ブログに書きたいと思う出来事が日々あるのですが

 

週6おはようからお休みまでワンオペで

しかも息子と夫が風邪をひいちゃったりで孤軍奮闘しておりました。

 

 

私、家族で最年長のアラフィフなのに。

更年期症状もキテるのに。

自分で言うのもナンだが、すごいがんばってる。

 

 

がんばりすぎだぞ自分。

欲しいジュエリー、しれっと買ってもいい気がするぞ。(買わないけど)

 

 

 

そんな今日この頃です。

 

 

 

 

 

さて先日6歳になった息子の話。

 

身体の使い方が苦手ですが

体を動かすことは大好きな息子。

 

 

 

夏から秋にかけて開催される

身体、精神、肢体のいずれかに障害を持つ児童のためのスポーツ教室に参加させてもらってました。

 

 

そこにはいろんなお子さんが参加されていました。

 

多動の子、知的障害の子、自閉の子、肢体不自由の子、ダウン症の子など、、

 

 

 

そこで自閉傾向のある息子の

独特のわかりづらさを目の当たりにすることが度々ありました。

 

 

 

 

 

基本的にスポーツ教室の活動場所は日によって色々で

 

 

この日はプール

この日は運動場

この日は体育館

 

でやります、という感じでした。

 

この、『開催場所についてのスケジュール』については

事前に渡されていて把握できていました。

(いわゆる親スケジュール)

 

 

そして

『本日の活動内容スケジュール』(いわゆる子スケジュール)については

毎回、ホワイトボードで書いて説明してくださるのですが

 

 

たとえばこんな感じで

 

たいそう

サーキット活動

大きな布を使った遊び

パラバルーン遊び

おわりのあいさつ

 

 

 

 

 

しかし

各活動内容についての細かい説明(いわゆる孫スケジュール)

については口頭説明だったんですよね。

 

 

 

 

 

あるとき

 

 

(玉入れの玉を入れるカゴのところまで走って戻ってこよう!)

 

 

 

 

 

という先生の指示でみんなヨーイドンしたわけですが


ひとり、全く違うあさって方向へ走り出す息子馬

 

 

 

 

 

 

 

おいおい、どこ行くんだよ‼️

と誰もが思ったそのとき

 

 

 

息子の走る先には

 

 

 

投げる前の玉いれの玉を

まとめて保管していた買い物カゴがありました。

 

 

 

 

そして

そのカゴにタッチして全速力で戻ってくる息子!!

 

 

 

 

 

 

確かに

 

 

玉入れの玉を入れるカゴ

 

 

 

に間違いない。

 

 

 

 

しかし

ほとんどの子は

先生の話に注目していれば

自分の立っている場所から目線まっすぐの位置にある

玉入れの玉を入れるカゴ(↓こちら)へ向かって走り

そのカゴを基点にぐるっと回って帰ってくると理解できると思うんです。

(知的障害があり言語理解が難しいお子さんや肢体不自由のお子さんは別として)

 

 

 

 

 

わざわざ、自分の立っている場所から見て

斜め右の先の先の方の片隅に置いてある買い物カゴには向かわないと思うんですよね。

 

 

こういうの、私には息子がそのカゴに向かった意味がすぐ理解できるんですけど

 

 

先生たちは

(そっちじゃないよー!こっちだよー!)

と叫ぶわけです。

 

 

当然のように

そう指摘された息子はきょとんとしてました。

 

 

 

 

 

 

息子は発達検査において知的障害はないとされており

言語理解についても平均的な数値です。

 

 

しかし、自閉症特有の認知機能の障害がやはりあるのも痛感します。

(悟りにくさ、要領の飲み込みのわるさ、理解しにくさ、意図したように動けない、判断力のなさ)

 

 

WISC-Ⅳ知能検査をうけてわかったことですが

ワーキングメモリー分野だけ他の分野(言語理解、知覚推理、処理速度)と比較してかなり低い数値なのです。

 

(一般的に4つの指標得点について一番高い項目と一番低い項目の差が15以上であれば能力に凸凹があると診断され、その差が大きいほど日常生活に支障がでるとされる)

息子の場合、その差が30以上あるのですよね。

 

 

 

(いわゆる凸凹の凹の部分ということで、これは障害以外の何物でもないと思うのですが、全体的に見たときに知的な遅れはないとされるIQなので、療育手帳は発行されません)

 

 

で、

ワーキングメモリの低さは

 

 

特定の物事に集中することが難しかったり

耳から聞いた会話や指示を一時的に記憶しながら処理するのが困難

 

みたいです。

 

なので

 

  • 口頭指示ではなく、資料やメモを使いながら話す
  • 話すときは簡潔にまとめる
  • 話し手に注意を向けてから話す

 

という工夫があると理解しやすいみたいです。

 

 

 

 

 

以前保育所等訪問で

療育の先生や相談員さんが息子の通う幼稚園を訪問した際

「園の視覚的支援の少なさから、息子の混乱を招いているのでは?」

と園側にご指摘してくださったようなのですが

 

 

 

うちの園は子供との対話を大切にしています!

話せばわかる!

との、園の謎スタンスがゆるがなかったみたいなんですよね。。

 

 

 

だから

園長はじめ先生方は(私の前では)すごーーーく息子に話しかけてくれるんですけど

息子は降園時「楽しくなかった」の一点張りだし

いまだに園の教室に視覚支援なるものは存在してない様ですし

なにかちょっとずれてるんですよね。。。

 

(年長時からの転園ですし、今更園にいろんなことをお願いしたり相談するってよりもう卒園だから無理に行かせなくてもいいかと思って、あまり行ってないのですけどね)

 

 

 

息子、言語理解ができているとはいえ、表出言語はまだ発展途上でして

流暢に話してるな…と一見思われる話しっぷりが、まるごと遅延エコラリアだったりするんですよ。さすがにこれは私しか気付けないのですが。

 

実の父親である夫ですら、息子の言いたいこと理解しきれてないのに

先生たち、対話でわかりあおうとかちょっと待ってよおいでと思ってしまう。

 



この玉入れのカゴ問題を経て思ったのは

 

 


 

『理解してるよね?』

 

 

 

 

と伝える側が思っていても

本人にとっては生半可な理解であることが多く、違った行動をとってしまうことがある。

 

しかし時として

わざと違ったことをやってると思われて、注意される。

 



そういう経験を息子はいままでたくさんしたのかなと思う。

私もたくさん注意しちゃっていたと思う。

 

 

 

 

息子のわかりづらさ

母親の私でもまだよくわからないことだらけだから

人に理解してもらうのかなり大変だなあって痛感しますね・・・

 

 

 

 

 

でも

今より発達障害、自閉症などに理解のない時代に

我が子の困難さを理解するために暗いトンネルを手探りで掘り進めてくださった先輩のお母さん方をはじめ

ご家族、療育者、医師、その他の心ある方々が模索しながら紡いでくれた今があると思うと、深い感謝の気持ちが芽生えます。

 

 

そういう方たちの想いを無駄にしたくなくて、

自分なりにバトンをつなげたいんです。

 

 

 

我が子を含め、

みえない障害を持った子たちへの理解がもっともっと広がるように

そしてそんなわかりづらい困難さを抱える子たちがより人生を楽しめるよう

私にできることを考え、し続けたいなと思います。

 


何はともあれ


わたしの人生の

学びの先生である息子の存在に感謝

いくつになっても学びばっかだなぁ〜!!