故郷回帰シリーズとは?


私が育った町である藤岡町(現栃木市藤岡町)のアレコレを紹介しちゃうシリーズです。


まずは有名どころから攻めて行きますので・・・

後になればなるだけ、ディープさを増して行きます。

お楽しみに。


さて今回は、かつて渡良瀬遊水地内にあった、旧谷中村跡を紹介します(^O^)/。


遊水地内にあったと書きましたが、正確には谷中村があった場所に遊水地を造ったとの表現の方が正しいかと思います。


谷中村・・・田中正造の足尾鉱毒事件で、聞いた事・目にした事があるかも知れません。

まずは谷中村について。



案内板をupにしましたので、ぜひぜひ一読下さい。



とこれが、谷中村だったのです。


跡地を少し歩いてみました。


最終的に残っていたのは、2500人・387戸だったとの事。

今みたいな広い村ではなく、昔の村だったのでしょうから、なかなかの人数だったのではないでしょうか。




まずは役場跡から。


当然ながら何もありません。

とても寂しい感じが漂います。


しかも、この日は強風につき、その寂しさ感は、なおさらでしたね。



★大野孫衛門屋敷跡

役場のすぐ隣にあった様子。

村長さんみたいな役割だったのでしょうか。


★大野音二郎屋敷跡

当然何もありません。




役場跡周辺図

白抜きになっている部分には、建物名称や、住んでいた方の名前が書いてありました。


その中に、ある苗字を発見!Σ(゚д゚;)


実家の近所によく遊んだ同級生がいるのですが、そのお婆ちゃんが谷中村出身なのです。

その子の苗字がありました


2軒同じ苗字がありましたが、そのどちらかがそうなのかも知れません。

ちょっとビックリしました。





案内図によると、この辺りにも家が建っていたはず。

でも、現状はこの状態。




多分この辺りもそうなのでしょう。

今はキレイな遊水地ですが、かつては村があったのです。



この先にも遺跡があるようなので、行ってみました。

途中まで行ったのですが、見つけられずに戻ってきてしまいました。



で、後で気づきました。←看板を後から見た

R掛っている橋の所(写真中央右上辺り)までは行ったのですが、遺跡はその先にあったようです。

相変わらず要領が悪い私めでございます(´□`。)。



藤岡町民でも、知っているようで知らない谷中村。

後日、もう少し調べたいと思います。


今日はこの辺で〆。


それでは。