中年デザイナーの遠回り懺悔と日々の考察。

中年デザイナーの遠回り懺悔と日々の考察。

デザイナーやってます。一応会社も。夢を追いかけて、背伸びして、肉食でバリバリやって倒れました。ここでは諸々の遠回りの懺悔と教訓、あとは美について、その他哲学な思考を書くブログです。精神不安定のため、コメント等出来ません。すいません。

Amebaでブログを始めよう!

もうね

墓場まで持ってこうかなと言うことも

書いておこうと思う年末。


嫌なニュースばっかりだ。

私は今は美術系の仕事をしているけど

元環境系の大学出身

持ってる国家資格も実はそっち系なんだよね。


温暖化は もう越えちゃイケナイラインを二つ位

越えてる気がする。

SDGS もLGBTQもそうだけど

問題としては真摯に取り組むべきなんだけど

変な面々が沸いたせいで 胡散臭い界隈になってしまって

そのせいでイマイチ解決すべきという危機感も無くなったり。


格差も 不労所得やら投資やらなんやらが許容されてる限り増えるし

貧困層が増えれば 衆愚が蔓延して

民主主義のコストも増えると私は思う。


環境も社会も

崩れゆく流れの中にあるように思えてならない。

今日より明日が良いと思えるから 前向きに頑張れるんだわ・・

段々と悪くなっていく中でもがくなんて

不治の病にかかってしまったような気持ちになってしまう。


そう言う事を書いてきたけれど

そうネガティブな話だけで私の思想癖は占められてる訳じゃ無い。それも書いておこうと思った。


北海道旅行に行って とある山奥の湖に行った。

駐車場は満杯 確かに良いところだ・

良いところだが かなり山の奥だ。

携帯の電波が1になっていた。

そんなところに 3桁の数の車が停まっている。


みんな好きだねえ と思う。


旅行とは不思議なものだ。

何も残らない。ただ一時の為に

お金や時間を結構なレベルで注ぎ込む。

この湖に居る殆ど全員が

別にこの湖に対して この後の繁栄に繋がる何かを求めて来てる訳では無い。

ただ綺麗な湖を見て

ついでに名物の美味い飯を食いに来ている。

投資では無いので

お金が増えたり そのタネになったりはしない。


しかしだ むしろ

なんでお金を稼いだり貯めたり増やしたりしているのかと言えば

こう言う体験をしたいが為 とも言える。旅行とは一つの 稼ぎのゴールだ。

お金は使わないとその価値を発揮しない。

旅行やらグルメやらは その使い道の筆頭格だろう。


しかし改めて不思議である。

旅行に行っても帰るのである。

帰れば何も残らない。迎えるのは減った残高と 休んだせいで溜まった仕事だ。だが何の後悔もない。

また旅行に行きたいから頑張るか!である。そしてまた懲りず?に旅行に行く。


人生も同じだ。

安い旅館のスリッパではないが 人生は旅・と言うのは言い得て妙 だ。


バージニア大学の研究で輪廻についての重要な研究成果はあるが

それを考慮に入れずとも・・入れてない人が大半であろうが

人生は旅のような消費のされ方をしている。


とりあえず人は死ぬ。

思い出を積み重ねても 死ぬ時は死ぬ。

思い出の価値はなんぞやと言われても そんなものはおよそ明言出来ない。

しかしむしろ

人生の価値とは思い出にあり なんて気持ちにもなる。


実際のところケチな私は 来世にも使えるような能力とは何か?みたいな事を考えてはいるが

そもそもその能力は何の為に使うのかと言えば

究極、

結局旅行やグルメ 楽しい思いをしたいからである。

その為に 来世でも私は能力を駆使してその機会を得ようとするだろう。

そしてそれも 悲しいかな必ず過ぎ去って

思い出という跡を残す・・のみだ。


延々と輪廻をして

それなりに苦労しもがきつつ

思い出を積み重ねて・・さて私は一体どこに行くのだろうか?

字で書けば大層救いの無い話のような気もするが

感動したあの時 確かに私は

生まれて 存在して良かったと心から思った。

なんの役にも立たない ただただ感動したあの時、心震えたあの時は

宝物となって 私の存在の甲斐となっている。


その感覚は その後いつになろうと

少なくとも間違いでは無いと断言出来るものだ。


意味や価値を超える

或いは意味や価値の根源的な軸がそこにある。


北海道の辺境にあるその湖に並んだ観光客の車達は

私だけではなく 多くの人が

感動し心震えたその時を何よりも 存在の甲斐としている事を証明している。


美味い飯 綺麗な景色 素晴らしいサービス

それがそこにあるのが嬉しい。

それは娘に対しても思う。

娘を産む前 私は正直子供を作る事に懐疑的であった。家内は猛烈に子供を欲しかったので

まあ 私が最悪あんまり子供を好きで無いままだとしても

家内が愛するから 隣でニコニコしてればなんとかなるか・

家内の為に作るか・・と言う

ただそれだけだった。

私は海外旅行 特にアジアや辺境系?が好きだったが

子供が出来れば制限は少なからずある。旅費も1人分増える。

そもそも責任も発生する。

生活コストも増える。

言い方は悪いが 子供を作るなんて

純粋な赤字要素の塊だ。


ところが 不思議なもので、娘は私にとって

大きな華となった。

コイツが飯を食うだけで嬉しい。飯代がかかるだけなのに。

あれ食うか?これ食うか?これ欲しいか?ここ行きたいか?

仕方ねえな くれてやるよ・・


独り占めしたいはずの飯を分け

安物で済ませれば良いのに割と良い服を買ってやり

大した面白く無いと分かりつつ 娘の行きたがるとこに行った。


娘が幸せそうだと 何故か幸せになった。

私は娘が幸せな現実が

美しいものだと 喜びであると

そう言う存在であった。

もしも今 娘が自分と血が繋がっていない事が分かっても

この気持ちは全く変わらない。


綺麗なものを見に行くのと同じで

赤字なのに 純粋な消費なのに

それは自分以外の何かなのに

美しい何かの存在が嬉しい。

風俗のように なにか肉体的快楽がある訳でも無く

何か今後の自分の発展につながる訳でも無いのに

嬉しい。


それが存在している事が嬉しい、

それが 私の中の

存在しているもの

に入っている事が嬉しい。


そんな 存在して嬉しいものを私はまとめて

存在の華 と呼んでいる。


そしてそれはあらゆる筋道込みのものでもある。

例えば

長年苦労して

闇堕ちもせず努力を重ねた結果

それが報われて

良い思いをした・結果が実った。

と言う事があれば嬉しい。それは自分でも他人でも だ。

これはその全ての流れが美しいからで

何も苦労せず

とか

悪い事をして

とか

そう言うものが最終的に 良い思いをした・と言うところに繋がれば

それは醜いものとなり

私は存在のテンションが下がる。


綺麗な風景や美味い飯もそうで

やはりそれらへのアクセスが

自分の努力の結果だとより甘美だ。

親のおかげで行けた と言うより

悪事で稼いだ と言うより遥かに甘美だ。


あらゆる現実には筋道が

私の それらの

背景がある。それ込みで私たちはそれを感じ

感動したり 萎えたりしてる。

それも込みでの 存在の華であり 筋道は花弁でもあろう。


先程バージニア大学の輪廻の研究について触れたが ざっくりと

輪廻は実証されたも同然だ。記憶もまた然り であるが


悠久の時を経て 筋道は蓄積していき

その形そのものが より複雑な華になるだろうと。

そう言う意味では

年々悪化するであろうこの世界でも

そんな世界で自分は あの人は これは

どうなんだ?と言う話になるだけで

必ずしもその結果が醜くなる訳では無い。

勿論 闇堕ちしたら元も子もないけれど・・。


確かに世界はちっとも良くなる気配は無い。

ただ 存在の華はその種類も 花弁の数も

常に増え続けている。

歴史が積み重なれば重なるほど 様々な趣も生まれ蓄積する。

平成レトロ なんて

私の歳には衝撃的な概念すら出てきたが

時代時代でパッケージされるほど

文化の華は時代各々で独自に華咲いている。

それは 時が蓄積すればするほど

存在の華が増えるという事を示している。


私もそうで 良くも悪くも過去が蓄積している。

忘れたような過去の飯も 今の体重という形で残っているし

あるとき思い出したり

或いは今の飯の好き嫌いに寄与していたり

結局覚えて忘れた そんな歴史込みで今の私に結実している。

良くも悪くも思慮深くなり経験も積み それが自信を生み老害化していたりもするが

ともあれ 進んだステップは後戻りせずに

例え過去の道を忘れても目の前の次は変わらずそこにある。

私は絵の練習をしているが

一度上手くなれば 下手な頃の絵は描けなくなる。

何故上手くなれないのか?と思ってた自分は 練習を重ねるうちに

何でこんなに下手に描いたのだろう?と思うようになる。

本当に上手い人は 本当に下手な絵を描けず

その逆も勿論また然りである。


そうやって 人は過去の最先端として今にいて

そしてもう過去の自分には戻れないのだ。

それは確実な進歩を意味する。


例え老化によって かつてのように動けなくなった人も

若い身体を手に入れたら かつてのように動ける。若い時は動けた人だからだ。

絵だって手が無くなれば描けない。

目が見えなくなれば描けない。

だが それはとある条件のせいで描けなくなった

だけで そこ条件が無くなれば描ける。

自分のポテンシャルは変わらない。

輪廻をして 新しい身体というデバイスを手に入れたら またその先に行ける訳だ。勿論前世や昔のことは忘れていても

それは忘れただけで 思い出せないだけで

かつて出来た自分の過去を消すものでは無い。

現に才能という形で 過去を思い出せなくても

ポテンシャルが現実を引き寄せる。


具体的な記憶がなくても 

完全な過去の消去とはならず

ポテンシャルとして 様々に結実する。

一回覚えたことを忘れたとしても 過去手に入れたものはその残滓を ポテンシャルを未来に残すが

元々知らない事は 得ていないものは勿論何も思い出させず

何の可能性も未来に残さない。

過去を積み重ね 進んだ私達は

常に過去よりは 根源的には良くなっている。

それは能力だけではなく 知識もそうだ。

嫌いな体験は教訓を

良い体験は喜びとその先のアレコレをそれぞれもたらすからだ。

例え表層ではそれを忘れようと

人はどんどん勘が利くようになる。

危険なものを避け 良い方に行くようになる。


だから 私達はこの先も

存在して嬉しいものを 過去より効率的に求め

また作り出す事が可能になるだろう。嫌いなものを効率的に避け

除去する事も出来るだろう。


好き嫌いがある限り

それは私たちの本質そのものだが

教訓が積み重なり

能力が積み重なる。

だから 何も嘆く事は無い。

遠回りか近道か 近道の方が良いが

天国は確約されていると 私は思う。


思うけど

遠回りじゃ無い方が いいやね。





さて、いよいよ本丸

みたいな話を。。


優しい事は良い事だと

昔から思っていた私。

色々な人に ちょっとお節介な時もあったけれども

少なくとも 相手のためになる筈!と言う事を

少なからずやって来た・・けれど。。


私の経験値だけで言うと

優しくした人は

基本持って行きっぱなしだったんだよね・・


ここから書く事は ちょっと怖い話なんだけどもね。


困っている人を助ける。辛い人を助ける。

良い事なんだ。良い事なんだけど

理不尽に苦しみ 困っているように見えたその人と深く関わるうちに

なんか 段々と純粋に同情出来なくなっていく自分が居た。

確かにその人の苦しみの原因は

人であれ状況であれ

理不尽だった。

可哀想だった。

でも、だんだんその人を知って行くと

なんかこの人問題あるなぁ・・と言う思いが増えて行く。

勿論 ちょっとしたアドバイスや助言をくれ と言うレベルならこんな事はない。だけど

しっかり深刻な救済を,と言う場合において,私の狭い狭い経験値では

助けた人が その場では感謝してくれたけど

後々 結局 くれくれ星人になり

そうして くれないならいいや!みたいな感じで

離れて行くのを何度も経験している。

勿論例外もあった・・かも知れない。ただ

優しさは 持っていかれっぱなしが圧倒的に多かった。

可哀想な人なんだけど

理不尽の被害者なんだけど

もうこの人と関わるのは・・疲れた

そんな事が多かった。


他人から感謝されなくても 充足するのが本当の優しさ

見返りを求めないのが真の優しさである・という考えもある。

送付されて来たユニセフと国連高等弁務官の封筒を見て それを思い返したりする。


でも


正直に言うと

私は私が好きな人以外が喜んでいても

悲しんでいても・・である。

例えば 前の職場のあの嫌な先輩が

今幸せでも不幸でもどうでも良い。と言うか

ちょっと不幸であって欲しいと思う。

私が辞める原因となったあの上司が

どこかで涙に溺れていたら その夜のご飯はちょっと美味しいと思う。

逆に彼等が幸福であったのなら

やっぱりちょっと面白くない。

私とはその程度の人間である。


私が好きな人が幸福だと嬉しい

私が嫌いな人が不幸だと嬉しい


これが

好き嫌いの本質だ。裏表である。

大事にしていた茄子がなって嬉しい。それを食い荒らしたヨトウムシは、今すぐ刺し殺したかった。

博愛では無いのである。無条件の存在に対する愛など無い。

それが現実だった。


知らない人は

知らない人なので 分からない。

例えばアジア旅行をすると

困窮した人があちこちに居る。

こちとら海外旅行中の身 優雅だ。

そこに子持ちの物乞いが来る。

その子が 物乞い間で貸し借りされている物乞いのための子なのか 実子なのか分からない。何で困窮しているのか

どれくらい困窮しているのか分からない。

理不尽な現実の風で こちらは優雅に旅行中

向こうは物乞いの身なのかも知れない。分からない。

私はお金をあげるべきだろうか?

しかしそう言う人は道端にゴロゴロ居る。


キリがないのである。

ただ お金を渡す義務はない。

その物乞いからお金を借りた訳でもないのだから。


優しさとはなんだろうか?

物乞いを振り切る時 その言葉が頭をよぎる。

このお金は私のものだ。

それをあげないのは 悪い事じゃ無い。

なのに何故 罪悪感があるのだろう・・


イエメンが大変です。

難民達は冬が辛いです・と言う封筒が国連高等弁務官から届いた。

私が最初に思ったのは

フーシとサウジとイスラエルがなんとかしろよ アイツらが今のイエメンの状況の元凶だろう!だった。

少なくとも私は関係が無いのだ。

なんで状況を作った奴らに変わって

なけなしのお金を寄付しなきゃならんのだ と。


勿論この意見がどこか理不尽なのは分かっている。


どこそこの難民達は 子供のミルクを買うのも大変です。。と

とある封筒の中身は物語る。

そこには何人もの子供を抱えて 困っている人の写真がある。

しかし 私は

職業柄収入が不安定な為 もしもの事を考えて子供は1人に抑えた。それで嫁さんとも大いに揉めた。

何故子供を1人で我慢した私が

子沢山の家庭のミルク代を出すのか。


私は優しい人でありたかった。

優しい自分が好きだった。

優しく無い周囲に散々泣かされても来た。アイツらがクソだと言いたいがために

優しさこそ善だと 優良 高等だと言いたいがために優しくして来たのかも知れない。

でも現実は

嫌いな奴の不幸を望み

知らん奴に寄付する気になれず

俺が悪いわけじゃないのに 何で私が・・

そんな気持ちで寄付の封筒を一読する自分が居る。


嫌いな奴は落ちるべし!

知らない奴なんか知るかいな!ワイが何かしたか??


結局こういう自分が 残った。

人に優しくすると

自分に帰って来ると聞いたが

そんな事は無かった。

いい奴はハナから良いし

駄目な奴はやっぱりダメだった。

助けようと1あげたら,即座に2を返して来るような人と

あげたらあげただけ貰い去って行く人と

大体そのどちらかしか居なかった。


よく観光地などで カメの餌 鯉の餌

と言うのが売っている。よく娘に買わされたもんだ。

あれは 優しさでは無い。

餌やりが楽しいのだ。エンタメである。

亀さんが 鯉さんが可哀想!で餌を買うわけでは無い。


今ここに至って 私には

優しさがどこにあるのか分からない。

優しさは尊いものだと教わったのに。


例えば 最近ルッキズムという言葉や個性重視の風潮がある。

貴方の身体は貴方の個性

みんな尊い!みたいな話だ、

だから本当は不細工だと思っていても

貶してはいけないし なんなら褒める。

褒めるけど 自分の好みは変わらない。そもそも面だの容姿だのなんて遺伝子ガチャの結果でしか無い。

気に入らないなら 整形でもなんでもして変えれば良いのに 或いは変えるしかないのに

全ての遺伝子ガチャの結果に価値が等しくある・みたいな事を言っている。

口ではそう言う事を言いつつ しっかり好みは堅持する。

アダルトコンテンツから美少女イラストまで

美人の基準は全然ブレない。正直なものだ・・。


なんだ

それじゃ不細工な人に

貴方の面は 体型は

そのままで十分魅力がある

なんて言うのは嘘じゃ無いか。

告白したら振るくせに のせるだけのせて

結局じゃあ貴方は本当に私のこの容姿を好いてくれますか?交際したり夜の営みをしてくれますか?と聞かれたら

いや好みじゃ無いから・・と言う。本番で結局嘘ですよとなる。

それじゃ 毒でしか無い。


好みでない飯屋に行って

ご馳走様!美味しかった!と言う事もある。

でも2度と行かない。

潰れてしまうかも知れないけど

でも、好きじゃないんだもん・である。


じゃあ 美味しかった!なんて言わずに

おい塩味薄すぎだよ。。と言った方が

本当はその店の為になるかも知れない。

でも 悪口は罪悪感があるし

揉めても面倒だ。


それで結局 その店が潰れても

あの店 味微妙だったもんね・・で終わりである。


美味しかった!ご馳走様!の言葉の優しさは

これ 単なる嘘 毒じゃないか。


さっきの容姿の話と同じだ。


優しいから 優しい言葉をかけたんじゃ無い。

揉めると面倒だから、そして

自分が嫌な奴だと自分で思いたく無いから

ただそれだけなのだ。


これは子供を持つとより顕著に分かる。


子供の友達に 明らかな問題があってもその子は叱らない。

それは管轄外で 向こうの親と揉めるのも面倒

その問題でその子が将来被害を被ろうとも

知ったこっちゃ無いのだ。


自分はただ 自分の子が将来幸せになれば良い。だから自分の子は叱る。甘やかしたり

優しい言葉だけかけたりはしない。


お前が幸せになる為に 不幸にならない為に必要ならば 厳しくとも言うべき事を言い するべき事を私はさせると

娘に対して思う。

それが愛だ。

では何故 娘に対してはそうするのか?愛を向けるのか?

それは この

私と家内に対して全てを任せる形で生まれて来、

そしていまだに私を信頼し好いてくれ

一個人 イチ存在としても とても素晴らしいと思える

娘という1人の人間 魂が

私は好きだからだ。好きな奴だからこそ

その幸福を願うのだ。


それは優しさなのだろうか?

これはどちらかと言うとエゴでは無いのだろうか?


優しさとは何だろうか?

結局実在するのは 優しさと言う無償の愛では無く

好きな人や物が栄えて増えて

嫌な人や物が滅んで減って欲しいなと

それだけの 嗜好性

好き嫌いしかないのでは無いかと今は思う。


優しさは尊い、無償の愛は尊い。

そんな物があれば

こんな私でも 愛してもらえるかも知れない。でもそう願う私は今日も

みかんの皮を剥いてゴミ箱に捨てる。

着なくなった服を捨てて 着たい服を買う。

要らない物を容赦なく捨て

好きなものを追い求める。

自分にはどこにも無償の愛など無いのに

それを求めると言うのは そりゃナンセンスだ。


何もかも平等に愛したら

何一つゴミ箱に入れられない。

そうやってゴミ屋敷になりかけたケースも知っている。


優しさが生むのは 

無償、無条件の愛が生むのは平和でも 天国でも無かった。

何でもかんでも褒めれば 認めれば

悪い物が全然減らない。ゴミ屋敷になる。

悪い物だらけの

ゴミだらけのとこになんか

まともな人は行かない。

優しさ 無償や無条件の愛を実行すると 

無償や無条件でも愛がもらえる!と言うのが1番欲しい人達がまず集まる、それは

逆に言うと

条件が付いちゃったら愛されない人達だ。

つまり 言い方は酷いが ヨロシクナイ人達だ。

そんな人達が集まれば当然

そのせいでマトモな人達が去る。嫌だもんそんな低い人達がいる場所なんか。


受験でも

就職試験でもなんでもそうだが


ある程度以上の質 秩序を確保する為に

ある程度以下の人はお断りしています・と言うのは

必須条件だ。

良い場所 良い環境 良い世界を作る為には

ある程度以下の存在はお掃除しないと駄目なのだ。綺麗で快適な部屋を作り維持するのと何も変わらない。


優しさとは

本来のクオリティを捻じ曲げて過大評価する事と同じだ。それは嘘で

嘘なら嘘で 最後まで貫ければまだしも

私達は自分の好みに嘘はつけない。

無理をすればいつか限界が来る。


だから優しさなんて

自分にも他人にも毒でしか無い嘘なんだ。


優しさとは何か?それは

揉めるのが面倒で

自分が嫌な奴だと思いたく無い時に使う

毒入りの嘘 だ。

或いはキチンとした シビアな評価で

自分が裁かれるのが怖くなった面々が作った偽りの救済だ。


良薬は口に苦し。

現実は苦し。でも苦いのは

これ自分が悪いんだよね。苦いのに改善してませんよと言うだけなんだわ。


過大評価も過小評価も 結局は嘘。

嘘は邪 悲劇の種。


自分の為にも 他人の為にも

やめた方がいいんだね・・。






うーん

年末は考える事が多い。


なんか 口に出しちゃいけない気がする事だけど

溜まりに溜まったので 書く事にした。


この前 大学の同級生達の飲みが開かれた。

誰かの転職祝いを兼ねているらしい。

私の出身校は 結構なところで

皆上場企業に勤めていて 誰もドロップアウトをしていない。8割家族持ちだ。優秀?である。


私は本業が激務で参加出来なかった。


水曜日の夜 6時半から行われたらしい。

平日である。

7、8人は参加者がいたと思われる。グループラインでのやり取りだ。

遅刻者は当然続出している模様。

しかも 祝われる本人は嫁さんが熱を出して欠席。

その嫁さんに対して ねぎらいの声をかけたのは私のみ。その他

欠席者に対してすら ねぎらいは無く。

転職おめでとう!とだけ2件来ていた。

おめでとうも何も

本人は看病中である。


気が利かないのの博覧会である。


実は 今年一回彼等と会っている。


しかし 話題が無い。仕事の話はしたく無いらしい。

家族、子育ての主にコストの話と

ゲームの話を少し・・と言った塩梅である。

卒業して何年経っただろう。みな良いおじさんになった。

皆優秀だ。立派に勤め上げている。

多分出世もしたのだろう。

だが、その集まりは

学生の時より話題が減り

ユーモアと元気が無くなっただけの 中年の集まりだった。

最近どーよ?の答えは

うんまあぼちぼちだよ・みたいな話である。

前回会った後の一年位の間の時間を説明するのに・僅か2秒である。


子育てが大変だ

私立が高い

そんな話がメインになる。

しかも偉くなったせいか気が利かなくなっている。遅刻も多い。

これは仕事では無いから と言う事なのか。


こりゃ部下は大変だろうな・・と思ったりする。


優秀で、学があり、収入もある。

私はそう言った層は 他よりマシだと信じていた。

酷い言い方だ、権威主義的でもある。

でも、それだけ出来るんだから

出来ない面々よりクオリティが高いと思っていた。

私は今の仕事上

ドロップアウト組 みたいな人との関わりが多い。皆滅茶苦茶だ。滅茶苦茶だが

でも もっと優しいし

もっと気が利いたところもあるし(でも破綻してるところも多いが)少なくとも

一緒にいて 話していて楽しい。


大学の同級生・・一応友人ではあるのだが

彼らは 誰かの上司であり

誰かの親なのだろう。

こんなに 気が利かなくて

優しい対応が出来ず

おまけにユーモアも無い人間が 誰かの上に立っている。


この前書いた記事関連で

DVについてちょっと調べたら

小遣いが制限されていて苦しい・・なんてのとは比にならないような(本人の苦しみは状況比較だけで測られるものでは無いが)

エゲツナイDVが沢山ある事を知った。

考えてみれば 虐待だけで年間万単位の世の中だ。と言うか

十万件単位である。。

隣でニコニコしている娘を見て思うが

児童虐待なんて もう 何と言うか

この世の終わりみたいな話である。

それがこの数だ。

そりゃDVだの何だのが どんな状況かは推して知るべしである。

北朝鮮やロシア 中国を見て

何であんな所業が出来るのかと首を傾げるが

日本ですらこのザマである、そりゃ

そうなるのも不思議では無い・と言うのが

悲しいかな正直なところだ。


しかしそうは言っても 世の中しっかり努力してちゃんと働いている人が上に行き

世の中をちゃんとしてくれている筈だ・・なんて

思っていたが


当たり前だが上場企業にも

新人クラッシャー 部下クラッシャーみたいな奴がいる事を 結構前から知っている。


しかしまあ そう言う人もいるだろうが

そうじゃ無い人が大半で とりあえず平和・・などと

ブラック企業で結構精神を破壊されたにも関わらず おめでたく思っていた私がいる。


しかしだ


今回のこの忘年会?的な飲みの一件で

私は改めて思った。


酷すぎない?


この世界は 何もしなければアマゾンだ、悪い虫 困った病気 食べにくい不味い食物などで溢れかえっている。

それをみんなで協力して

悪い虫を避け

病気を治せるようにして

料理などを開発して

嗚呼この世に生まれて良かったね

五感があって良かったね

として来た訳である。

私も美術の人間だが 視覚美術とは

目が見えて良かったね こおんなに綺麗だ!と言うのを担当しているようなもんだ。


この世は スピリチュアルに触れるまでも無く

みんなで協力して

本当はとんでもない世界だったとしても

楽しく改変してやって行こうぜ!というのが本懐の場である。

良いもの 良いサービスを作り、お互い提供し合い 困った時は助け合い

楽しく過ごすように努める・これが

あるべき姿勢である。当たり前の事だ。


力や札束でぶん殴って 奴隷王 みたいなのを目指すと戦争になる。そして

現に大なり小なり戦争状態が

家庭なり国家間で起こっている。当然周囲は少なからず焼ける。

無関係な周辺の人に火の粉が飛んだりする。火の粉ですまないケースも沢山ある。

何の生産性も無い。


おい何やってるんだ・と言う話なのだが

今回この大学の集まりを見ても

あれだけ優秀で真面目な人達でも

そう言った意識が 割と欠けている事を示している。


7、8割はマトモだろうと思っていたが

これ本当は

5割も満たないんじゃ・・と言う気になって来た。


防犯意識を高めよう なんて昨今言われる。

昔は鍵なんかしてなかったのに 今はそれはあり得ない事になっている。


私はみんなで協力し

良いものを出し合い 助け合い

楽しくやって行きたい。大体は良い人なんだから

ごく一部の悪い人に気をつければ良いや と思っていた。

基本的に心のドアは開けておこう

鍵を閉めるもんじゃあないと思っていた。


ところが どうも世の中 そんなおめでたくは無いようだ。

善人の面を被った

悪い人・・とまでは行かなくても

そこまで真面目には 何も考えていない人が 凄くいるみたいだ。

深く考えていないので

自分がやった事がどんな結果を産むのか分からない。悪意はないので良いでしょう

みたいな感じで 周りを汚し散らかす。


不労所得とかもそうで、あれは広義の貧困ビジネス

お金に困ってる人から結果的にお金を毟り取る行為なのだが

投資だ何だと全然躊躇が無い。合法だから良いでしょ?と言う塩梅だ。

考えてもみて欲しい。

家が無い 家を買う金がない人に対して

家を買える裕福な人が 有償で貸し付けて

結果大家さんは 働かなくても利益を

その家を買う金がない人から得るのだ。

複数の賃貸物件を持てば

もはや働かなくても暮らして行ける。

その源泉は お金が無くて家を持たない人から来る。その人達は働いて 家賃を大家の利益込みで上納する、


これはお金がないという弱みを利用した搾取では無いのか?

金貸し 株主配当も同じだ。

誰だって 貸されるより貸す方にまわりたい。

不平等は明白だ。


でも、合法だ。お互い納得の上での契約だ。

資本主義なんだから。

でも 奴隷側は選択肢が奴隷商人しか無い。

したくてしているのでは無い。せざるを得ない。

利益無しの家賃を提示する奴なんかどこにも居ないし、居たとしても(いるのか??)圧倒的に不足している。


泥水しか無いアフリカの村では

泥水を飲むしか無い。それと同じである。

お金とは

値段とは 契約とは

状況的に どうしたらお互いが納得できるか?だけでは決まらない。

どれだけ足元を見れるか?も入ってくる。

お金もまた力だ、力と言う側面を持つ以上 足元を見て従わせる側面を持つ。

お互いが特に困っていない時のみ、値段や契約は真に双方が納得出来るところに落ち着くのであって

片方に弱みがあれば当然それを利用する事は出来る。

それをしないのが優しさ 或いは誠実と言うところなのだが

この世界ではそれは主流では無い。

よく保険屋が言う

私達は慈善事業ではないので・と言う奴だ。

利益をとれるところから取れるだけ取るのである。合法のビジネスだから良いでしょうと言いながら。

勿論不労所得も投資も 合法だ。

誰だって働かないでお金が入って来るのは歓迎だ。合法だから罰もない。

ならば出来る範囲で 出来るだけやるだろう。

そのお金がどこから来て 何を産むかなんて知った事では無いという塩梅だ。


多分 同級生は投資もやっている。

資産形成は出来る人間の一つの責務だと思っているだろう。

それ以上は何も考えていないのである。世間様の合法、価値観に沿って真面目にやってるだけだ。


今更嘆いても始まらない。ただ

ここはもはや 地獄の泥濘なのでは無いかとすら思ってしまう。

マトモな意識の人が少なすぎて 流れなんか変わる訳が無い。


ロシアの狼藉

北朝鮮の困窮

温暖化

格差拡大

中東のアレコレ アフリカやアメリカのスラムのアレコレ


どんどんどんどん悲劇が量産される。

DV 虐待も増えているらしい。

少なくとも結構な件数だ。


これで良いわけが無い。ここはヤクザの世界なのか?暴走族の集まりなのか?


輪廻で克服?来世に期待?

そうかも知れないけど なんの確証も無い。

とりあえず自分は 皆と共存共栄を目指しているし それを目指すに当たって

そらなりにちゃんとしてますよ・と言えるようにしておけば

次は何とか・・ならないか・・とは思う。


少なくとも 何も考えないで

あちこち汚すようじゃ そう言う(みんなで協力して共存共栄を目指す)場所には入れてもらえないのは道理ではある。



この世 この場所

なんかこう 救いようの無さを感じる。それでも多少良くなってると

ビルゲイツの本には書いてあったけど

根本的に良くなる気配は あまりにも遠い。


この世は ゲロゲロな世界で ヤクザや暴走族界隈みたいな所で

そこに生まれてしまったけどどうしよう・・

何が悪かったのか?

とりあえずどうしよう・みたいな意識で居た方が良いんじゃ無いかと心から思う。


これを普通 当たり前と思ったら大間違いだと。


あの先輩 またカンパが足らなくてボコされたらしいぜ。。

何で暴走族にいるんだろ・・


あの先輩が

自分なんだと そう言う気持ちでここに居た方が良いと思うという話。。。。




前回がとても重い内容だったので

連続もイケナイと思うけれど・・。。


スマホで長いメールを打っていて

それがまた 英文だったりして


延々と苦闘して やっと文章が出来た、

さてコピーして 本体に貼り付けて・・あれ

おや

げっ!!


文章が消えたことが何回かある。操作ミスなんだけど

原因なんかどうでも良い。

兎に角パーだ。


私は頑張った。

しかし

その痕跡は最早記憶の中にしか無い。

嫁さんに愚痴る。

嫁さんはやや生返事的に同情する。そりゃそうだ。

あれだけ苦労した文章が このザマである。

一からやり直しだ。


あの苦労はなんだったのか。

教訓はある。この忌々しい不具合をもっと想定すべきだった。しかし

まあ知ってはいた。

得られたものはなんだろうか?


ハッキリ言って何も無い。

ほぼ純粋な損失が

冷や汗が出るほどの怒りと虚無感と共に来ただけだ。


世の中 全ての苦労が報われる訳が無い。

その枝葉の一つが これだ。本当小さな小さな枝葉である。


振り返れば色々な事をして来た。させれられて来た。

前いたブラック企業で取らされた国家資格は

昇給に一円も貢献せず(さすがブラックである)

今の仕事には1ミリの関係も無い。

四つもとった。確かに自信はついた。

独立してすぐの頃は 特に安心感にも繋がった。最悪転職出来るだろうと。


あれから十数年

結局私は独立したまま 小さな会社を経営している。

大学の奨学金もそろそろ完済

480万円という大金だ。奨学金だけでは足らず

それは親が払った。


私の学費は

なんの役に立ったのだろうか?

勿論過去がなければ今も無い。

今に至る何かしらに貢献しているのだろう。だからそこまで後悔して居ない。と言うよりは

後悔しても仕方がないから 考えないようにしている。多分おそらく

何かしらに貢献しているのだろうと・・でも

より良い選択肢があったのかも知れない。

少なくとも今 大学で勉強した事を使う立場では全然無い。


それでもまあ良いやと思えるのは

今が良いからである。

まあ今 良い感じだし

過去を掘り返してもねえ と言う塩梅だ。でもそれは 根本的には単なる評価の放棄である。


使わない国家資格も 学歴も知識も

大変な苦労と、時間と なんならお金もかけたのに・・多分何か役にたったのでは?知らんけど。と殴り書きした

雑なフォルダに全部突っ込まれて 使われる事も無い。


家の整理をした時に

かつての国家資格取得時のノートやら何やらが出て来た。今では殆どの記憶が無い。

当然何を書いてあるかも分からない。

それらをゴミとして処分しつつ


嗚呼

これ多分無駄なんだろうな と思った。


無駄・意味とは何だろうか?

私はマインクラフトを最後までクリアした。

膨大な時間がかかった。


楽しかったのだが

一体全体何の意味があったのか分からない。

国家資格取得はつまらなかった。


楽しかったら良いのだろうか?

人生 楽しかったら良いのだろうか?

そうだと言う人も沢山いるだろう。

だが私はどうもそうも思えない。


私は大層苦労をしてここまで来た。

一方でのんべんだらりと

何ら苦労をせず 何も鍛錬していない生き方をしている人間を見てもいる。

楽しさで言えば 彼等の方が楽しかったであろうと思う。しかし

失礼だが 彼等のようになるのはゴメンだ。


それは負け惜しみでは無い。無理矢理の自己肯定では無い。

意識と言う鏡に映った自分の問題だ。


M性感マッサージ店の広告を見たことがある。

性欲魔人は様々に興味が出るものである。


画面には

ひたすらに叫び 痙攣し 絶頂を延々と迎えている殿方と

なんか妙に職人仕事を淡々とこなすような女性が映し出されていた。


誠に気持ち良さそうである。

しかしだ

殿方はあまりに無様だ。

そりゃ M性感である・無様はご褒美だ。M気質も持ち ただ持て余している私にとって

その無様はある種の羨望の的になり得るものだ。


しかしそれにしても酷い。


何もかも投げ出して と言うレベルだ。


アレをやってしまうと

アレをやってしまった歴史が残る。


無理して我慢して

綺麗な自分を維持すると言うのは

それ自体がSMのようだと揶揄される・・気もするが

しかしだ。


そこまでして

あそこまで無様になってまで

快楽が欲しいのか?


私は 世にいる、怠惰を貪っている人を見るとそう思う。

誰かに寄生しないと

この世では楽して良い思いは出来ない。

その姿は

M性感で痙攣をしている殿方の比ではなく 苦く醜い姿に映る。

エルデンリングの忌まわしいキャラみたいな(やってないが印象として)

嗚呼 もうこれ

嫌なものだけを精錬して加算したな みたいなものを感じる。


リアルなウンコの入れ墨のように

隠しても 自分にだけは映っている。

自分だけは 自分の認識として

ウンコの柄が入っている自分が付いてくる。

過去の黒歴史とはそう言うものだと私は痛感している。

その逆も然り。


M性感でひとしきり痙攣した過去など、せいぜい疲れた夜の布団キック案件でしか無いが

散々人様から甘い汁を吸い続けた歴史は

どうやって挽回するのか?

これは前回書いた事でもある。

トンデモ無い事だ。


話を戻す。

私は難関国家資格を取った自分が誇らしい。役に立たなくとも。

でも 別に四つも取らなくても良かったと思う。放射線関係の資格なんて

さして難しくも無く 全く使わず

あれは要らなかったと思う。

大学出て良かったと思うが

あんなに学費が高いところであった必要も無い。偏差値も だ。


前いたブラック企業からは多くの教訓を得た。

でも、あそこまで追い詰められるまでいる必要はなかった。

6年以上耐えたが

そんなに長く耐える必要は無かった。


楽しくも無く

特に意味も無いものが沢山ある。

そんなにスマートに生きられないのが人間だが

無駄は無駄なのだ。


いきなりだが

自分の事が好きで

自分の事を誇らしく思える事は大切だ。

自分を信じてやれるようになる事もまた とても大切な事だ。

と言うより

その逆が地獄すぎる。


私はそれらを達成しているが

その為に色々頑張った自負もあるが


しかしこれらを達成した今

それ以上を無理矢理 苦労してまで求める必要は無いと感じている。

自分の事をもっともっと好きになりたいし

誇らしく思いたいとは思うが

そんな苦労しなくても 今で全然オッケーだ。

ここまで来れたら あとはゆっくりで良い。地獄な状態は去ったのだから。


ただし 逆に地獄な状態にいるのなら

遠回りしている間余計に 地獄の日で炙られる事になる。

要らない国家資格を取ってる時間

ブラック企業で悶絶する時間

高額の奨学金を返している時間

これ、少なくとも地獄から出なきゃいけない時に

やってるもんじゃ無かった。

マインクラフトは・・

やってても楽しいから悪くは無いが

地獄の火で背中が炙られている状態でやるより

地獄から出てやれば良かった気はする。

しかし娯楽は

地獄から出る為のエネルギーチャージの意味もあった筈だ。だからマインクラフトに後悔は無い。

だが余分な資格取得や

奨学金返済は

そこまで大きくは無くとも 何とかならんかったもんかね・・という思いが残る。


こんなに高い勉強料じゃ無くても良かったのでは?という事だ。


報われる苦労もある。

でも、高すぎる勉強料なんて 単なる悲劇だ。


この世はお買い物の場だ。

何かを得る為に 何かを支払う。

要らないものに高いコストを支払うというのは

そういう事をすると損するよと言う悲劇的な教訓のみを得る。

その教訓の値段

安い方が絶対良い。


要らないもの

欲しく無いもの

ダメな買い物の教訓に発生する勉強料は

必要最低限に抑えたいものだと思う。


過去の自分も含めて

苦労している人に私は強く問いかけたい。


その教訓の勉強料

まだ支払う必要本当にあるの?と。


これはどんどん厳しくなるこの世界で

とても大切な問いかけになると 私は思う。。





これはとても大切な事で

私の 人生の大きなテーマでもあった事だ。

本当ついさっき位に 一区切りついて 感動すらしたので記しておきたい。


私の人生は 良いことも沢山あったが

とてもとても辛いことが沢山あった。

子供の頃は 学校のイベントがとても辛かった。喘息持ちなのにマラソン大会 大の運動嫌いなのに、体育のみならず各種レクリエーションまでドッチボールの時代だった。

会食恐怖症持ちなので 修学旅行も地獄だった。

私の親は苦手なものを克服させるべしと逃げ道を塞ぎ やりたく無い習い事が学校以外にもあった。しかも親は出来の良い弟を贔屓していた。

行きたかった美術の道は 親がそれで苦労したために塞がれ

代わりに半強制的に入れられた大学の奨学金約五百万の借金を着せられ

入った企業はブラックパワハラ系 しかも薄給

何もしなくても吐くようになり 周囲の反対を押し切って独立

ノーサポートでここまで来た。しかも家内は子供を欲しがり

責任も増えた。子供は結果的に莫大な幸福をくれたけれども。

私は人に助けられた記憶が殆ど無い。本当に辛い時 私は1人で何とかした。


今もまた

自営ならではの終わりのない不安感と 膨大な仕事量に目眩がしている。


だけれども

これだけの修羅場をくぐり

メンタルを病んでも

私は一体全体何が悪くてこうなったのか 分からなかった。

確かに辛かった。しかし

私は今持ち家がある。ローンは無い。安いけれど良い家を一括で買った。

貯金も 2年くらい遊べるくらいはある。

立場もある。

家族も居る。

あの忌々しいストレスソース共ももういない。


でも 心は暗闇の底のようだった。

それは疲れなのかと思っていた。


そんな時

嫁さんに小遣いを制限されまくって

年収一千万なのに 調子の悪いスマホすら買い替えられない

困窮しているとある部長さんの人生相談を見てしまった。某新聞の人生相談コーナーだ。文を読めば明らかに家計は苦しくないのに

二万円ちょいの小遣いで昼飯代まで賄わされている 悲惨な内容だった。


ただ ちょっと誇張感もあったが・・(多分小言を言われながら補填されている感じと見た)


ただそれがあまりにも胸糞悪く 頭から離れず

どんな時もフラッシュバックするようになってしまった。

何故だろうか?

自分の事ではないのに・・でも

どうにもならないやるせなさが 頭をぐるぐる回っていた。


何故だろう?


何故こんなにも。。


実は過去にも同じことはあった。

所謂 ちゃんと働いているのに家族に制限されて苦労している図が

私には 何日も頭から離れないくらい胸糞の悪いニュースとして残るのだ。自分ごとではなく

もっと悲惨な人が沢山居ると知りながら。



そして私は気づいた。


これは

正しさという名の呪いの アレコレだと。


先程の部長さんの例を見れば

子供は大学生 縛りはもう無い。

稼いでいるのは本人。

稼ぎの振込みを自分の口座に(口座が無いにしても作る方法はいくらでもある)して管理する事は何も問題は無い。

ついでに過去の 理不尽なやり取りも記録して法的優位性を確立する事も出来るだろう。少なくとも不利になる話では 書いてある限りは無い。

少なくとも交渉は十分に可能だ。


何故本来優位に立てる人間が 弱者のように搾取、或いは苦しめられているか謎と言うのが根底にある一件だ。

嫁さんの恐怖政治と洗脳 と言うのもあるかも知れないが

部長職まで登り詰めるガッツと知性

立場の優位性を考えると それだけと見るにはちょっと無理があると思う。


しかし

私もまた

好きな事を我慢して

沢山の修羅場をくぐりここまで来たが

やりたい事は十分に出来ているとはおよそ言い難い。

ストレスは凄まじく

終わりは見えない。

お金はあるが

自由に使うには 嫁さんの反対はなくとも

罪悪感はある。それが大きい。

私だけ旅行、グルメ、

買い放題と言うのは どうだろうか?

性欲の不一致を理由に風俗に行くのは如何なものか?

そんな罪悪感から

膨大なストレスを一手に受けておきながら

たまの娯楽を摘む日々であった。

それくらいしか落とし所が無かった。

×家族全員ではコストは膨大だ。

しかも半分付き合わせての娯楽は

気持ちの良いものでも無い。私が稼いだとはいえ

家族のお金なのだ。その使い方は良いとは言えないだろう。


しかしそうやって我慢し続けて

それでバランスが取れるわけがない。


今あえて

私は自分に、何故こうも苦しんだのか?と問いかけた。


先程の部長さんは

嫁さんに逆らわず苦しんだ。

私は 今までの流れで

それでも真っ当に 真面目に取り組んで苦しんでいる。


どちらも 稼ぎの恩恵を十分に受けているとは言い難い。

誰かに渡しているからだ。

だが稼ぎの対価としての労働ストレスは全部自分に来る。

結果バランスを崩す。


何故渡している?

例えば先程の部長さんは

脅されて 無理やり取られているのか?

脅されているかも知れない。精神的DVなるものがあると聞く。

洗脳というのもあるかも知れない・・知れないがしかしだ

その脅しとはなんだろうか?

夫からの強烈なDVと恐怖政治という例もある。

それは収入優位、物理暴力などの合わせ技で

文字通り 抗いがたい 強烈な力の行使だったりする。

しかし今回の部長さんは根本的に

何に脅されているのだろう?何に洗脳されているのだろう?

私も私で 何に怯えて ここまで我慢したのだろう?

力はこちらにある。

思い悩み心が暗くなるほど追い込まれる道理は本来無い。


揉めるのが面倒だから?

それはある。大変だ。

大変だがしかし 仕事だって大変だ。

仕事はするのに

なぜ揉めるのはしないのか?悩むほど辛いのに。。


揉めるのが面倒だから 出来るのにしない。

あえて負けているのだ。

あえて搾取されているのだ。


もっと言うと

先程の部長さんの嫁が 偏った人間である事は濃厚であるにせよ

悪意の塊かどうかは分からない。断定は勿論他者には不可能だが・・


ただ私の家族は少なくとも

率先的に私から自由や資産を奪ってはいない事は確かだ。


どこまで本気でとりに来ているのか。

そこまで搾取意図100%で向かって来ると言うのもなかなか考え難い。仮にそうだとしても力の優位性は無い。その時点で 負け戦に全力を出して来るのは 余程の狂人だろう。


つまり 相手は全力で搾取姿勢は出し難いのだ。

何かしらお題目が必要で

それは正当性というものだが 正当性のある搾取には限界がある。言い方は悪いが

頭がまわる人間に対しての洗脳搾取にはかなりの限界がある筈だ。

こんな状況で

どうして悩み苦しむまで 稼ぎという

ストレスの対価を渡してしまうのだろうか?


おかしいだろと。

何故その流れを変えられるのに変えないのかと。



その部長さんも 私も

いつでも稼ぎの差配権を握る事が出来る。なのにそれをしない。


部長さんの例で言えば 

自らを制限の海に沈めて 苦しんでいて

制限の主は嫁さんだが

その玉座に座らせているのは 敢えて座るのを許しているのは部長さんだ。いつでも 法律上でも正当にその玉座に自らが座る事は可能だ。


嫁さんは圧政をしいている。

玉座に座らせたら 暴君になった。

そのままで良いのだろうか?何故いつまでも 暴君になってしまう椅子に座らせているのだろうか?


これはまるで

泥棒の素質がある人間の前にわざと現金を置いて

泥棒させてしまうような行為だ。


暴君になる人を玉座に座らせて

自分が苦しむほどの貢ぎ物を 常に暴君の前に差し出す。

それを変える事が出来るのに それをしない。


それは良い事なのか?

それは本当に 人の道なのか?


確かに モメるのは面倒だ。

しかしモメるのを面倒がって相手を加害者にしてしまうのでは

まるで

叱るのが面倒だからと、子供を甘やかして腐らせる親のようだ。

甘やかして子供が腐っても せいぜいニートにしかならないかも知れない。しかし大人は違う。


その部長さんの嫁さんは

悪意の有無は兎に角として

それだけ 稼ぎを奪い苦しめたという自分の歴史を背負う事になった。それは本人にとって

良い事なのだろうか?


曲がりなりにも結婚まで行き着いた相手だ。暴君として振る舞うようなポテンシャルを持っていたとしても

それは 少なくともかつての恋人ではあった筈だ。

その人を

罪人 非道のように汚してまで

稼ぎを渡し苦しむ その行為は本当に

仕方が無かった・で済まされるものなのだろうか?力の優位性を持つ者として

その差配は 看過できる範囲なのだろうか?


私はその部長さんを断定しない。所詮は短い文字情報のみで、詳しくは知らないから。

その上で

だけれども これから書く事は

もう一つの 根本的な裏側を記したものだ。


自分が苦しんでまで尽くすと

相手がその利益を得るだけではなく 実は大きな対価が

奉仕側に来るという話だ。


それは

正義 なのだ。人としての正しさなのだ。

家族に尽くすべし

家族を喜ばすべし

人を幸せにしてこそ

自己犠牲の精神で 人を幸せにしてこそ・・

そんな正義感と自己犠牲を良しとする価値観が

奉仕を産む。


自分がしたい事をして

他人を怒らせるような事をしてはいけないよ

人に迷惑をかけてはいけないよ


その価値基準に反してはいないか

その不安感から

怒る人に逆らえなくもなる。


自身の潔白と

正当性を欲しいが為に そうなる。


家族に尽くさない自分

家族を幸せにしないで自分を幸せにする自分

自己犠牲を嫌がる自分・・エゴイズムな自分


そんな自分は真っ平ごめんなのだ。

相手が怒り出すと 折れてしまうのは

相手が怖いからではだけでは無く

何かしら向こうに正当性があるリスクが怖いのだ。

自分が何か少しでも悪いところがあったら

それで相手が怒っているのなら・・


そのリスクを考えると

基本出来るだけ折れた方が 自身の潔白を保持するには最善だ。

自分の苦しみとは 自分が被害者である事のシンボル

少なくとも加害者では無いというのの印なのだ。


苦しもうが悩もうが

自分が悪者になるのを避ける事が出来る。苦しみ悩むほど

自己犠牲さも増える。それは潔白の安心保証だ。

相手の事はお構い無しだが。


事実 その部長さんの人生相談は

明らかに嫁さんが悪者として書かれていた。弁明の余地の無い加害者として、非がある者として書かれていた。書いてある事が事実なら

世界と言うキャンバスに

嫁さんは悪者と言う 加害者と言う名前をまさに描かれているだろう。

そしてそれと表裏一体で

被害者であり 自己犠牲をして奉仕をしていると言う看板を部長さんは獲得している。

看板だけでは無い。

事実 意識として

自分の過去は大きなウエイトを占める。

黒歴史を思い出して布団の中でもがく様に

過去の過ちは 成長の後大きな苦しみと後悔の塊となって 様々にその人の心を苦しめる。

その逆もしかり。

辛くても苦しくても耐えた経験

自己犠牲で奉仕した経験は

過ぎ去れば笑って話せる事になる。

その傷は名誉の勲章にすらなる。

マイナスの過去にはならない。自信と誇りと教訓、そして笑い話のタネになる。


輪廻まで話を持っていくと話がおかしくなるかも知れないが それはさておいても

長い長い自分の歴史で

やはり歩いてきた道 過去はとても大きい。


確かに耐えるのは苦しい。困窮は辛い。

だが、罪を背負うと言う事の苦しさとリカバリーの大変さに比べれば それは比較にならない。


2億やるから 貴方の近くにいる家族や人を拷問にかけてよ。苦しめて人生を台無しにしてよ。

勿論逮捕も何もされないからさ・と言われて

何人の人間がそれをやるだろうか?


しかし緩慢に

ある程度以上分かり難い形で それは行われている。拷問をしている本人は大変な罪を重ねている自覚も、その行為が拷問であることも

その後の大変さも分かって居ない。


被害者はいつでも 流れを変える事は出来たはずだ。多少面倒ではあっても。

でもしなかった。

部長さんの例で言えば

罪が嫁さんに蓄積されて行く。何年も苦しめたと言う事実が積み重なり 挽回の余地が寿命と共に削られていく。


名前を伏せた新聞での投稿ではあったけれど


ーー


私は貴方のせいで辛かった。

私が苦労して稼いだお金を占有して 困窮させたのです。かなりの稼ぎがあったのにそれを占有して

困窮レベルまで追い込んだ。それは酷い事です。

家族に稼がせて、占有し、困窮に追い込み 精神を時に病ませるまでした。

貴方がして来たのは そう言う事です。


貴方は北朝鮮の独裁者と変わらないような事をしたのです。

貴方はそう言う人間です。


ーー

と言うような事実が

蓄積していく流れの上に嫁さんを置いて その流れが放置されている。


北朝鮮の独裁者は酒池肉林を楽しんでいるかも知れないけれど

この部長の嫁さんが得た対価はせいぜいちょっと豊かな楽な暮らしのみ。そして半殺人みたいな罪の歴史が付いてくる。

忘れたようで

自分のしてしまった過ちはしっかり残るもの・・

その大変さ リカバリーの辛さと言うものは 筆舌に尽くし難いと私は自分の人生で強く学んでいる。

当時その時は大したことでは無い気もするのも怖いところ・・


膨大な罪の蓄積

そんな人生を望む人がどれだけいるだろうか?

麻薬王ですら地元に奉仕するこの世界で

安い ちょっとした豊かな暮らしと引き換えに

膨大な罪を背負う人生を誰が望むだろうか?



これは狡猾な罠なのだ。

或いは致命的な怠惰だ。


私の冒頭の文にもそれが出ている。

私は 私だけは

真面目に頑張った。親も 家族も 私を救わず

それでも私は家族に気を使って自分を律している・

なんとも素晴らしい人間であろう。



と言う事が書かれている。

私は常に被害者で 逆境で しかも1人で

それでもここまでのし上がった まるでヒーローだ。


その輝きを得る為に


私は周囲を汚したのだ。

助けて貰えなかった?いや

少なくとも途中から

助けさせなかった。

様々に搾取されたのは事実だが

完全に向こうが悪くなるまでつけあがらせた。

必要以上に従順で そしてより弱者として振る舞った。

私は他人に声を荒げた事はとても少ない。

加害者になるのが嫌だから。

戦わなかった。戦って 主張しあって

お互いの落とし所を見つけようなんて思わなかった。面倒だ。


折れるから、私が折れれば

私は相手のために自己犠牲となり

しかも折れる事が出来る大人という看板・忍耐強い

争いを好まない 優しい人間と言う看板・

そんなフルコースが手に入る方を選んだ。

その結果相手が罪穢れる事になろうと知ったことでは無い。

手を出したあなたが悪いのだ・である。


何故面倒な事をしてまで 貴方の罪を避けてあげる必要がある?


罪のリンゴを置いたのは私だ。でも取らせたわけでは無い。

その罪のリンゴをあなたが取っていけば

私には自己犠牲だの潔白だの奉仕者、優しさや忍耐力だのと言った勲章が手に入る。

代わりに貴方は 罪汚れる代わりに

良い思いが出来る。それで良いからそのリンゴを取ったのだろう?

責任すら 私は負わない。


この一見完璧なディールを組んだのは 私である。

罪のリンゴを差し出せるのは

差し出せるリンゴを持つ者だけだ。


何かを分ける時

平等に分けるのは難しい。とても大変だ。

ともすれば 自分が多くもらってしまうリスクがある。

それでは自分が悪者になってしまう。だから

人は何かを分ける時

自分のを敢えて明らかに少なくする。

それは優しさだけでは無い。

罪汚れを確実に避けるためには

確実に損をすれば良い・と言う事だ。そらくらい分かりやすくすれば大丈夫

そうやって 江戸っ子の一つ残しのようなものが生まれる。

野暮 強欲 ワガママ

そんな汚れを避けようとすればこそ

平等よりちょっと損 明らかに損を選ぶのだ。


食い物ならそんな感じでも良いかも知れない。

だけどもっとそのスケールが大きくなった場合は文字通り洒落にならない。


これは呪いだ。

非常に狡猾な呪いだ。

私は あなた方のような 罪穢れた 愚かな罪人とは違う。

能力も高く 自己犠牲をし

人を幸せにし傷つけない 優れた存在である。


その優位性に

承認欲求は甘く甘く酔いしれる。


なんて悲しい呪いだろうか。

自分が不幸になるまで あえて奉仕し

愚かにもそれを受け取らせる人間を使って 汚して

代わりに自分を飾り立てるこの行為。

ノせられる人間は 自分がどれだけの汚れを蓄積しているかもロクに知らされず

ガツガツと罪のリンゴを食べる。

やった得したラッキー 位にしか思ってないだろう。

しかし 本来はその罪のリンゴを引くことも出来るのにそれをせず

苦痛と引き換えに様々な勲章を得る方の悲しさよ。


それが

力を持ったものの

能力あるのもののやり方か?その差配は

まるで 罪人のポテンシャルを持った人間を利用し そのポテンシャルを引き出して

代わりに勲章を生産するシステムそのものだ。

勲章を得る方はそれで良いかも知れない。

だが罪人のポテンシャルを引き出された方は

もうメッタメタだ。未来に大きな禍根を残す。

それを かつてではあっても

恋人にするのかと。


私はこのやり方を

他の人の中にも沢山見ている。

前まで不思議だった。

優秀で気の優しい奴が

鬼嫁?に苦しんでいる。なんであんなに優秀な人が・・と思う。

仕事はあんなにコントロール出来るのに・何故家族はこうもコントロール出来ないのかと不思議だった。


違うよね。

コントロールして

あの状況を作り出したんだね。

優秀で頑張り屋の自分

そこに罪汚れがついては気分が悪い。ならば

相手の悪いポテンシャルを引き出して

罪はそっちに引き受けさせよう。自分は奉仕者の立場を得よう。

私は より潔白でいたいし、より誇らしい存在でいたいから。

面倒な事をしてまでその流れを変えるより

ずっとスマートで 効率的だ。


そう言う事なのだね。


私もそうだが

この世界は 沢山の理不尽がある。

辛いことが沢山ある。

だから 自分を慰めたい。

でも、凄い娯楽や成功なんて 望めないんだ。

みんなにワーキャー言われたり 凄いね!なんて言われる事はとても難しい。

ちっぽけな自分が

この大変な世界にいる。凄い人が沢山いる中で どうやって自分は自分を好きになれるだろう?

どんな勲章を自分に与えられるだろう?


その時 手っ取り早く手に入る勲章がある。


良い人 素晴らしい人

だ。


1番では無い。凄くは無いかも知れない。

でも 良い人と言うのは

善い人とは

間違って無い人とは

正当性がある。

居ても良いと言う分かりやすい保証ではある。そして

素晴らしい人とは 存在の肯定そのものだ。

せめてそれくらいは欲しくなる。


私は成功もしていない、たいしてお金もない小市民だけれども

少なくとも人の道に外れた事をしていない。

私は悪ではない。私は間違った事はしてはいない。

ならばそれはそれで

慎ましやかであっても 私は輝いている。



それに加算して

利他の精神があり 奉仕

自己犠牲をしてまで人を幸せにしたのならその分


素晴らしい人


と言う勲章が手に入る。


その勲章を

周囲に居る ある種のガードの甘い人達を利用して形作る。


どうせこの人生 大した花が咲く見込みもないのなら

幸福はこの際要らない。餌としてくれてやるから

その代わり 私を飾る勲章をよこせと

そんな罠を狡猾に張っていたのだ。


私は今 敢えて自分に強く強く戒めたい。


人が悲しむほど 辛くなるほどに何かを奪ってはならない。

同様に

自分が悲しんだり 辛くなるような奉仕をしてはならない。

それは同じ行為だ。とても醜い 地獄の行為だ。

呪いそのものだ。


人は本来 自分が喜ぶ範囲で与え

誰かが喜ぶ範囲で貰う

それが最低限守らなければならないモラルだと。


私もやってきた

正しさという名の呪いは

それはそれは本当に酷かったと 次回を込めてここに残したい。