ほんとうに大切な人は
絶対に
自分から手離しては
いけません
その手を離しちゃいけない
ベッドに横になっているとき、ふと思い出した昼間の会話。
「ゆるす、ってどういうこと?」
私はそのとき、「その思いから開放されることかなぁ。」と答えた。
でも、我ながらすっきりしない。間違ってはいないと思うんだけど、なんかざっくりすぎてどういうことなのかぴんとこないなぁ、この答え。
で、あらためてもう少し考えてみた。「ゆるす」ってどういうこと?
自分の中で答えが出たから書いてみる。
「ゆるす」というのは、自分が変わることなんだと思う。
人をゆるせないっていう時。その時って、相手の出方や態度次第で
「じゃあ今回はなかったことにしとこう」とする場合じゃないかな?と思う。
その時はゆるしたとしても、また同じことがあった時は、やっぱりゆるせない。ってなるのでは?
言ってみれば相手の努力や反省を求める 他力本願 なゆるしかた。
逆に、相手に一切求めることなく自分の考え方を変えてしまえば、そのゆるせないことは気にならなくなる。
相手が今後何回同じことをしてしまっても、気にならない。
そういうことが、ほんとうの「ゆるす」ということなんじゃないかな。と思った。
相手のことをゆるすだけじゃなくて、自分の思いからも解放されるほんとうの「ゆるし」。
私が認識している「ゆるす」という字は、「許す」と「赦す」がある。
勝手な私の解釈(イメージ)では、
「許す」は先に書いたように他力本願なゆるし。
「赦す」は自分が変わることによってすべてを受け入れるゆるし。
気になったから意味を調べてみる。
「許す」=「ききいれる」ex.許可、許諾、許容、免許など
「赦す」=「罪や刑罰を免除する」ex.赦免、恩赦、大赦、容赦など
う~ん・・・もう少し具体的な説明が欲しい・・・
で、もう少し調べてみると、こう書いてるサイトを見つけた。
許すというとき、それはお互いの相互努力が必要だと感じます。
許し合うというように、相手のことを理解して、相手の気持ちになって、
その上で理解した上で許す、それが許しだろうと思います。
赦しは全く違います。相手が誰であろうと、どんな罪を持っていようと、
赦すんです。それは一方的な無罪放免の態度です。
もうひとつ、
【 許す 】
私の中では承認するイメージです。
例えば、それをしてもいいよ。とか、
あぁ、間違えちゃったのね。
しょうがない、許してやるから○○しなさい。
と、許可する権限を持っていて、許可を出したり、許可してもらう感じ。
そして、自分自身の感情をあまり伴わない感覚。
思考的な感じです。
許したものをそのままそこに置いて、見続けるイメージです。
【 赦す 】
相手がしたことに感じた、自分の感情を手放す感覚。
傷つけられたり、痛みを伴う感情を自分に与えたと感じた相手を
手放すと共に、自分のことも自由にする感じです。
許すは、許可、許諾、免許
など、業務的、思考的な感じ、許した後も観察(?)
見張っているようなイメージが私はします。
赦すは、恩赦、赦免、大赦
など、人そのもの、あるいは人がした事を、
その気持ちや感情を含めて手放している感じがします。
なんのこだわりも無く。
2番目の文章を書いた人は、こうも書いていた。
そして、感情をちゃんと学ぶ前の私は
頑張って許すことしかしていなかったように感じます。
だから、許したことにこだわりがありました。
いつも見張っていました。
心の中で、許してやったのに…と思っていました(笑)
今は、赦す=手放す=受け容れる。
相手を赦すことは、自分を赦すこと。
ありのままを受け容れる。
そんな風に感じます。
うん、私もそう思います。「赦す」ことができたら素晴らしいだろうな。と思う。
「ゆるす、ってどういうこと?」
私はそのとき、「その思いから開放されることかなぁ。」と答えた。
でも、我ながらすっきりしない。間違ってはいないと思うんだけど、なんかざっくりすぎてどういうことなのかぴんとこないなぁ、この答え。
で、あらためてもう少し考えてみた。「ゆるす」ってどういうこと?
自分の中で答えが出たから書いてみる。
「ゆるす」というのは、自分が変わることなんだと思う。
人をゆるせないっていう時。その時って、相手の出方や態度次第で
「じゃあ今回はなかったことにしとこう」とする場合じゃないかな?と思う。
その時はゆるしたとしても、また同じことがあった時は、やっぱりゆるせない。ってなるのでは?
言ってみれば相手の努力や反省を求める 他力本願 なゆるしかた。
逆に、相手に一切求めることなく自分の考え方を変えてしまえば、そのゆるせないことは気にならなくなる。
相手が今後何回同じことをしてしまっても、気にならない。
そういうことが、ほんとうの「ゆるす」ということなんじゃないかな。と思った。
相手のことをゆるすだけじゃなくて、自分の思いからも解放されるほんとうの「ゆるし」。
私が認識している「ゆるす」という字は、「許す」と「赦す」がある。
勝手な私の解釈(イメージ)では、
「許す」は先に書いたように他力本願なゆるし。
「赦す」は自分が変わることによってすべてを受け入れるゆるし。
気になったから意味を調べてみる。
「許す」=「ききいれる」ex.許可、許諾、許容、免許など
「赦す」=「罪や刑罰を免除する」ex.赦免、恩赦、大赦、容赦など
う~ん・・・もう少し具体的な説明が欲しい・・・
で、もう少し調べてみると、こう書いてるサイトを見つけた。
許すというとき、それはお互いの相互努力が必要だと感じます。
許し合うというように、相手のことを理解して、相手の気持ちになって、
その上で理解した上で許す、それが許しだろうと思います。
赦しは全く違います。相手が誰であろうと、どんな罪を持っていようと、
赦すんです。それは一方的な無罪放免の態度です。
もうひとつ、
【 許す 】
私の中では承認するイメージです。
例えば、それをしてもいいよ。とか、
あぁ、間違えちゃったのね。
しょうがない、許してやるから○○しなさい。
と、許可する権限を持っていて、許可を出したり、許可してもらう感じ。
そして、自分自身の感情をあまり伴わない感覚。
思考的な感じです。
許したものをそのままそこに置いて、見続けるイメージです。
【 赦す 】
相手がしたことに感じた、自分の感情を手放す感覚。
傷つけられたり、痛みを伴う感情を自分に与えたと感じた相手を
手放すと共に、自分のことも自由にする感じです。
許すは、許可、許諾、免許
など、業務的、思考的な感じ、許した後も観察(?)
見張っているようなイメージが私はします。
赦すは、恩赦、赦免、大赦
など、人そのもの、あるいは人がした事を、
その気持ちや感情を含めて手放している感じがします。
なんのこだわりも無く。
2番目の文章を書いた人は、こうも書いていた。
そして、感情をちゃんと学ぶ前の私は
頑張って許すことしかしていなかったように感じます。
だから、許したことにこだわりがありました。
いつも見張っていました。
心の中で、許してやったのに…と思っていました(笑)
今は、赦す=手放す=受け容れる。
相手を赦すことは、自分を赦すこと。
ありのままを受け容れる。
そんな風に感じます。
うん、私もそう思います。「赦す」ことができたら素晴らしいだろうな。と思う。
それはまるで夜明けの太陽
でも 夜明けよりもまぶしく輝き
そしてその上に 赤く滲んでおおきくゆらめく三日月
どちらもほんとうに綺麗で
自然のものはもちろんだけど、人工のものも、どちらもほんとうに綺麗・・・
そう思った瞬間だった
でも 夜明けよりもまぶしく輝き
そしてその上に 赤く滲んでおおきくゆらめく三日月
どちらもほんとうに綺麗で
自然のものはもちろんだけど、人工のものも、どちらもほんとうに綺麗・・・
そう思った瞬間だった
