原発事故で、放射能を浴びながらも作業をする人の人選について
非常に困難な任務に当たるときにその任務に当たる人はどういった基準で選ばれるべきか?
ボランティア性にするのか、その職業に当たっている人にするのか?
僕は、志願する人がいればその人にぜひやってもらいたいと思う。
日本のためにみんなのために自分の命をかけてでもやりたいと思う人は非常に尊い精神を持っている人であるし、その人にやってもらいたい。
そして、それでも人が集まらないのなら、多少高額の報酬ありにして募集するべきだと思う。このようにいうと人の命をお金で買うように感じて嫌悪感を感じる人もいるかもしれない。しかし実際にお金に困っている人が経済的援助を得ることで生活しやすくなるのであれば、そういった手段もいいのではないかと思う。
誰かがリスクを伴うことをやらなければならない時、では何を基準にするのかというと、これといった明確な基準はない。責任をおっている人がやるべきであり、東京電力の人もしくはその責任者がやるべきかと考えると現実的ではない。
人の前に出ることが好きな人は女優。文章を書くことが好きな人は作家。女優の人に文章を書けと言われても得意なことではないし好きなことでもないため書きたいとも思わないし書くこともできない。
人それぞれに資質というものがある。
人の命のためなら自分の命はなげうってもいいという考えの人がいるなら、そしてそういった資質を持つ人が消防や自衛隊に行くのだと思うのですが、そういった人が自分の意志で人の命のためにと思いリスクを背負って危険な仕事をやるという人がいれば止めることはできない。
自分がなにかを選択するために、一番怖いことはなにかを考える。
「今後のエネルギー供給について」
1,安全面を強化し原子力への依存を続ける。
選択するときに、一番怖いことはなにか。人が進むのをやめるとき。火、飛行機。なんでも始めはリスクを伴うものである。飛行機にも事故のリスクは伴うが飛行機墜落事故御が起こったからといって飛行機を使わないわけにいかない。世界各国に行きたいという思い、仕事の関係上、飛行機を使用する。リスクがあるからといってそれをやめるということは人類の進歩、発展を阻害しているし、これまでの人の歴史を否定することになるのではないか。
ただ、今回の原子力の問題はおよぼす範囲が全く違う。日本だけの問題ではなく世界的な規模である。
2、生活水準を下げてでも原子力への依存をやめる。
実際に節電しても、家族一緒にご飯をたべることができたり、被災地の方には失礼だけど、節電状態でも新たに、大切なことに気づくことができる。そういった中で、今後の省エネルギー生活のあり方を考えていくべきではないか。