東寺の塔頭観智院を出て、バスで昼食会場の湯葉料理「湯葉に」へ。
一品づつ出してくれる丁寧さには感心するが、それぞれに量が少ないので間が持てない。
味はまずまずであった。

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バスに乗り、鳥羽の安楽寿院に。
ここには丁度一年前に訪ねたが寺院内には入れず、ただ外から眺めたのみであった。
この辺り一帯は広大な平安時代の鳥羽上皇の院政の舞台となった鳥羽離宮跡であり、安楽寿院前には鳥羽天皇、その子の近衛天皇の陵が隣接する。
鳥羽離宮跡の復元地図(写真、写りが悪く御免なさい)があり、当時は大きな小倉湖があり、そのほとりに建物、寺院が立ち並んでおり、安楽寿院はその東殿、絵図の一番右端あたりという。
また城南宮も鳥羽離宮の一部だったというからその広大さがわかる。

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木造山門を入ると書院玄関(写真)。
1137年に鳥羽上皇が華麗な御堂を建立したのが始まりで、寺領も32国63ヶ荘に及んだというが、いまではその面影はほとんどない。
また幕末の鳥羽伏見の戦いの折、官軍の本陣ともなった。

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まず書院で由緒などの説明を受ける。
壁に一枚の文書が表装され掲げてあったが、藤原定家の日記「明月記」の一部だという。
定家がこの地を訪ねた時の3日間を記した真筆とのこと(写真、これも写りが悪い)。
どうぞ写真を撮っても結構ですとのことなので撮るが、他の寺院では絶対に考えられないことである。
書院前には築山に刈り込みを配した江戸初期の枯山水庭園もある。

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続いて新しい宝物殿に安置されている、本尊阿弥陀如来坐像を拝観。
1139年に建立された三重塔(今はない)に安置されていたもの。
この阿弥陀様は87,6cmのスマートなお姿で、胸に卍が刻まれていることより「卍の阿弥陀」と呼ばれる珍しい像。
卍はお目出度い印であり、寄木造とのことで重文。
写真は拝観券に阿弥陀如来像の写真。
また「孔雀明王画像(重文)」などの寺宝が展示されていた。

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境内の一角に質素なお堂があり、釈迦三尊、阿弥陀三尊、薬師三尊の石像(写真)がある。
石質がもろいのと、削って飲むと病気平癒の効能あるためか、今ではぼろぼろで崩れかかっている。
真ん中の阿弥陀三尊像は国立京都博物館に安置されていて、写真のみ飾られていた。
なお宗派は真言宗智山派の寺院。
昨年のブログでも紹介したが、この鳥羽地区は城南宮も含め、見所いっぱいの京の穴場でもあり推奨。

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またバスに乗り、伏見稲荷大社に。
神楽殿、本殿にはお参りせず、すぐ右側にある約600坪の「松の下屋庭園」に入り、庭園を一周。
ところがこの庭園内がひどい混雑であり、また写真は一切厳禁とのこと。
東山を借景とする斜面に広がる回遊式庭園で大正時代の作庭。
写真は庭園内に建つ「お茶屋」の外観だが、撮影禁止のためパンフレットよりコピーしたもの。

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「お茶屋」内部に入り、懇切丁寧な説明を受ける。
もと仙洞御所にあったものを1606年に拝領、移築したもの。
書院造りから数奇屋造りに移行する道程がよく出ている建築で、重文指定されている。
付け書院や違い棚の書院造に、写真右の花頭窓に一本、二本、三本の障子のサンを組み合わせた「ひふみ障子」、中央の欄間に見える「菱形格子」、釘隠しなど数奇屋造の意匠を巧みに取り入れている(写真、パンフレットより)。
また庭園の中心に建つ「松の下屋」には棟方志功の襖が飾られ、この特別拝観のため、わざわざ元のようにはめ込まれたとのこと。