(『人間革命』第3巻より)
「わかったかい。宇宙のあらゆる一切のものは、天体に
せよ、一匹のシラミにせよ、刻々と変転していく。一瞬といえども、そのままでいることはできない。相変わらずでやれると思うのは、錯覚にすぎない。
そこで、一番の問題は、良く変わっていくか、悪く変わっていくかです。このことに気づかないでいる時、人は惰性に流されていく。つまり、自分が良く変わっていきつつあるか、悪くかわっていきつつあるか、さっばり気づかず平気でいる。これが惰性の怖さです。
信仰が惰性に陥った時、それはまさしく退転である。信心は、急速に、そして良く変わっていくための実践活動です。
あらゆるものを、刻々と変転させていく力、それを生命といい、如〃(にょにょ)として来る、この力を如来(にょらい)といい、仏と名づけるのです。この力を大聖人様は、さらに南無妙法蓮華経とおっしゃった。(略)
宇宙自体にも、われわれ一人の小さい人間にも、すごい生命の力、南無妙法蓮華経があるんです。
この信心をして、それが自覚できないということは、自分が損です。機械があっても、モーターのスイッチを入れないのと同じだ。(略)
また、今の不幸が、生涯、続くように思えても、それは変わっていく。信心している限り必ず幸福へと変わっていく。それが自然の理であり、宿命転換ということだ。(略)
万人が万人、理想としていること、しかも、誰一人やろうとしてもできなかったこと、そして誰も信じなくなってしまったことを、今、
われわれの手で成就しようというのだ。
人類にとって、これ以上の最大、最高の偉業はない。難事中の難事だ。しかし、必ずできる。われわれに力があるからだなどと、うぬぼれてはいけない。大聖人様の仏法には、それだけの、ものすごい力があるからだ。
それを勉強し、実践するわれわれが、いいかげんな覚悟で惰性に沈んでいるとしたら、大怪我のもとだ。仏法は厳しい。厳しいがゆえに、ぼくは、諸君にそれを言っておかねばならない(略)」
彼の気迫は、弟子たちの胸を揺さぶった。部屋は緊張につつまれている。(略)
それは厳しく、純粋であったが、それでいて底知れず温かかった。