こんばんは、日付が変わってしまったけれど
あの日に思ったことを、やっぱり書き留めておこうと思い
こんな時間にやってきました。
あの日というのは、去年の9月の事です。
嵐さんの、宮城ブラストに参加した日の事です。
私は、自分の住んでいる千葉県から車で向かったわけです。
一番短距離で行くことのできる高速道路を使ったのですが
それは、茨城県、福島県、宮城県と
まさに原発や、津波での被害を受けた町を通過する経路
その途中の町は、原発での避難区域になっている町を通過するという道でした
気づくと異様な景色が広がっていました
人の気配がなく、家は地震を受けたままの姿
町のところどころには、除染した土が入っているのか、
黒い袋があちこちに積み上げられている状態でした。
それまでには、テレビの映像としては何度も見た事はあったけれど
実際に自分の目で見たわけです。
ほんとになんとも言えない気持ちで
ほんとに現実なんだ・・・ってショックをうけました。
そして、開通はしてはいるものの
放射線の値を表示されているこの道路を今、
通過していることに
なんとも言えない怖さを感じたのです。
ブラスト記事を書いたときにも
このことも書いておこうかとも思ったのですが
色々迷い書きそびれ
いつか書き留めておこうと思い
今頃、書いてみました。
だからなんだとか、どうしたいとか
私がどうしていくとか、そんな大きな事を思ったわけではないんです。
ただただショックで・・・
こんな現実を今も抱えて生きている人達が
たくさんいるんだということに
胸が苦しくなったという現実の話です。
あの日、宮城で嵐さん達と見た
果てない空
綺麗な月・・・
色んな思いと、現状を忘れないように、
自分の目の前にある事を
精一杯頑張って行かなくては
と思った。
という、私の覚書きを、
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
