TempLife

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人生とは死ぬまでの暇潰しである

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出発はゴールデンウィーク前日4月27日の夜

東京もだいぶ暖かくなってきたから半袖でもたいして寒くはない

僕達は28日-30日に掛けて東北の被災地に行ってきた

東北の地はもうすぐ5月とはいえまだ肌寒い

東京と違って街の明かりが少ないから夜になれば星の群れが空を覆っている



この3日間は病院、介護施設、水族館でのボランティア演奏をはじめ、地元高校生の演奏指導などをしてきた

中でも最も印象に残ったのが三陸鉄道でのコンサート

窓から見える景色には瓦礫の山や無残に壊れた防波堤が広がっていた

あぁ、ここであの津波があったのかー

正直、初めのうちはそのくらいの感じしかしなかった

痛々しいとか悲惨だとかそういった感情はその時自分の中に無かったと思う

ただ『津波で流されて消えた街の跡があるなー』とか『すごい量の瓦礫だなー』とか本当にこの程度だった



それから

演奏が終わって窓から外を眺めつつ昼食を取っていた時の事

列車は眺めの良いスポットでは景色を楽しむために数分間停車するんだけど

そこから見える海がすごく綺麗だったんよ

すぐそこに流された家の跡とか川の中に佇む橋げたとかあるのに

多くの犠牲者がここで命を落としているかもしれないのに

なんにも無かったみたいにただキラキラ光っててさ

その時は『なんて残酷なんだ』って流石に思った

自分の意思とは関係なく生まれて、広い宇宙の中で死んで消えてゆくこと

それでも海や空はそこに在ってさ

自分も長くてあと60年くらいしか生きられないし

もしかしたら明日死ぬかもしれないこと

そんな絶望の中でしか人は生きられないということ



人生という長い物語を振り返る時、人は何を思うのだろうか

津波で家を失い、愛する人を亡くしたら

想像すら出来ない

ただ、積み上がった瓦礫の向こう側に煌く春の海を見て

僕はこんな事ばかり考えていた



強く望むという事は

望みが叶わない無力感を持ち続けるという事

たいした望みも無いけど

せっかく死ぬなら天気が良い日がいい

これ位の願いなら、持っていたところで荷物にならない

この広い宇宙の中で生まれ死んでゆく存在

半ば諦めた者の強さ



汚く平凡な毎日が雨上がりのぬかるんだ道の様に続く

こんな世界でも自分だけは美しくありたいと強く願って生きてきたのに

気が付くと、跳ね返った泥で膝の下まで汚れてきている

もう泥を避けて歩く気力も体力も尽きてしまいそうだ

この期に及んでは汚れた世界に身を委ねてしまった方が良いのかもしれないけど

今更そんな事するくらいなら

死んでしまったほうがどれだけ楽か



見る

同じ様なスーツを着て同じ様な顔をしたサラリーマンたちが

毎朝、蟻の様に不気味な列を成して

排気ガスに霞む巨大なコロニー

そこから出る空気はゆっくりと僕たちを殺してゆく

そうして今日も

街は死者で溢れた



他者の感情を「理解する」事に関して

何故人は暴力的になれるのか

そもそも、「人は解り合える」という前提に問題がある

そして「相手の気持ちを考えろ」と声高に訴えるんだ

相手のことを考えて(上手く)行動発言することができるというのは、相手と自分とを重ね合わせて考えて行動した時にたまたま両者の思考や快・不快の基準が一致していたか、もしくは(その行動によって問題が生じるほど)かけ離れたものではなかっただけのこと

一見相手を理解しているように見えるがそうではない

これは「理解」ではなく相手の感情や考えを「想像」しているに過ぎないのだ

つまり「相手の気持ちを考えて行動する」のが自然に通用するのはそもそも自分と同じような思考の人間同士に限られる

際限なく誰に対しても「人の気持ちを考えて~」とまくし立てるニンゲンがいるが、これは相手がどんな人で今何を考えているのか正確に把握する努力を怠っているという点において怠惰で至極傲慢だと思う

これは「あんたはどうせ○○とか考えてるんでしょ?そうなんでしょ?だから俺の気持ちも察して行動しろよ!」もしくは「俺がこう考えてるんだから、お前も同じように考えろよ!」とドヤ顔かまして言ってるようなものなんだ

自分とは異なる相手の感情的個性を黙殺した上で「解ろうとする大切さ」を朗々と語ることが出来る鈍感さに対して

僕は怒りを超えてただただ恐怖だ



でもね別に解り合えなくてもいいやん

解り合えれば幸せなんだろうけど

実際、人が笑ってても「何で笑うの?」って

怒ってても「なんで怒ってんの?」ってよく思う

どんなにその人の顔を見ても何考えてるか想像すらつかない

冗談の9割以上は何が面白いんだかハッキリ言って理解できない

僕はテロや事件で知らない人が何千人死んでも涙の一つも出ない

それでも祖父が亡くなった時僕は泣いたし、昔飼ってたザリガニが死んだ時はなんか悲しかった





だからさ

だから話す事は大切だよ

自分が思ってる事を生きた言葉で正確に伝える努力を怠っちゃいけない

楽しい時は「楽しい!」辛い時は「辛い・・・」って言おう

もし自分が罵られたら相手が足腰立たなくなるまで罵倒してやればいい

手伝って欲しい時は「手を貸して!」って言えばいいじゃない

頭に来た時は「ウザイ!」じゃなくて正確に話す事で相手に怒りを伝えなくては

もし話すのが苦手なら書けばいいし、とにかく言語化することだよ

言葉で感情を伝えるのは簡単な事じゃない

時に不快であり、恥ずかしいかもしれない



最終的に理解し合えるはずもないんだけどさ

本気で話せば 『お互いの違いを確認する事』 ぐらいできるじゃん

すべてはそこから始まると思うんだけど

どうかな