「笑って生ききる」 瀬戸内寂聴 署


の 苦しみを経験すると想像力が育つ 

という章の中に書かれていた一節

「人間は浅はかな凡夫ですから、自分が経験してみないと、相手の苦しみがよく分かりません。人の苦しみに対する想像力が働かないのです」


「苦しみを経たあとでは、身近に同じような苦しみを経験している人がいるとその気持ちが分かるようになります」


「慰め方が違って来る。他人の心を思いやる想像力が育つんです」




これを読んだことで先日近しい友人から

夫が仕事に行ってる昼間に一人でゆっくりお風呂に入るのが最上の幸せなの〜 と私に話されたのを聞いてモヤモヤしていたのだけれど


ああ人は浅はかな凡夫なのだからそんなことを夫を亡くしている私にも言い放てるんだなあと納得出来た


凡夫を辞書検索してみると

 仏教の理解が乏しく、修行実践もおぼつかない、凡庸で愚かな人


目の前にいる思いやりも想像力もないと思われるこの女子は瀬戸内寂聴さん曰く

「浅はかな凡夫の」一人だと思うことで

全く修行が足りないわねと気持ちを少し切り替えていくことが出来た


しかしそうは言っても

なぜいちいちモヤモヤ不愉快な気分になるのだろうと自分を見つめてみると


相手に期待し過ぎているのではないかと思った


夫を亡くした私にそんなこと言う?


と思うのは相手に思いやりと想像力と抱擁力と気配りと語彙力と、、、結局やっぱり自分のこの苦しみを少しは推し量ってくれても良いんじゃないの?と

“期待”してしまっているんだなあと思った


そんな相手は凡夫なのに

しかも、“人間は 浅はかな 凡夫 ”

だと瀬戸内寂聴さんは言っている


夫を亡くして4年と10ヶ月

浅はかな凡夫の人たち相手に散々傷つけられ泣かされ時に死にたくなった


私こそが浅はかに凡夫だわと思った


私だって夫を亡くす苦しみは味わって同じ経験をした方には寄り添える

だけど

そう世の中にはいろいろな苦しみがある


昨日のニュースで介護をしていた夫から諍いの末奥さんが殺されそうになったという報道がされていた


歳を重ねて夫婦でいた末に殺されそうになんて

なんて悲しいことだろうと思った


以前いたらいたで大変なんだからとまるで亡くしたことを羨ましく思うように言われたことがある

その時あなたの夫はそうでしょうけど

私の夫はとても良い夫だったから100まで生きてくれててもそんな情けないことにはならないわ

と思ったけれど


世の中にはいるから苦しいという人もいるんだなあとそのニュースを聞いて思った


相手に期待してしまうのはやはり自分を大事にして欲しいからだろうと思う


夫はいつも私を思い遣ってくれて大事にしてくれたのに


夫以外の世間は

浅はかな凡夫の集まりだったんだ



他の苦しみを抱えた人から見たら私もその一人



想像力を働かせてこの世にいる限りは

もっと格上に人に寄り添える優しい人になっていきたいと思った。