女神、西相殿には猿田彦神を祀る。
写真は木造鳥居前から参道、さらには奥の楼門を望む。

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楼門、回廊(写真)は1566年の建造であり、重文指定。
広大な神域を持ち、老樹、大木が密生するなか、堂々とした構えの伽藍群である。


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私が興味を持ったのは回廊で、その内側は広い板床を持つのが特徴(写真)。
残念だったのはこの日が日曜日にあたり、神社から誰も説明をされる方がいなかったことである。
当初から日曜日に来ることは予定されていたので、事前連絡を怠った添乗員のミスではなかろうか。

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拝殿は桃山時代の建立で、桁行三間の四面に格子戸をたてて縁を廻らした極めて開放的な造りで、軽やか伸びやかな造りが印象的(写真)。これも重文指定。
さらに写真の左に見える大木は高野槇で、高さ35m、樹齢750年とのこと。

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本殿(写真)は1493年の建立で、正面3間、奥行2間、内陣に庇を付けさらに向拝を付けた流造で、重文指定されている。
この神社は聖徳太子の創建とも伝わり、877年の「三代実録」にも名前が見えるという古社。
見ごたえ充分の社殿であるが、何しろ交通の便が悪く、もう二度と来れないかもしれない。
なお五年に一度の祭礼「奴振り」がある。

続いては櫟野寺を訪ねる。