YAHOOブログから引っ越しました | 演劇実験室◎天井桟敷の人々

演劇実験室◎天井桟敷の人々

寺山修司が率いた演劇実験室◎天井桟敷、そこにどんな人々が集い、その後の人生に「体験としての天井桟敷」がどのように投影されていったのかとても興味があります。
退団後の1000余の生き様、それもまた寺山が仕掛けた壮大な劇なのかもしれません。

管理人の夜空です。

2019年12月15日でYAHOOブログが終了となりました。

 

こちらで過去の記事をご覧になる方のために簡単にこのブログについて

ご説明します。

 

このブログ「演劇実験室◎天井桟敷の人々」 では、1967年に結成され1983年に主宰の寺山修司が亡くなるまで存在した

劇団『演劇実験室◎天井桟敷』の劇団員

(ここでは研究生・周辺関係者などを含んだ総称としています)のその後を検索して記事にしたものです。

 

およそ1000人とも言われる「天井桟敷の人々」のリストは存在しません。

ですが、資料は二つ存在してます。

一つは1977年に土曜美術社から出版された「幻想舞台写真帖」、

もう一つは、天井桟敷が公演のたびにチラシを兼ねて発行していた「天井桟敷新聞」です。

前者には1977年の出版時までに在籍した劇団員の中から219名の顔写真が掲載されています。

いかにもアングラ劇団的な芸名を名乗っている場合もあり、検索不能な方々も少なくありませんが、

4年半にわたってコツコツと積み上げ2018年1月に終了しました。

 

 

後者の天井桟敷新聞は1967年の旗揚げ公演「青森県のせむし男」号から

最終公演となる1983年の「レミング」号まで計26号が発行されています。

全作品のスタッフ・キャスト・リストから上記の219名を除いた劇団員(「幻想舞台写真帖」出版後の入団と思われる)が

数十名判明していますが、いつの日かチャレンジしたいと考えています。

 

このブログは、できれば最初のページから読み進めていただければと思います。

主宰の寺山修司など有名な人につきましてはwikiを始めとして情報も多いのでここでは短めの記事になっています。

 

より関心を持っていただくために、年内に数回にわたって顔写真を再掲載する予定です。