中学3年生の時、道徳の授業で、友人関係についての講義がありましたん。


昔々のことで うろ覚えの記憶ながら

その時に感じた違和感は大人になってからもしばらく残存しておりました。


確か、要約するとこういう内容だったと思う。


「好きな友達とだけしか関わらないと、了見の狭い人間になってしまう。

嫌いな友達を切っていたら、いつか一人になってしまう。

人間は集団動物なので、自分の好き嫌いにとらわれず、仲間を大切にすること。

誰とでもまんべんなく仲良くしよう。」


もちろん当時異論をさしはさんだりはしなかったんだけど

小さな違和感はささやかな澱のように思春期の心の底の方に溜まった。


でね、大人になって

何やら色々心身を通して学ぶようになって

やっぱりあの中3の時の授業は微妙に違うなぁーと あらためて思い出すことがあって。


好きな人 嫌いな人

合う人合わない人 いるよね。


そしてヒトって成長し続ける生き物であるからして 結婚するほど大好きなヒトのことも 大っきらいになってしまうことだってある。


そして自然と その時々の自分のありようによって 類は友を呼び 異相のヒトとは疎遠になるようになってる。


人と近しくなることも 疎遠になることも 良し悪しではなく その途上の体験でさえ 有用な体験であり 学びであり 

集団動物たるヒトは 自分を取り巻く人間関係で 自分自身を客観的に見ることが 初めてできる ・・・ 気がする。


だからね

人間関係でやなことがあっても

不本意なこと 淋しいことがあっても

相手に執着したりフォーカスしたりすることなく

自然に流れて行けばよいと思うのです。


誰の機嫌を取ることよりも自分の機嫌をとること   を 一番に考えることは 決して自分勝手ではない 最も大切なことキラキラ


去る者にも 来る者にも ありがとう の 気持ちを持てると

私の場合 自分の機嫌はよくなります(^^ゞ


去る人には 私に何か失礼なことがあったらごめんね 今までの楽しいひと時と お別れによる貴重な学びをありがとう と。


来る人には 愛し合って楽しい時を共有できる喜びに感謝を。


人生折り返し地点と思えるまで年齢を重ねて やっと ストレッサーを遠ざけることを 自分に許せるということを学びつつあります。


上記の中3の時のような教育を繰り返し刷り込まれてきた年代なので まだ 一抹の罪悪感はあるけども

大人になった今 自分に優しい生き方をしてOKなんだよと これからは 他の誰でもない自分が自分に 刷り込んであげられたらいいなにへ




そうそう 先日 お仕事のお誘いをお断りした同僚ね、

お互い忙しいし これで疎遠になっちゃうんだろうなと もしかしたらもう会えることはないかもしれないなと 彼女の道が明るいことを願いつつ お別れも受け入れる覚悟でいましたら


昨日 


突然彼女から携帯に着信がありまして


「トイレ貸してーーーっ!」


っとΣ(~∀~||;)


外回り最中にエマージェンシーになったらしいw


この辺、田んぼばかりで なーんにもないんですよw


昨日から急激に寒くなったもんね、トイレ、近くなるなるwww


もちろん快くトイレを開放して

一瞬だったけど お互い 久しぶりーに元気な顔を見て 笑い合ったのでした(笑)


うん、こんな再会も 神様からのサプライズプレゼント♡


私って ぼんやりしてるのにせっかちで

曖昧なままの物事や関係をそのままにしておくことにストレスを感じる性質があり

自分でも そこ直したいなと思ってる部分なのですが・・・


すぐに色々覚悟決めなくても こんなこともあるんだよって 背中をとんとん叩かれた気がしました(^^ゞ


会えても会えなくても  友達とかそうでないとか カテゴライズしなくても 大好きな誰かの生きる地球万歳♡



一本の樹の 一輪の花や一葉のように 根っこの部分ではみんな繋がっていて 目にうつる全ては等しく自己である という真理も 心の隅にいつも置きつつ


せっかく地球に産まれて 個別の肉体で魂の学びを得ようとしているのだから 皮膚で隔てられた個人の感覚も 楽しんで行けたらいいよね (*^m^*)


色んな体験がこれからもあるだろうけど

感情に振り回されることなく

ぶれない自分軸を保って 自分の思考感情を使いこなせる大人になりたいです。



命対命で 相手を思いやることのできる素敵な惑星に産まれたことを感謝。

今日も大好きな命と共に生かされてる暮らしに感謝!


人生は 若い頃感じてたように長くない。


かけがえのない今この時

誰よりもまず自分の機嫌をとって ハッピーな環境に自分自身を置くことを 今日も許可して生きたいと思います(*^_^*)