戸田の師子吼は、そのまま弟子の誓いであり、実践であった | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

      (『人間革命』第8巻より編集)

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         〈明暗〉 20

 

 戸田が示した「国士十万」の結集の実現を、伸一は自らの責務として受け止めたのである

 

 伸一は、今こそ立ち上がる時が来ていることを烈烈と述べ、諸難を打ち破って広宣流布の戦いに臨む覚悟を促していった。

 

 「日蓮大聖人は、『時を待つべきのみ』と仰せになっておりますが、立宗七百年を経て、広宣流布の時は、いよいよ満ち、

 

 その『時』は、今であることを事実が示しております。

 

 『おのおの、師子王の心を取り出して、いかに人がおどすとも、おづる事なかれ。師子王は百獣におぢず、師子の子またかくのごとし』

 

 の御金言を胸に刻んで、勇敢に進んでいこうではありませんか。

 

 戸田先生は、『国に十万の国士あれば、苦悩の民衆を救いうることは、火を見るより明らかである』と仰せであります。

 

 十万の青年が集った時には、広宣流布の第一歩が近づいたことになるのであります。

 

 それを目標として、堂々と戦っていこうではありませんか!」

 

 伸一は、室長たる自身の責任として、青年部員十万の結集を決意していたのである。

 

 戸田の師子吼は、そのまま弟子の誓いであり、実践であった。

 

 この師弟不二の実践のなかに、広宣流布の大道は開かれるのである。

 

 最後に、戸田城聖が、いつにない緊張の面持ちで、演壇のうえから青年たちに呼びかけた。

 

 「青年諸君!日本の国を救わんとして、多くの人びとが政治、教育、文化といった各分野で活動しておりますが、

 

 政治のみで、経済のみで、教育のみで、日本を救えるものではありません

 (つづく)