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カリカリカリと、窓ガラスをひっかく音で目が覚める。
かなり前から音は続いていたようだが、心地よい眠りの国から現界に復帰するのがあまりにも億劫で、聞こえないことにしてきた。しかし音の主は執拗で、どんなに無視を決め込んでも、自分の要求が受け入れられるまでは、あきもせずにシグナルを出し続けるつもりらしい。
ついに根負けして、ベッドをすべり降りる。まだ意識は朦朧としたままで、二階の部屋の窓を外からひっかかれる意味はよく分かっていない。
一刻も早く音を止めて、再び眠りにつきたい一心で窓に向かう。初めて見る形状に戸惑うが、なんとか下部のロックを外して、鉄製の窓枠を上にスライドさせることに成功する。
開いた15センチほどの隙間から、黒っぽい影が侵入してくるが、何も見ないことにする。うつらうつらしながら、温かいベッドに戻ろうとする。
何かが肩にずしりと落ちてくる。“それ”が音もなく跳躍して、ワタルの肩に飛び乗ったのだと理解するまでに数秒かかる。
「うわわわっ!!」と叫んで振り落とそうとするが、爪がTシャツに食い込んでいてなかなかうまくいかない。やっとの思いで振り落とした後も、しばらく「うわっうわっ」と発声しながら首回りを手で払っていた。
それは、青灰色の毛並みを持った猫だった。ワタルの大声にもどこ吹く風で、こちらのビックリを楽しむかのように、青味がかった緑の眼で面白そうに眺めている。
「しっ! しっ!」と、窓から追い払おうとしてみるが、全く意に介さない。逆に挨拶のつもりなのか、ワタルの脚にすりすりと背中を押し付けてくる。
どちらかというとワタルは猫が苦手であり、かなり腰が引けながらその様子を見ている。全身で愛情を表現してくれる犬と違って、何を考えているのか分からない不気味さがある。
青灰色の猫は不意に興味を移して、壁際で充電しながら休んでいるノーラに歩み寄る。ピンと伸びた長い尻尾が優美である。
「おはようございます」と発声する、スリープモードを解除したノーラの言葉を理解した訳でもないのだろうが、猫もぺこりと頭を下げる。
「ねえ、きみ、ここん家の子?」
落ち着いて見てみると、艶やかな毛並みのとても美しい猫だった。ほっそりした身体を反らして伸びをして、エメラルドグリーンの瞳でワタルを見つめる。あまり見かけないおそらく舶来種で、いかにもこの西洋館にふさわしい。
「あら、ワタルくん、起きたの?」
突然響いた人声に、思わずうわっと声を出して仰け反る。「あ、ごめんごめん、びっくりした? あたしよあたし、由紀子よ」
「ゆ、由紀子さん?」
一瞬、猫が話したのかと思うが、どうも装着している黒い首輪から声は出ているらしい。
「たまたまこの子のモニタ見てみたら、ワタルくんが映ってるから、もうお友達になったんだあって思って」
「いや、お友達というか、いきなり窓から入ってこられてびっくりしちゃって……」
「ごめんごめん、かなり好奇心の強い子なのよ。でも自分から乗り込んでいくなんてよっぽどよ。ワタルくんきっと気に入られたのよ」
首輪の向こうで由紀子が笑っているのが分かる。
「紹介が後になったけど、この子、ダイっていうの。可愛がってやってね」
スマイルを浮かべているように見える小ぶりの美しい顔をかしげて、ダイは「な~ご」と鳴いてみせる。