☆たいやき社長 あなたに語る☆

☆たいやき社長 あなたに語る☆

埼玉県、鴻巣市の、小さなたいやき屋の社長が、

あなたに、語ります。

あなたとは、「あなた」のことです、、☆

月に1〜2回のブログが、早速更新です。「ディズニー・オン・クラシック 〜魔法の夜の音楽会〜」を観ました。本日は、拙著を制作してくださいました、株式会社スマイルLABO様主催のパーティーだったのですが、コンサート鑑賞の約束を先にしていたので、残念ながら出席できませんでした。

ディズニーといえば、エンターテインメントの頂点だと思います。そのディズニーがプロデュースするクラシックコンサートとなれば、世界トップレベルでしょう。国内においても、世界においても、何におきましても、トップレベルのものに触れるのが、自分自身のレベルを高めるためには最短コースです。

非常に生意気なことを言いますが、世界トップレベルのクラシックコンサートを観た感想は、おおよそ、私の、「想定内」でした。もちろん、想定外、すなわち、「期待以上」のところもあり、たいへん感動しましたが、おおよそ想定内だったのです。ここで私は、ますます、自分の成功を確信したのです。

トップレベルのものに触れたとき、「これは、自分では絶対に到達できないレベルだ」と感じたら、その分野での成功は不可能だと思ってよいでしょう。しかし、「トップレベルでこのぐらいの世界なのであれば、自分にも十分に可能性がある!」と心底思える分野であれば、成功できる確率は高いわけです。

私が確信したのは、コンサートの演奏ではなく、約90分の、「感動的な時間」を提供する、総合的な演出として、「もし、自分が啓蒙家として講演するとしたら、これぐらいの感動を与える心積りでいた」ということなのです。ここで、トップレベルのエンターテイナーの演出力をみて、「震えるほど感動した」というのでは、自分はトップレベルの人間にほど遠いということになります。

トップレベルの実力を目にしたとき、「ひょっとしたら、これは、自分にも勝算があるぞ」と思えなければ、その世界での成功は潔くあきらめるか、あるいは、「この世界、この分野であれば、自分はイケるぞ!」と確信できるまで修行を積む以外にありません。

自分の、「想定外」の喜びや、驚き、感動というものに遭遇したとき、それは、「自分は、まだまだである」ということです。反対に、自分にとって、「想定内」のことであれば、それは、自分の実力が追いついているということです。ですから、自分の目指す世界や分野でのトップレベルの実力をみたときに、「想定内」でなければ、成功は果てしなく遠いことになります。

そのような意味から、とにかく、自分の実力を上げることに専心・専念して、自分が成功をおさめたいと思う世界・分野においては、「想定内」を増やしていく猛烈な努力が必要です。今宵のコンサートを観て、私は、「自分が、この舞台に立つ側の人間になったとき、これぐらいの演出をして、これぐらいの感動を与えられなければ成功はできないだろう」と想定していたレベルが、自分の、「想定内」だったので、「私は、講演家になっても、間違いなくイケる!」と確信したのです。

もちろん、「想定外」の演出もたくさんありましたので、元は取れました。客の立場からすれば、当然、「想定外だらけ」でなければ、お金を払う気にはなれません。ですから、貴方様が、お客の立場であるならば、すべてが想定外であった方が、たくさん感動できますし、幸せです。しかし、お金をいただく立場になるのであれば、「想定内だらけ」でなければ、人を喜ばせたり、驚かせたり、感動させることは難しいのです。

私は、サプライズが好きなので、「どうすれば、人が喜んでくれ、驚いてくれ、感動してくれるだろうか」ということを、常に考えています。ですから、逆にいうと、私にサプライズは、あまり通用しません。「こうくるだろう」ということが読めてしまうからです。しかし、お金をいただく側の人間であるならば、「こうくるだろう」ということが読めなくてはいけないのです。そうでなければ、人に感動を与えることなどできないのです。

したがいまして、貴方様が、自分の目指す世界で成功をするためには、「その世界、その分野においては、『想定内のことだらけ』になるまで、がむしゃらにレベルを上げていく」ということ。それと同時に、永遠に成長していくためにも、「その世界、その分野において、『今生では、絶対に追いつけないであろう』と絶望感を味わうほどのハイレベルな人に出逢う」ということの、ふたつが必要となることを、どうか知っていただきたいと思います。

余談ではありますが、「魔法の夜の音楽会」というコピーをみて、私も、「いつか絶対に、『魔法の夜の講演会』をやる!」と決めました。私の講演をきいて、その夜、魔法にかかり、翌朝から人生が変わり、すべてが輝きだすのです。私の夢は果てしなく、私の夢は尽きません。やりたいことだらけです。私は、日々、やりたいことだけをやっています。ですから、万にひとつ、明日この世を去ることになったとしても、「これだけ楽しませてもらったのだから、まあ、仕方ないな」と思えるのです。私には、このような人生こそが、「成功」とも思えるのです。
 
チーコ先生は、たいへんな勉強家です。今日は、「体力」にも、二種類あることを知りました。

私は、お客様から、色々なものをいただきます。今日は、手作りの巾着ポーチをいただきました。お手紙もよくいただくのですが、私は、この世で一番嬉しいものは、その人の手作りのものが何よりも嬉しいです。100万円をもらうよりも嬉しいです。プレゼントも、ただ高価な品をもらうよりも、心がこめられた、「直筆のお手紙」が添えられたコンビニのお煎餅の方が、断然嬉しいです。自分がそのような人間なので、私が何かを差し上げるときは、少なくとも、3行くらいのメッセージを書いた紙を必ず添えます。私は、モノよりもココロです。


本日は、「現代のヒーロー像」についてお話しします。貴方様が思い描くヒーローとは、どのようなイメージでしょうか。ルックスがよく、頭が切れて、パワーもあり、正義感にあふれたパーフェクトな人物でしょうか。実は、これは、古いヒーロー像なのです。現代の、漫画やアニメや映画などに共通するヒーロー像は、「普段は少し頼りないが、ここ一番のところで何とか頑張り、人々を助け、人々の力になる」というスタイルなのです。


初めから、完全無欠のピカピカの人物が主人公ですと、すでに結論が分かってしまいます。「この人が主人公で、すごく頑張るのだろうな」と思える男性や女性が出てきて、最初から最後まで、その姿を貫くのは、時代遅れのヒーロー像なのです。現代のヒーローは、そうではありません。ずっこけるタイプ、頼りないタイプ、普段はだらしなく、どうしようもない人が、いざというとき、ここ一番のときに、潜在能力を発揮して、活躍するようなかたちが定番です。


最初からエリートなのではなく、「いままでダメだった人が、突如、頑張り始める」という姿に惹かれるのが現代版なのです。ですから、ただいま、貴方様が、ずっこけるタイプ、頼りないタイプ、だらしなく、どうしようもない人であるならば、とりもなおさず貴方様は、「現代のヒーローになり得る人物」なのです。


私も、「現代のヒーローになるのだ!」と、野心を燃やしています。なぜならば、私は、義務教育の間は一切勉強せず、劣等生でしたし、高校も、答案用紙にとりあえず名前さえ書けば入れるような、県内でも 〝 下の下 ″ の教育困難校の中で、学年順位はトップ10ならぬ、〝 ボトム10 ″ でした。まさに、カネなし、コネなし、学歴なしの、「人生の落ちこぼれ」が私という人間なのです。


これほど、「現代のヒーロー」の条件を満たしている人間もいないと思います。あとは、「ヒーローになるだけ」です。しかし、当然ですが、落ちこぼれのままではヒーローにはなれません。落ちこぼれが、エリートに変身したとき、初めてヒーローとなれるのです。ヒーローになるためには、99パーセントの、「その他大勢」を超えて、1パーセントの、「主人公 」にならねばなりません。


したがって、1パーセントの主人公、1パーセントのヒーローになるためには、「99パーセントの人間がしないような努力」が必要です。これは、当たり前のことです。たくさんの勉強が必要ですし、たくさんの失敗も必要ですし、たくさんの勇気、決断、行動も必要ですし、たくさんの犠牲、忍耐、辛抱も必要です。しかし、「落ちこぼれ」のまま終わりたくはない。私は、必ず、「現代のヒーロー」になります。


「自分はダメな人間だ。」「自分はヒーローにはなれない。」このように思っている人こそが、「ヒーロー」にならなければいけないのです。これが、世の人々が求めている、「現代のヒーロー像」なのです。「もしかしたら、私もヒーローになれるかもしれない!」このような勇気を、希望を、光を与えられるのは、「ずっこけるタイプ、頼りないタイプ、普段はだらしなく、どうしようもなく、落ちこぼれのダメな人」なのです。ヒーローになるのは、貴方様なのです。


以上、「現代のヒーロー像」という話をしました。私は、ヒーローになるために修行に励みたいと思いますので、以降、当ブログは、月に1〜2回のペースで更新する予定でいます。記事のネタも溜まる一方ですが、私の目標である、啓蒙家になったときの講演で大出力するために温めておきたいと思います。尚、アメブロ自体を開かなくなると思いますので、ペタのお返しもできないことをお伝えしておきます。いつも、ありがとうございます。

 

人間は、万人が、天使であると同時に悪魔でもあります。完全なる天使であれば、天上界よりこの世に生まれる必要はありませんし、完全なる悪魔であれば、地獄からこの世に生まれることは許されません。この世に生まれたからには、完全なる天使もいなければ、完全なる悪魔もいないのです。しかし、一人の例外もなく、誰もが、天使であり悪魔でもあるのです。これがこの世の真実です。


人は皆、神の子、仏の子ですので、誰にでも仏性はあります。しかし、例えば、男女問わず、「あなたのブログは、非常にくだらないですね。やめた方がいいですよ」などと言われれば、誰もが、「悪魔」になる可能性があるのです。女性であれば、「このブス!」と言われたり、男性であれば、「ダサい男!」と言われれば、誰もが、「悪魔」の側に傾くのです。それが人間の本質です。


しかし、「この世に生きる人間は、誰もが悪魔のような存在になり得るけれども、そのことを正確に知っていれば、悪魔にならずに済み、自分を救うことができる」ということです。これは、人生のひとつの知識であり、智慧なのです。誰もが、悪魔になり得るけれども、その危機的状況から逃れることは可能なのです。


人間は、「悪の存在」にも、「神近き存在」にもなる。天使にも、悪魔にもなることができる。あらゆる場合、あらゆる状況において、「選択」が可能なのです。しかし、この世では、悪魔的な選択をしてしまいやすいものです。誰にでも、「あんな人間は消えてしまえばいいのに」とか、「死んでほしい、呪ってやりたい」という念い(おもい)はあるものです。それを、見せる人もいれば、見せない人もいるというだけのことです。


この地球という星は、「天使と悪魔が共存する特殊な世界」なのです。完全なる神、仏はいませんし、完全なる死霊、悪魔もいないのです。自らの心によって、「どちら側であることを選ぶか」という選択しかないのです。ただいま、天上界にいる天使でさえ、心を乱せば、即、地獄に堕ちて、堕天使となり、悪魔となるのですから、人間など、よほど気をつけていなければ、あっという間に地獄側、悪魔側の存在になることを知らねばなりません。


このような、知識、智慧がある者とない者とでは、まさに、生きながらにして、「天国と地獄の差」があるのです。「私は善人である」「我は神仏のような心の存在である」と慢心している人間ほど危険です。実際は、「悪魔にならずにすむ環境や境遇であるだけ」ということがほとんどです。私は、基本的には穏やかですが、それは単純に、ただいま、穏やかでいられる環境や境遇にあるだけであり、私の心を乱すような態度や言葉を発する悪魔的な人間に遭遇すれば、やはり、私でも、「この世から消えろ!」と、「悪魔」になるでしょう。


人は、誰しも悪魔になる可能性があり、反対に、誰しも天使になる可能性もあるのです。それは、自身の、「選択」なのです。このように、すべては、「自分が選択しているのだ」という真実に目覚めれば、悪魔になり、地獄に堕ちる可能性を低く抑えることはできるのです。「人間は、万人が天使であり悪魔である。」どうか、この真実に目覚めて、可能なかぎり、聖人・天使でいられる努力をしていただきたいと思います。