一泊二日にてY後夫妻と伊豆の国市に行ってきた。
もともとは願成就院の運慶作の仏像を見るのが主たる目的であった。
しかしいろいろ調べてみると、北条家の本貫の地であり、頼朝ゆかりの地でもあり、古い寺社・旧跡も多く残ることがわかった。
2月23日にアクティに乗り出発。
午後からは晴れる予報であったが、残念ながらほぼ一日中、小雨模様であった。
傘を差しながらの写真のため、ブレや失敗も多く、見苦しい点はご容赦の程。
また三島駅に下車した時、うっかり電車に荷物を忘れるハプニングで、少し三島駅で手間取り、結局三島の町にて昼食。
ボリュームたっぷりのアナゴ天丼1450円で満腹、満足。
三島より伊豆箱根鉄道に乗り、韮山駅に下車。
あいにくの雨のためタクシーにて最初の目的地国清寺に向かう。

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中伊豆を旅する人でも、ここ国清寺まで足を伸ばす人はほとんど無いのではなかろうか。
足場は極めて不便な、山の麓の深い樹林に囲まれてひっそり建っていた。
山号は天長山、臨済宗円覚寺派の寺院。
1362年畠山国清が創立。
写真は門前からの眺め。何のお堂か不明。

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盛時は子院78、末寺は300を数え、足利義満の時には関東10刹の六番目とされた大寺であった。
今はその面影は全くなく、樹木に囲まれて木造本堂(写真)が建つ。
本堂の扁額は後花園天皇直筆。


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国清寺からさらにタクシーは、深い鬱蒼とした樹間の中の山道をくねりながら登ってゆく。
目指すは国清寺の鎮守である毘沙門天堂。
途中には夫婦岩など、七つ石がある。
ふっと鳥居が現れるが、ここからが毘沙門堂への参道である(写真)。

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参道の苔むした石段の先に見事な仁王門が建っている。
金剛力士像は鎌倉初期の作。



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さらにタクシーを走らせると、毘沙門堂への石段に到着。
かってこの地には安養浄土院があった。
平安期に文覚が配流されたが、その後頼朝が文覚に命じて毘沙門堂を造らせ授福寺として再興させた。
写真は煙ったような小雨の中に、眠ったように建っている毘沙門堂。

わざわざタクシーを飛ばしてまで来たかいがあったと、しみじみ感じた国清寺であり、毘沙門堂であった。