忘れないように記録。
記録しておかないと、絶縁されているのに親と同居して面倒を見ろと社会福祉協議会から(
どここら調べたのかわかりませんが、)わたしのスマホへの連絡プッシュがすごいからです。父母とは、父母自体も同居を望んでいないことを話し合いで確認しました。
2歳のとき、父に市民プールへ投げ込まれた。
「溺れそうになれば泳ぎを覚えると思って」やった事そうだ。幼い私にその記憶はない。
母は見ていた。
麦わら帽子の子供が静かに水底へ沈んでていくのを。
どうりで、小学校四年の水泳教室で泳げるようになるまで水が怖かったはずだと思った。
家族の冗談だった。
と、思っていた。
家族は冗談にしていたから。
そして今日、たまた頭痛がひどく、
病院で頭部のレントゲンを撮った。
腫瘍はなかったが…
後頭部、
頭蓋骨と脳膜の間が
ぽこっとへこんでおり、軟膜の凹みに脳がはみ出ている部分が見つかった。
医者は「子供の頃に腫瘍か何かがあったかも知れません。いまは何もありませんよ。頭を打ったとか、なにか覚えはないですか?」
ありません…?
…?
帰路に気がついた。
ぞっとした。
自宅階段を上がる母についていこうとした赤ん坊の私は、母を見上げて、にっこり笑って、
そのまま、のけぞって落ちたと…
母が育児の大変さを語る上でいつも言っていたこと…。
そして、私は2歳直前まで走ることができなかったと…育児の大変さを語るためにいつも言っていたこと…。
あら…
2歳直前まで走らなかった子を、父は
水面に投げつけたら泳ぐと思っていた?
ところて、うちの両親は病院大好きです。
胃潰瘍の手術も「医院長自ら執刀よ」と変な自慢をするくらい。
その親が、赤ん坊が頭を打つような落下をした際の病院通院での大変さを語らない。そのときの医者の言葉も伝えない。
行かなかったのね。
診せなかったんだ。
お父さん、お母さん、
あのとき
子供を病院へ連れて行かなかったね。
赤ん坊は自分の症状を話せない。
頭になにか起こっていても、
…もし、血の塊や腫瘍があり、そのせいで
のちに平衡感覚がおかしくて
走ることが怖いのも、
伝えられなかったのでは…
その他、書ききれないくらい色々あります。
あ、やっぱり、親から
虐待されてたんだ。
不意に、気まぐれに、周囲からはわからないように、冗談や笑い話に隠して。
たまに、たまに…
私は今40代、実家を離れてひとり暮らしています。
そんなに楽ではないけど、ちゃんと働けば
生きていける。実家とは数年来、交流がなく、
地震や台風、コロナ禍を案じて電話してみても繋がりません。
もちろん、実家からの連絡もありません。
父が骨折し入院したとき、母は仕事中の私に1時間置きに電話してきた。留守電も10本以上。
不安だから、心配だから。
そんな母を支えようとがんばってたけど、
退院したら、なんの連絡もありません。
なにひとつ。
気づくの遅いね。
なんで家族だからって信じて来たの。
いや、判っていた。
耳を塞ぎ目を閉じてきた。
もしこれを読んで「あれ?わたしは…?」
と思う方がおられましたら、
いまからでも遅くない、ご自身の人生を大事にして下さい。
なんだか意味もなく、自分を好きになれない…ってないですか?
それ、理由があります。
信じたい人がいたから。
自分以上に自分以外の人を信じることを願っていたから。
自分に自信を持ち直してみてください。
よく、ここまで生きてきたと
ご自身を褒めてください。