George Szell(ジョージ・セル)は1897年ハンガリー生まれの世界的な
指揮者。

クリーヴランド管弦楽団を徹底的に鍛え上げ、超一流のオケにしました。

セル&クリーヴランド管、正確無比なアンサンブルが聞ける名コンビです。



オーケストラの録音を聴きこむと必ず「この作品はこのコンビがいいな」

っていうのが出てきます。

例えば(私の例ですが)

モーツアルトの交響曲ならクーベリック&バイエルン放響。

シベリウスはベルグルンド&ヘルシンキフィル。

ロシア作品ならフェドセーエフ&モスクワ放響。

ブルックナーはスクロヴァチェフスキ&ザールブリュッゲン管。

ブラームスは(とても選びきれませんが)最近のマイブームとして

ザンデルリンク&シュターツカペレ・ドレスデン、

ヴァント&北ドイツ放響の新しい方、バルビローリ&ウィーンフィル。

(クーベリック&バイエルン放響も全集が出ているのは知っていますが、

 中古CD屋で出会う運命を待つ というような感じ)


セル&クリーヴランド管で私が最初に気に入ったのはブラームスの全集

特に3番。有名な3楽章の旋律を予測させないような爽やかな2楽章まで。

そのあと、ふいに心のすきまに忍び込むような3楽章の表現は絶妙で、

自然に感動がもたらされます。

もしセルの3楽章だけを取り上げたらスイスイ快速なのかも知れませんが、

全曲の中で「これ以上でもこれ以下でもない」確実なものを感じさせてくれます。

ドボルジャ-クの交響曲7番・8番・9番も全てすばらしいです。

スラヴ舞曲の10を聴くと、セルが“完璧すぎて冷徹”“甘さに欠ける”等と

批評される意味がさっぱりわかりません。(少なくとも)作曲家が表現したい

分だけの情熱が再現されていて、だからドボルジャークもセルもすごいのだと

私は思います。




私は未聴ですが「1Q84」に登場する(読むと聴きなおしたくなる)ヤナーチェクの

「シンフォニエッタ」もあります。
セルなら・・冒頭のところはきびきびいくのだろうなー・・

親しみをこめて「サバちゃん」と言えるほどよく日本に来てくれていました。

最初に来日してくれた1990年当時はまだ世界的に有名なテノールになる直前でした。


元々コントラバス奏者ということもあってか、圧倒的なカリスマとかピリピリした

緊張感とは別の、いつもリラックスした職人(よぉ棟梁、いい仕事するねぇ)的な

技巧派の歌い手さんで、90年代に来日した他のどのテノールよりも(ベルゴンツィ、

クラウス、3大テノールはもちろんジャコミーニやアラガル、アライサ、クピード、

アラーニャやクーラ、ラ・スコーラ、マッテウッツィらも含めて)

最も“おなじみ”感のあるテノールと私は感じています。


日本で有名な割にはCDは少ないですが、ベッリーニのオペラ「海賊」のアリアは

サッバティーニの良さが出ているのではないかと私は思いました。





ちなみにサッバティーニがアルフレード役の1994年のサントリーホールオペラ「椿姫」

TV放送では、ステージ真横のLA席でかぶりついてた私が映ってしまっています。

1923年生まれのイタリアのテノール。

商業録音が少ないこと、しかるべき時期にアメリカ他での活躍がなかった

ことで日本では知名度が低いようですが、イタリア(特にミラノスカラ座)では

長らくスターテノールでした。


1965年制作のオペラ映画、カラヤン指揮ゼッフィレッリ演出「ラ・ボエーム」

をレーザーディスクで何度も見ました。

「なんて冷たい手なんだ・・僕に温めさせてください・・」

と歌い始めるアリアを何回聴いたことか・・

もちろん、ディ・ステーファノやタリアヴィーニの歌う同曲も素晴らしいし、

パヴァロッティもすごいし、カレーラスも。

でも、詩人ロドルフォが今を生きる姿、友人たちとの生活、ミミへの想いと

葛藤、プッチーニがオペラで描きたかった青春をライモンディは等身大で

表現していたのだと(あとで)感じます。


スカラで幕が開くたびにライモンディはこうやって歌ったのだと思います。


誰がいつ観にいっても、「ラ・ボエーム」が上演される限り、いつも変わらず

詩人ロドルフォの青春を感じられる、ライモンディはそんな劇場型のテノール

だったのだと思います。