相変わらず小雨が降り続いているためタクシーで廻り、願成就院で降りる。
随分とあちこちと立ち寄ったが、6000円余りで効率的に廻れることができた。
今回の伊豆の国市の旅のメインは、ここ願成就院の運慶作の仏像である。

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願成就院は、1189年北条時政が、頼朝の奥州藤原氏討伐の戦勝を祈願して建立した。
そののち北条氏の寺として繁栄を極めた。また伽藍は平泉の毛越寺を模したもので、山門を入ると大きな池があり、その中島に架けられた橋を渡って参詣という浄土式庭園様式だったという。今はその面影は全くない。
写真は木造山門前から、寺院全体を見渡す。

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山号は天守君山、高野山真言宗の寺院。
山門を入ると左に石仏群が並び、正面に鉄筋造りの大御堂がある(写真)。


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境内左手に茅葺の本堂が建っている(写真)。
1789年の建造。
さらに鐘楼、客殿があり、北条時政の墓がある。
客殿に行き、仏像拝観をお願いしたところ、快く了解を頂き、四名のみにて住職の説明を伺う。

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大御堂に入ると、お目当ての運慶作の仏像群が並んでいる。
中央に阿弥陀如来坐像があり、お顔が少し傷つき、説法印の手先が少し欠けていた。
右には毘沙門天立像、左には不動明王が制た迦童子(せいたかどうじ)、矜羯羅童子(こんがらどうじ)を従えて安置されていた(写真、講談社・日本の仏像より)。
思っていたよりも小さな仏像であるが、力強さと共に美しい像である。
運慶がまだ35歳の頃の作品であり、年代的にも貴重な作品である。
裏の宝物殿の中には政子地蔵菩薩像などと共に、体内から発見された銘札四枚が保管されていた。実に綺麗な板であり、墨書であり、とても800年以上経っているとは思えないほどである。
また「こんがらどうじ」の読み方が面白く、我々四人の珍道中は時々いろんなことがこんがらがってしまうので、その度に大笑いをしながら旅を続けた。

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願成就院のすぐ右隣に守山八幡神社がある。
1180年に平氏追討の令旨を受け取った頼朝が、まず守山八幡宮に遥拝し、挙兵の決意を固めたとされる。
写真は拝殿。

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拝殿の後ろには急石段が長く続き(写真)、登って行くと石段の間隔が段々狭くなり、また苔むして極めて登りにく危険である。
上り詰めると、樹木に囲まれた質素な本殿が静かに建っていた。