(『人間革命』第12巻より編集)
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〈憂愁〉 6
戸田は、満面に笑みをたたえながら語り始めた。
「本日は、晴天に恵まれ、九州男児、九州婦人の健康なる姿と心を見て、私は、まことに嬉しく思いました。
思うに、今、世界は原子爆弾の脅威に怯えきっている。また、日本の国内を見れば、自界叛逆(内乱)の難の恐ろしさにあえいでいる。
たとえば政界にせよ、経済界にせよ、絶えず対立を繰り返している。どこに調和があるだろうか。
まさに、民衆救済の大責務は、創価学会の肩にかかっていると、私は信ずるものであります。
願わくば、今日の意気と覇気をもって、日本民衆を救うとともに、東洋の民衆を救ってもらいたいと思う。これをもって私の講演に代える」
話は、極めて短かった、しかし、万感の思いを託しての指導であった。
戸田は、翌十四日には大阪に向かった。御書講義のためである。
彼が大阪に着くと、法主を務めた水谷日昇が逝去したとの知らせが届いていた。
・・・高齢のため快癒はかなわず、総本山の連葉庵で最期を迎えた。七十八歳であった。
日昇は、昭和二十二年、総本山第六十四世の法主となった。
戦後の創価学会は、日昇の登座と時を同じくして草創の歩みを始めた。
十五日の通夜の席で、戸田城聖は、ひとしお尽きぬ感慨に駆られて、苦難の過ぎし日を思い返した。