ようやく南宗寺にやってきた。堺の寺院ではもっとも格式のある寺院ではなかろうか。
境内も結構広く、現在の総門は北側に位置している。
伽藍のうち、甘露門(山門)、唐門、仏殿は重文指定されている。
これらを一応見て廻ったあと、400円の拝観料を払って境内を細かく廻ることができた。
写真はどこでも自由に写して結構との、おおらかさが気に入ったが、帰りに声をかけてみたが誰もいらっしゃらない。寺院での盗難が多い昨今のご時世、少し心配にもなってきた。
結局、拝観者は私一人であった。

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南宗寺は山号を龍興山、臨済宗大徳寺派の寺院である。
重文指定の山門に当たる甘露門(写真)は、境内の中にポツンと建っており、保存されているのであろう。1647年の建立で、どっしりとした中に、優美さも感じさせる良い相を持つ門である。

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続いて樹木や花の咲く境内を歩いてゆくと、唐門(写真)が建つ。
江戸時代初期の建立で、小ぶりながら唐門独特の華やかさを持つ。


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さらに仏殿(写真)がどっしりと建っている。
1653年の建立で、本尊は釈迦牟尼仏で文殊、普賢菩薩が脇侍。
天井には八方睨みの龍が描かれており、これらはいずれもじっくり拝観できた。


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拝観順路に従って一人でゆっくり廻る。
利休を中心に千家一門の墓や利休の師武野紹鷗の碑などもある。
面白いのは「伝説の徳川家康の墓」(写真)で、小さな卵形の無名碑のみ。
この場所には元、中興開山の沢庵和尚を祀る開山堂が建っていたが、その床下にあったのがこれで、家康の戦死埋葬碑の伝説がある。

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写真の座雲亭(写真)は、重層様式でここの庭園に良くマッチしている。
この寺では最古の建築物で、下層は三間四方、上層は一間四方で均整がとれて美しい。
内部には徳川秀忠、家光の御成りを記した板額が架かる。


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方丈と仏殿の間を繋ぐ回廊もなかなか絵になる(写真)。
この寺は1557年に三好長慶が現在の宿院の地に開創した。
大阪夏の陣で全焼したが、1617年に現在地に再建されたとのこと。


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方丈前には枯山水の石庭があり、国名勝に指定されている(写真)。
またこじんまりとした茶室「実相庵」と「曹渓の庭」もある。


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境内にはそれぞれ塔頭が三つある。
一つは徳泉庵で1648年の創建。
勅使門(写真)、本堂、庫裏などがあるが拝観謝絶の札が下がっていた。
門の外に稲荷社と地蔵堂もあった。

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さらに、天慶院、本源院が並んで建っていた。
本源院は1687年、薩摩藩の立願により建立された。
大きな本堂とのことだが中には入れない。
入口に石鳥居があるのは毘沙門天も合わせて祀っているからだろうか(写真)。

続いては阪堺線御陵前近くの船待神社に向かう。