19世紀の後半、日本の美術や工芸が、ヨーロッパの芸術家たちに影響を及ぼしたジャポニズム。
ガラス工芸家のエミール・ガレや画家のゴッホ、マネ、モネらが、競って日本文化を受け入れ取り入れました。
多くの芸術家を巻き込んだジャポニズム。しかし、あの巨匠ピカソは、日本文化に全く影響を受けなかった芸術家の一人だと私は長い間ずっと思ってきました。
しかしある時、何かの読み物で「ピカソは日本の春画の影響を受けている」と書かれている一文を見つけて、その日からイメージがガラッと変わりました。
そういえばピカソが晩年に描いた「画家とモデル」の銅版画のシリーズは、構図的にも春画の影響が色濃く出ているように見えます。
なるほど、そうだったのか。
この発見は私の心を楽しくさせ、さらに遠い国同士でさえ一瞬で繋いでしまう芸術というものの普遍性をあらためて強く感じさせてくれました。
そんなある日、NHK【日曜美術館】の「激動の時を生きた浮世絵師 月岡芳年」という番組を観たのです。
番組は、高い芸術性を持ちながら、一般大衆にもアピールする物語性をもつ芳年の浮世絵作品の数々の紹介でしたが、その中の【鹿児嶋県暴徒高橋并川尻戦争ノ図】という作品を見た時に、ビビビッと稲妻が走るような衝撃を覚えました。
「これはゲルニカじゃないか!」
「ピカソはこの作品を観たに違いない!」
私は強くそう思いました。(画像参照)
また、この他の芳年の作品に描かれた女性たちの姿が、ピカソの「浜辺を走る二人の女性」の絵にポーズや構図がそっくりなのも発見しました。(画像参照)
他にも芳年が、珍しく白、グレー、黒で描いた部分のある浮世絵もゲルニカの色にインスピレーションを与えているのではないかと思いました。
「ピカソは芳年の影響を受けている!」
ここで私の気持ちは確信に変わりました。
浮世絵というと、北斎、写楽、広重、歌麿などが思い浮かびますが、まさかピカソが春画や芳年に影響を受けていたとは・・・。
これは、私の中でものすごい大きな発見でしたが、こう考えてくれる人は他にもいますでしょうか。
とにかく私は、芳年が日本が最も世界に誇れる浮世絵師の一人であることをこれからも広めていきたいと思っています。

