ごきげんよう。
《千と千尋の神隠し》に登場する[カオナシ]というキャラクターをご存知でしょうか?私はあの映画を観た時に、母親と同じだ…と思いました。私の母親は物心つく前に、家庭環境に恵まれず、自分の居場所がありませんでした。母方の親戚で集まった時に、家系図があり、皆で見たのですが、母親の名前が家系図に乗っているかどうかが話題になりました。母親は自分の好きなことや、欲求は無くて、ただ人から認められたい、求められたいという一心で、まるで憑き物のような人です。兄が、鬱から回復して元気になり始めていた時に、母親はまるで、雀の雛に餌を運ぶ親鳥のように頻繁に兄の部屋をおとずれて、飲み物や食べ物を運んでいました。健全な精神を取り戻しつつあった兄が、それを疎むような態度を取ったところ、『なめるなよ!私にだって考えがあるんだからな!』と兄を脅すようなことを言いました。それを言われた兄は一言も発しませんでした。私はその時にあ〜あ〜これでまたお兄ちゃんの首輪はしっかりと母親に繋ぎ直されちゃったよ〜と思いました。自立の芽はまたもや、母親によって摘まれてしまったのです。共依存関係にある兄の自立は母親にとっては脅威なのです。その後、地獄のような数年が経過して、最近になり兄が働き始めました。すると、本来は関係の無い、母親が同じ時間に起床して、兄の衣類を小まめに洗濯したり、出勤する兄を家の外まで見送るようになりました。それはまるで自分も生き甲斐を得た人のような動きっぷりでした。兄は頑張って歩みを進めましたが、母親だけが、何の反省も、進歩もしていない様を私はただ眺めています。カオナシのような母親は他者の生命エネルギーを奪って、それを自らのエネルギーとして生きています。以前、外国に留学して帰って来た兄が『拳銃の音とかが聞こえる向こうにいると生きてるって感じがしていい。』と言っていました。日本にいる時の兄は母親の庇護のもとで生きているので、生きている充実感や実感が湧かないのだと思いました。自由と責任はセットなのです。兄は母親をスポンサーにすることで、金銭と自分を賞賛してくれる人を得ました。その代わりに価値ある自分の進化と人生を売ったのです。しかし、ここへ来て、その暮らしにも嫌気が差したようなので、今度は上手く、母親の毒牙から逃れて自分の人生を生きて欲しいと思います。私は単なる傍観者でいるつもりです。何故ならば今迄、私は十分家族に尽くしました。しかし、それは何の意味も成さなかったのです。なので、これからは私は私で、自分なりに価値ある人生を生きるべく、そちらの方へ意識もエネルギーも向けて生きたいと思います。
それではごきげんよう。