土日に祖父のお通夜とお葬式、日曜に夫の祖母のお通夜に行ってきました。
その時に思ったこと。
祖父のお通夜・お葬式に参列して、
お経は、演歌のような抑揚があってなんだかリサイタルっぽい?感じがした。
親子?2人のお坊さんで、声質の違いがいい感じ。
お経読むのは歌を歌うように気持ち良さそうだ。
いい声のお坊さんっているんだろうな…。
鐘を叩くときも、強弱があって低音と高音が同時に響き、ぅわーんぅわーんと音の波ができる。
叩くタイミング(リズム感?)と叩き方が難しそう。
すっげー鐘を叩くのが上手いお坊さんっているんかな。聞いてみたい。
火葬の後の法要では、如来様の掛け軸が掛けてあった。
そういや、如来様ってどこにいるんだ?
何者?
諸行無常。
じーちゃんの思いはどこに行ったんだろ?
生前に、
立派なご先祖様がいたのに、この家はわしの代で終わりだと嘆くようなことを言っていた。
思いはエネルギーだとしたら、
エネルギーは波ならば、
波がなくなると何もなくなるのか?
お通夜で、お坊さんが
死をもって、残された人たちに
明日が常にあるわけではないということを
教えてくれていると言う。
確かに、いつ死ぬかもわからないと思いながら
毎日を生きてないわな。
お経を聞いてるときって、瞑想に似ているかも?
と思いながら葬式のお経を聞いていた。
意味もわからんし、音楽のように。
その後に行ったお通夜での待ち時間に流れてた音楽が
聴いたことある気がすると思っていたら、
YouTubeで聞いた瞑想の音楽と同じだった。
夫の祖母のお通夜へ行く道中、
車のメーターが888.8になったのを見た。
一瞬壊れたんかと思って夫に確認してしまった。
夫の祖母は、人が家に来ると、
ゆっくりしてかれ、泊まってかれと人をもてなし、
山から引越しても、当時80代だったのに
友達をすぐ作るような人だったらしい。
(喪主さんとお坊さんの話から)
そういや、私も人をもてなしたい、
人が来る家にしたいと思っていたことを思い出した。
お通夜でいただいた
お返しの賞味期限を見ると、2020220だった。
ゾロ目ではないけど、
何だか、おお〜って感じ。
休んだ気があまりしない土日だったけど、
思ったこと、感じたことが沢山の日々でした。