ごきげんよう。
私はかなり生真面目です。職場でみんなが適当だったりちゃんとやらなくても人は人として、私はちゃんとやって気持ち良く過ごしたいのです。正当に評価を得られない会社に長くいたことにより客観的評価に無関心になり、それよりも神様の御心と自己評価の方が大切なのです。また普段、なるべく人のことをジャッジしないように気を付けています。例えば私の住む関東では人も、自転車も道路の左側を通行します。以前、関西のセミナーに参加した時に同席者3名の方は全員、関西の方でした。そこで私が『関西って歩くの右側ですよね〜。』と言ったら、『なんで!?』『右でしょ!』『当たり前だよね〜。』と、その3人から即座に反撃にあってびっくりしました。普段、自転車に乗っていて自転車が逆走して来ると私はより左側に寄ってインコースを守ります。時には車が接近して来ているのに強引に逆走自転車にインコースを取られるとなんで私が危険に晒されるッ!と立腹していました。ただこのセミナー以降は一瞬、イラッとしますが、あ〜もしかしたら今の人、関西人なのかも知れないなぁ〜なんて思うと自分の気持ちが楽になります。また道により私自身が数メートル逆走してしまう時があって、そういう時は普段、偉そうなことを言っている自分が恥ずかしくなって居心地の悪い思いをしてしまいます。そもそも日本人は外国人と比較すると、とっても真面目でマナーが良い方なのです。このジャッジする行為そのものがストレスの元なのです。結局、ジャッジしないのは成長途中の人と自分の両方を愛の眼差しで見守ることであり、自分の身のためでもあるのです。ただ、とりあえず私が今まで投稿してきた毒親についての記事も一見、ジャッジのようですがこれは親の良し悪しをジャッジするのが目的では無くて、より深く私という人間の構造を理解して進化するためのものであり、また同じ経験を持つ仲間達にあなたは悪くないんだよ!ありのままのあなたが一番素敵なんだよ!と、エールを送りたいのです。
それではごきげんよう。