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道を迷い迷いして上野芝町まで行ってしまい、そこから再び仁徳天皇陵を目指して北に向かって歩く。
まもなく大きな古墳が見えてきた。
「いたすけ古墳」(写真)であり、周囲は濠が廻らされ、古墳の前は小公園になっていた。
百舌鳥古墳群のほぼ中央にあり、全長146mの前方後円墳で五世紀中頃のもの。
破壊の危機の時、住民運動により保存された経緯を持つ。

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阪和線の踏み切りを渡ると、大きな大仙公園が広がっている。
その中を横切って目指す仁徳天皇陵を訪ねた。
大仙古墳が正式名なのであろうか、仁徳天皇陵は全長512m、面積46,4万㎡の広大なもので、日本一の大きな古墳で有名である(写真)。
三重の周濠に囲まれているが、広すぎてその一部分しか見渡せず、その大きさは実感できない。
一周するのに1時間かかるとのこと。

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仁徳天皇陵から真っ直ぐ北西に向かっている道を、海の方角に向けて歩き出す。
陵の近くに古い山門と本堂が見える寺院があるが、山門は堅く閉められており中には入れない(写真)。
朝日寺であり、山号は霊鵲山、日蓮宗の寺院。

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ただひたすら北西に向かって歩く。
陸橋を越えてから右折し、大安寺を訪ねた。
大安寺は山号を布金山、臨済宗東福寺派の寺院。
応永年間(1394~1428)の創建。
写真は木造山門。

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木造本堂は一部書院造になっており、豪商の屋敷を移築してきたものという。
写真は本堂の玄関部分。本堂は重文指定。


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呼び鈴を押すも、残念ながら留守の模様。
写真は庭園の一部が見えたので撮ったもの。この左手に書院風の本堂がある。
庭園には利休好みの虹の手水鉢もある。
また障壁画があり、狩野派の絵師による藤の絵が有名、重文指定されているとのこと。

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続いて南宗寺の境内に移転してきた渡会(かいえ)寺を訪ねる。
ただ拝観謝絶の札が下がり、中には入れなかった。
渡会寺は山号を宿松山、臨済宗東福寺派の寺院。
写真は木造山門で重文指定。

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1351年に乾峯士曇が開山。
最盛時は塔頭6院、300石の寺領を受けていたとのこと。
写真は門から覗いて撮ったもので、左の本堂と共に庫裏も重文。
拝観できないのが返す返すも残念。

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創建当時は、現在の宿院近くの開口神社の西門前にあったとのこと。
この後訪ねた、開口神社の西門入口には、「金龍水」と呼ばれる井戸が残っているだけであった(写真)。
この井戸は名水として名高く、豆腐作りに茶の湯にと大事に扱われてきた由来を持つ。

続いてはお目当ての南宗寺を訪ねた。