九州日向神話ツアー12 西都原 | 平井部

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 都萬神社から、男狭穂塚、女狭穂塚まで続く「記紀の道」の中程にありますのが、石貫神社です。こちらはコノハナサクヤ姫のお父上、オオヤマツミの神が祀られた神社です。











 鳥居前の道を道なりに行きますと、突き当たりの丘陵に立派な石段が見えてきます。これは、石貫神社を厚く信仰していた個人が寄進されたものだそうです。







 かなり急な石段を上りきりますと、ぱっと開けるのが、西都原古墳群があります史跡公園です。思っていたよりかんなり広大でありまして(^_^)。樹々の奥に見える森みたいなのが、男狭穂塚、女狭穂塚のようですね。
 この辺りに、オオヤマツミの神のものとされる墳墓や、「鬼の窟」というコノハナサクヤヒメに恋してしまった鬼の伝説が伝わる古墳があったそうなのですが、予習不足で残念ながら見ることはできませんでした。








 そこから車で公園内を走り、北の方にあった展望所に行ってみることに。
 下の駐車場から、わりとぴきぴきくるくらいの上りでしたが(^_^)、その価値は十分にある眺望。西都原一望~!! 山桜さんも丁度満開で、彩りを添えてくれてました。







 以下、右から左にパーンする感じで。
 一枚目、中央辺りの森が男狭穂塚、女狭穂塚です。



















 男狭穂塚、女狭穂塚は、一応それぞれニニギの命、コノハナサクヤ姫の陵墓であると規定されていますが、造られたのは五世紀頃だそうです。年代的には勿論、合致しない訳ですが、両ミコトの御霊持ちの王族の陵墓ということもありますしね。都萬神社やこの地に残る伝承を考えると、やはりなにかの縁は確かにありそうです。



 公園内には、博物館や運動場もあって、丸一日ゆっくり楽しめそうでした。この日も、小中学生が課外授業かなにかで訪れていて、園内を楽しそうに駆け回ってました。


 いやあ、西都原、素晴らしかったです。

 男狭穂塚、女狭穂塚は近くでお参りできたようですし、公園のすぐ下には木喰仏の五智如来さまがいらしゃることも分かってましたのに、事前の下調べが不十分だった為にお逢いできませんでした……。

 南に数キロ離れた場所に、ヒコホホデミの命の御陵の候補である高屋山上陵があり、その近くには命が祀られた鹿野田神社があります。こちらは海から12キロも離れているのに、境内の泉から海水が湧いているんだそうです。(ちなみに、公式の高屋山上陵は鹿児島空港のすこし北にありますが、こちらが規定されたのは薩摩が権力を持った明治以降であると。)


 この辺りは、日本史の空白期と言われる4~5西紀頃に、かなり大きな都が存在したんですね。北と南の両高千穂を繋ぐ重要なポイントでもあり、う~ん、これはまたゆっくり行ってみないといけないですね(^_^)。都農神社にもぜひお参りしたかったんですが、今回は無理でありました。



 続きまっす