僕らの育った時代は、「失われた20年」の時期でした。

ニュースでは、不況やリストラといった話、世田谷の一家殺人事件、大阪池田市の小学校無差別殺人事件、長崎で女子小学生が同級生を殺害するという悲しい事件が流れていました。

それなのに、「最近の若者は元気がない」と言われます。

 

また僕の世代は、いわゆる「ゆとり世代」とも言われます。

僕らは、自分で選んだわけでもない、大人が決めた社会を一生懸命生きてきました。

それなのに、「これだからゆとり世代は」と言われます。

 

学校で、政治や宗教の話について教えてもらう機会はあまりありませんでした。

なんとなく、政治や宗教に触れてはいけないのかなと思いました。

それなのに、「若者は選挙に行かない、道徳心がなってない」と言われます。

 

公園でボール遊びをするなと言われました。遊ぶお店もやがてなくなりました。

それなのに、「今の子はゲームやスマホばかりして」と言われます。

 

高価な服や高いかばんを買っている人がいました。たくさんの女の人と遊んでいる人がいました。お酒をいっぱい飲んでいる人がいました。

その時は楽しそうでも、しばらくしてから見ると、幸せそうには見えません。

 

パソコンや携帯電話が普及したり、宅配サービスなど世の中はどんどん便利になってきました。

けれども、みんななぜか疲れた顔、怖い顔をしています。

 

「内平らかに、外成る」

平成に生まれ、平成に生き、平成が終わろうとしている。

実に不思議な時代でした。

 

横綱・日馬富士が後輩力士への暴行を認め、引退しました。

 

今回の騒動、これほど騒ぎになる問題だったのでしょうか。

格好の餌食を見つけたとばかりに、メディアが勝手に囃し立てて、

相撲のことも、日馬富士のことも、よく知らない人たちが騒いでいるようにしか見えません。

 

事実関係については、警察が明らかにする問題です。

連日、関係者への執拗な取材を行い、好き勝手な憶測を話すだけの、ワイドショーやコメンテーターにはうんざりしました。

 

何につけても、「責任を取れ」。本当の相撲ファンの声とは思えません。

実に不寛容で冷たい世の中だと僕は感じました。

 

今回の騒動、世間が騒ぎ立て、横綱を引退させるほどの事件ではなかったと思います。

日馬富士本人の決断は尊重したいと思いますが、僕は引退するべきではなかったと考えます。

 

理由としては、

①事件が未だ調査中で全貌が明らかになっていない。

②あくまでも当事者間、あるいは相撲協会内の問題にすぎない。肝心の被害者・貴ノ岩の意思が不明であること。

③引退して一時責任を償ったとしても、暴行の事実は消えることはない。それよりも深い内省の上、相撲道に一層邁進する中で過ちを償う方がよっぽど、価値がある。

 

みなさんどう思いますか。ご意見をお聞かせください。

平成生まれの僕たちにとって、天皇って不思議な存在なんだと思う。

 

優しそうな人?すごく偉い方?ありがたい存在?

 

大変失礼ながら、子どもの頃はそんな印象だった。

けれども大人になって改めて考えてみたら、天皇陛下って本当にすごい方なんだなって思う。

 

基本的人権さえも制約される不自由さ―。

生まれながらに皇位継承者として位置づけられる運命―。

日本国、日本国民すべてを背負う責任―。

一挙手一投足、一言一句が注目される重圧―。

その立場、その思いを知る者がいない孤独さ―。

 

僕は、そのことを考えただけで身がすくんでしまう。

これほど過酷な環境で、ましてや国民一人ひとりの平安を願うなど、到底不可能だと思う。そうした陛下の配慮のおかげで私たちの生活が守られているのかもしれない。 

 

一方で天皇への戦争責任や天皇制廃止といった声があるのも事実だ。

 

しかし、戦争の責任は、一時の処罰で完済されるほど小さいものではない。

それよりも、苦難の歴史を長く記憶し、一人ひとりの深い内省の中で、払われた尊い犠牲に思いを寄せ続けることこそが、平和を引き続くことになる。

何より、天皇陛下は誰よりも責任を荷っておられる。だから80歳を超えてなお、国内外の各地に赴き、祈りを続けられる。

 

そして、政治や権力にとらわれない天皇が日本にいたからこそ、独裁者が現れず、三権分立が維持されている。なお、日本の歩みを体現する天皇がいることで、日本の伝統や文化が今日まで深く引き継がれている。また、永遠・唯一・普遍の天皇だからこそ、揺れ動きやすい私たちの心の支えとなり、災禍に傷ついた人々の心を癒してこられた。

 

 

今上天皇は、第125代目にして初めて「象徴天皇」として即位された。

しかし「象徴」の意味なんて、現憲法の制定当初から誰も知らない。

そんな混沌とした道を天皇陛下はひとり歩んでこられた。

 

「陛下はどうしてそんなにお強いのですか?」

もし機会があれば、陛下にお尋ねしたい。

 

もうすぐ平成が終わろうとしている。

内平外成の世の中にはまだまだ遠いけれども、陛下の歩みはその道しるべをはっきり示してくださった。

僕は君たちに聞きたい。

君たちは、「自分はなんで生きているんだろう」と考えたことがあるだろうか?

答えは人によってさまざまかもしれない。考えたことがあるという人もいれば、まったく考えたこともないという人もいるだろう。

でも人は生きている限り、誰しもが必ずそのことを考えるときがくる。

将来について悩んでいるときかもしれない、何かすごい嫌なことがあったときかもしれない。お医者さんからあと数か月の命です、と言われたときかもしれない。

 

僕はいつも人生ってなんだろうって考えてきた。

みんなは変な人だと思うかもしれないけど、僕は考えれば考えるほど、そのことが率直に不思議でしょうがなかったからだ。

 

僕が生きた時代は、すばらしい時代だった。。

水も電気も自由に手に入る、インターネットで必要なものは何でも求めることができる。戦争で命の危険にさらされる心配もない。そして何よりも「自由」がある。

 

そう、自由―。

その言葉がはやっていた。

ある人は「人に迷惑をかけなければ何をしても自由だ」と言っていた。少し頭のいい人は「憲法では○○の自由と書いてあるじゃないか」と言っていた。

 

でもその結果、どういう世の中になっていっただろうか。

とても生きにくい社会になってしまった。

みんなが自由を追い求めるばかりに、喜ぶ人の影には泣いている人がいた。家族がバラバラになってしまった人もいた。なぜかいつもイライラしている人もいた。

 

イエス・キリストという人は「あなたの隣の人を大切にしましょう」と言った。

ブッダという人は「他人への慈悲の心を大切にしましょう」と言った。

孔子という人は「相手を信じ、大切にしましょう」と言った。

 

この「思いやり」の心こそが、一番大切だと思う。

人は一人では生きていくことができない。

毎日「いただきます」といって自分以外の生命をいただいて、僕たちは生きているのだから。

人はみんなつながって生きている。

だから歴史が生まれ、人生が生まれる。

 

人生ってなんだろう。

本当の答えは、まだわからない。

なぜなら僕はまだ二十数年しか生きていないのだから。

だから僕は自分の人生を、人生を知るための人生にしようと思う。

 

21世紀を生きる君たちへ。

みんなも、人生というものを考えてみてほしい。

そして気づいたことがあれば、教えてほしい。

みんなが笑顔で暮らせる世の中になるように。