今回は少し真面目な話。
「自分の体験談が多くの人の参考になることができたら」
という想いから綴ります。
海のある街で働き始めて二年目。
自分の立場や役割などもはっきりして、回りが冷静に見えるようになってきました。
この状態になって得たもの。
「声の落ち着き」
です。
私のいたベルリンの音楽大学は、常に誰か(学生)が何処かで歌っていた状態。
学生全てがライバル。
自分も何かしなければ、どんどん置いてけぼりにされてしまうという感覚から抜け出ることが出来ませんでした。
だからいつも背伸びをして、あと少しのところで失敗していたという苦い思い出が多幾つかあります。
ライバルが多いのは大いに励みになりますが、歌の場合は「焦り」に繋がってしまうことの方がずっと多いと感じます。
適度な「焦り」は有益ですが、過剰な場合は別です。
事実、私は自分の声と対峙することから離れ、仕事から課された課題ばかりを考えて自分の声に必要な課題を疎かにしていました。
私の場合はバリトンからテノールの移行した経緯があるので、しっかりしたテクニックの基盤なしではすぐに不安定になっていました。
本番はすごく上手くいくか、とんでもない出来になるかのどちらかという時期があり、「これはいかん!」ということで、ドイツの音楽大学卒業後、一人の先生に師事して一からテクニックを見直しました。
師匠のテクニックはなかなか難しかったので、頭が理解するのにそこそこ時間がかかり、喉が理解するまでには更に時間がかかりました。
「完璧に分かってからキャリア(演奏)を開始する」
などという悠長な事も言ってられない立場でしたので、歌う仕事もしながらの訓練。
勿論、思い通りにはいかないことが多い。
幸運な事に「偉大な歌手」を間近で見る機会が多かった私は、そこからも勉強することができました。
声のみならず音楽のこと、時代別・作曲家ごとの歌唱の相違などはとても大事な要素です。
「自分に必要とされている要素から勉強・訓練」し始めることで、現場の要請は大いに助けになりましたが、往々にして要請(要望)の質が高過ぎると無理をせざるを得ない事が多かったです。
無理をしっ放しだと声に疲労が溜まります。
そして近い将来、調子を崩す。
崩したら後戻りして構築し直し。
迂遠な営みです。
♪(´ε` )
ある時、気付いてしまいました。
この「迂遠な」繰り返しは、歌を「仕事として」続けている内はずっとつきまとうものだということを。
だったら、「今必要とされていること」と「今できること」を近づけていくだけ考えればいいわけで、それに対し雇用主が満足ならば仕事(契約)続行、不満ならば仕事(契約)中断する判断をされるだけだ、と考えるようになりました。
負荷が強い中で仕事していれば、いずれ声の負担は限界を超えるわけで、雇用主は勿論のこと自分にも大いに不都合です。
満足ならば、日々精進すればいいだけのこと。
こうなったら負担が溜まらない程度の負荷で効率よく歌う方法を探せばいいだけです。
こう書くと「効率よく怠けながら歌う方法を探す」かのように聞こえてしまいますが、ちょっと違います。
ドイツの劇場は仕事時間が長いのです。
合唱団はとりわけ長い。
オーケストラのように交代制で仕事できるような人数の余裕もないので、小編成の縛りがない限りは全ての公演に乗らなけれなりません。
然るべき音量で
然るべき声色で
毎日歌い続けることのできる健康な声と歌唱法は必須なのです。
私の所属する「海のある街の劇場」は中規模なので、公演中手を抜いて歌うことはできません。観客席から誰がどの声を出しているか特定することも可能でしょう。となると恥ずかしいことはできません。とにかくしっかり歌うしかないのです。
こうなると「肉体労働者」の要素が強くなってきます。
もっと言えば、
大規模になればなるほど
有名な団体であればあるほど
その要素は強調されます。
病弱な人・筋力がない人・歌唱技術がない人は長く働くことが出来ないのです。
そういった事が実感として理解できたのが2015年と言えます。
「合唱とソロは歌唱法が違う」
と唱える人が結構いますが、私にとって違いはありません。
「合唱だからファルセットを使っていい」
とか細かい議論は沢山ありますが、声に負担がかかることは基本的にやらない方がいいわけで、究極的に母音や子音の探求ができるのが合唱だと思います。
ここで
「声の落ち着き」
に戻ります。
無理(無茶)をして劇的に歌う必要がなくなったので、今の私の声が要求する音量・音色で歌うようになりました。
すると、声が格段に安定したのです。
音色もきめ細やかで密度が高くなりました。
それに加え、今師事している師匠が歌手のアイデンティティを尊重してくれるので、「自分の責任で」声の管理ができます。
師匠に声の管理を丸投げしなくなったのです。
ここで問題提起(今回の核心)。
多くの日本人の持つ問題点
「教師に依存し過ぎる」
言い換えれば
「自分で考えずに教師の言いなりになる」
ことで、自分で考えるのを止めてしまう人が多く見かけました。
そうなると歌の勉強は誰かに振り回されっ放し。
更には自分の声に自分自身で責任が持てなくなります。
留学中、歌に限らず多くの留学生を見てきて、この点が一番気になりました。
今後、日本が直面する問題を踏まえて、
「自分自身で考えて責任を持って行動する」
ためによりよい日本人への教育がなされていくことを強く願います。