――時刻は17時24分。


 およそ1畳の広さの個室の中央に、大きめのリクライニングチェア。窓はなく、本来白かったハズの壁は煙草のヤニで黄色く濁っていた。椅子の前には、壁に直接打ち付けられた厚さ2センチ程の板の上に、テレビとビデオデッキ、そして白い業務用電話が1つ置いてある。
 今からほんの2分前にこの個室へと入った木下裕也は、リクライニングチェアに腰掛けると緊迫した面持ちで、じっと業務用電話を見つめている。電話に付属しているディスプレイの時刻表示は、17時24分を示していた。
 退室までは後1時間56分。裕也は1度深呼吸をすると、緊張のためにリクライニングチェアに浅く腰かけていたことに気付き、深々と腰を沈めるのだった。




 春のうららかな日差しが心地よい、5月1日。世間ではゴールデンウイークとあって、街には家族連れや恋人達で溢れかえっている。裕也は眠そうな目をこすりながら、1人その雑踏の中に佇むベンチに腰をかけていた。特に何をする目的があるわけでもないが、普段の忙しい日々から解放され、さも楽しそうにこの街の繁華街を歩く人たちを、何をするわけでもなくボーッと眺めていた。
「・・・俺って暇だな」
そう独り言を呟いて、ベンチから腰を上げる。思えば何故街中に出てきたのか。せっかくのまとまった休みだけに、初日は本やらゲームやらでも買おうと思っていたのだが、その場に来ると連休中に1人家で過ごす虚しさに押しつぶされそうで、結局購入は見合わせてしまった。
 まだ30代も半ばだというのに、その顔に刻まれた深い皺は、すでに40代にも50代にも見えた。たるんだ腹を隠すかのような、1まわりサイズの大きいグレーのパーカーに、オーソドックスな青のデニム。どこにでもいそうな、休日の中年男性そのまんまといった風体である。今いる場所から自宅への帰途手段である地下鉄駅までは、およそ徒歩3分だ。しかしせっかくのこの連休、愛し愛される者同士が楽しそうに歩く人たちを見ていたら、このまま真っ直ぐ帰るのは何だか気が引けた。

「何をしてるんだ、俺は・・・」
 とりあえず何かをして時間でも潰そうか…。そう考えながら駅とは反対方向にある大型デパートの前を通りすぎる裕也に、ポケットティッシュの束が手渡される。
「・・・お願いしまーす」
金色のメッシュが入った茶髪に浅黒い肌、黒いスーツの上に青い法被を着て、いかにもやる気なさそうにティッシュを配る細身の若者。その手には4~5つほどのティッシュが握られ、脚元に置いてあるダンボールの中のそれらを一刻も早くなくそうとしているのがありありと伝わる。裕也はその中から1つだけ受け取ると、赤いバック紙に青いゴシック文字でかかれた広告に目を落とした。

『テレクラ Re:Call オープン!! 女性専用ダイヤル→0120-**-**** ・・・・・・・・・・・・・』

「テレクラ? 新規オープンか…」
 今時テレクラの新規開店とは珍しい。そう思いながらさらに広告に目を走らせる。どうやらこのポケットティッシュを持って店に行くだけで、30分間が無料になるらしい。
 裕也は脳内で、まだ行ったことがない『テレクラ』という遊戯施設に関する知識を総動員してみた。
 -テレクラー
 確か、テレフォンクラブの略。電話を介して女性との会話を斡旋してくれるという店だったはずだ。会話次第では実際に会うことも出来るんだよな。俺はただ家に帰るまでちょっと時間を潰したいだけだから、アリかもしれない。決してやましい思いはないが、上手くいけば食事する相手くらいは見つかるかもしれない。いや、もしかすると…。
 頭の中に浮かんでは消える妄想と言い訳に、背中をゾクリと寒いものが通り過ぎる。
「30分だけ、行ってみるか…」
独り身であるだけに誰に言い訳する必要もないのだが、そう声に出すとポケットティッシュに書かれている住所へと歩き出した。

貼り付いたかのように汗を噴き出していた


最悪の目覚めだが、それももはや慣れてきている


冷蔵庫から冷えた水を取り出し、喉に流し込む


悪夢に悩まされるようになったのはいつからだろうか


ふとそんな考えが頭をよぎる


そう、恐らくは『アレ』を見た日からではなかっただろうか


今でも昨日のことのように思い出す、現実に起きた悪夢


それを反芻するかのように、夜毎に現れる・・・

死体を見たことがあるだろうか


私が初めて見た死体は、姉のものだった


14の時だった


通夜、安らかに眠る姉を見たくなった私は


夜中座敷へ


するとそこにいたのは1人の男


親戚か何かだろうが、その日初めて見る顔だ


男は私を見つけrとギョッとして


姉の白装束を元に戻した


「キレイなお姉さんだ 私が確認したから間違いない 誇りに思っていい」


そういうと男は部屋を出て行った


男からは焦りが感じられたが、当時の私は無知であり、


さらに疲れきって考える気力を無くしていた


そうだろう、姉が死んだのだ 18という若さで


今にして思えば、女の肢体を見に男は来ていた


酔っていたのだろう


しかし狂気と呼ぶには姉は美しすぎた


慕っていた人間は多かったのだろう


白い肢体 白い死体


欲望が倫理を超えるのなど、簡単なことなのだ

ふと気がつくと、天井や壁にシミが


マキシマムザホルモンに「シミ」という歌がある

『 「まだ生きてぇ・・・」

鈍り狂い痙攣

恐れ苦しさ支えきれん

生命へのせめぎ

今宵ここに残す

響かせる

いずれ 隅っこの因縁をすべて

狭間濡れるほどに意味をこぼして伝えた

残りタマエ

その「シミ」 』


果たして今見えているそのシミには伝わる意味はあるのだろうか

悪夢は悪魔が見せるという。

あるいはフロイトによれば、夢には隠された願望が投影されると言う。

そして人間の欲望は、他者ありき。

今日も夢魔の巣窟が口を開けて待っている。

夢野久作 による 狂小説


コレを読む者は精神に異常をきたす と云われている 伝説の奇書