四国八十八ケ所てくてくトボトボ歩き旅
加茂川の上流に聳える山脈は四国山地だ。四国最高峰石鎚山が雪をかぶっている。160年ほど前の文久2年(1862)、高知土佐から坂本竜馬は草鞋履きで深く険しい山々を駆け抜けて脱藩し、伊予松山にやって来た。そして手引きしてくれる者の助けを借り、瀬戸内海を渡って、長州藩へと向かい、幕末の表舞台で大活躍して行くことになる。そんなひとコマをいろいろと橋の欄干に凭れて思い巡らしていると、なんだかまだまだ俺もこれから何でもできそうな気がしてくるのだった。
だけど62歳になっているのよね・・・
「なにか!?」
2024年1月31日・水曜日
ハッキリ言って、かなりもう〝歩き旅〟に飽きて来ている、というのが今、実際直面している私の現実だ。
2009年7月、新百合ヶ丘のマンションから,家族でトコトコ柿生川沿いをお散歩しながら西に進んで行ったら、
「なんとまぁ」
町田まで歩いてしまったのだ
「こりゃあ面白いなぁ~・・・」
というのが最初で、てくてくトボトボ小田急沿いを小田原まで3日程かけて一人で歩いてみたら、小田原に到着した。ここで旧東海道に合流したので、ちょっと道を調べて、箱根峠を越え、芦ノ湖畔に着いた時には、我ながら感動してしまった
そうして雨の箱根を三島まで歩いた時、何かしら体の中から燃えてくるものがあり、東海道制覇、山陽道完歩、下関を渡って門司から小倉、唐津街道を通って博多まで行き、そこから太宰府目指し、桜島まで辿り着いた時は、植村直己にでもなったような気分だった。
東は日本橋から日光街道、宇都宮から白河を経て、仙台、盛岡、青森と歩いて行き、竜飛岬に立った感動は、もうナニモノにも代え難い人生の新たな幕開けのようであった
でもあれから15年、なんかなぁ~・・・、というような心境になってしまっているのである
まぁ、ひっちゃ気になって歩いたり、乗り鉄したり、それをブログに書き込んだりすることにストレスを感じてしまっているようだ。だったらこういうのをやめてしまえばいいわけだけど、これはこれで書くことで、旅の道中のいろいろなことが目に見えて来る喜びもあったりするから、止められないのだ。
なんていうか、楽に歩いて、楽に書いて、楽ぅ~に楽しんで行こうと思う次第
鮎鮨街道と美濃路を新年明けにゆっくり歩いてみようと思ったものの、岐阜の宿で沈没し、また左足が痛むのを理由に、ダラダラと過ごしてしまうというような時間を遊んでいた
私が信長なら、恥ずかしくてこんなモノぶち壊してしまいたくなる。なんというセンスの悪さだろう・・・
大河ドラマでの描き方も、どうもディフォルメし過ぎてしまっていて、演者だけが気持ちよさそうだったな・・・
この宿で沈没・・・この宿の前の道が鮎鮨街道であったのだ
だからか余計いつでも歩き出せると思ったら・・・
2,6キロが進めなかったし、行って戻って来て、さらに行くのがダルダルだった
でもまぁ、旧道歩きの約束通り、こういう表示があると、ただ岐阜駅を往来する道すがらでもつい〝パシャッ!〟とやってしまうのだ。
で、1月25日(木)に再び名古屋に入り、所用を済ませた後、岐阜羽島に宿を取って、再び両街道へ出かけようと試みたのだけど、この地方に降った大雪や寒さのことを考慮してホテルで3泊、またゆっくりと読書三昧の時を過ごしたのであった📚
そうして乗り鉄をして、と思ったのだけど、岐阜羽島から新幹線に乗って岡山に行き、1泊した後、岡山から〝乗り鉄〟を試み、伊予西条まで出かけたのだ
何回乗り換えただろうか
途中窓からの光景を眺めていたら・・・
山肌を切り開き、ごっそりと太陽光発電のパネルが張り巡らされていた
いつの頃からかこんな光景が全国あちこちで増えてしまったけれど、なんとも脱力させられる
小銭のためなら風景や外観などどうでもいい人が山ほどいるのだろう。
ほったらかしの山林や農業放棄地や空き家や不法ごみ投棄場所や波消しブロックの破壊的海岸線や三面工事をやりつくされた河川や山肌にへばりつくように住宅地を広げてしまっている光景なんかも決して心和むものではないのだけれど、何をか況や、とブツブツ呟いてしまう現実を目の当たりにした気分になった
伊予西条のシャッター街をボンヤリ歩いてみた
降りたシャッターに街の歴史が描かれていた
賑わいの通りだったのだろうか
栄通り商店街という名前だったと思うが・・・
昭和のどこかにタイムスリップしたら、寅さんがやって来てなにやら面白そうなことが起きるんじゃないか・・・なぁ~んて空想するのだけど・・・(定番すぎるかな)
10時29分伊予西条発の各駅停車に乗る🚉
この電車に乗らないと、次は2時間近くやって来ない。たったひと駅、去年到着した石鎚山駅に到着
「」
ここの駅前の空き地だったところにも太陽光パネルが
「なんだよなぁ~・・・」
と思っていたら、ポツポツと雨が落ちてきた
を潜って〝四国のみち〟に出ていく
10時39分、64番札所前神寺の門前に到着
歩き出すと愛媛の道らしくみかんが生っている🍊
この案内標柱は実に助かるのだけど、今回は国道11号線をただ歩いて伊予西条まで帰ろうと思っていたので、後ろ髪を引かれ、
「まぁせっかく来たんだから・・・」
と案内通りお遍路道を行くことにした
「出たぁ~・・・」
また太陽光パネルだ
「おやおやこっちにも」
愛媛県、あるいは西条市には何かしら補助金的なものが出ているのだろうか
このエネルギーが原子力を上回るくらいになるというのなら、いくらでも歓迎するのだけどね
「なってほしいものだよ」
いろんな街道で、こういうシールを張り巡らせてくれるとうれしいなぁ~・・・なんてよく思ったものだ。
「四国的御接待文化なのだろうな」
看板の上にも剥げかけているけれど、シールが貼ってあり、うれしくなる
〝へんろみち保存協力会〟の活動の賜物のようだ
しかし、65番札所三角寺まではかなりある。
途中倉庫を覗いたら、もみ殻だった🌾
歩き出して、それほどでもないけど、もう疲れて来ている
「雨が上がってくれたのでホッとしている」
さてどっちだろう❓たぶん右だろう・・・と思って進んだら、当たってました
たぶん左だろうと思ったら、これも当たってました
「かすれお遍路が眩しいでやんす」
そして、ここは・・・と思っていると、抜かりなくシールが輝いてくれた
伊曽乃橋に辿り着く
橋の欄干に、伊曽乃神社のかつての祭礼の時だろうか、かなりな賑わいを見せている写真モニュメントが飾られていた
欄干には、叩くとさくらさくらの音が奏でられるようになっている
けどバチなんか一本もない
そして、なぜ、さくらなのだろう
「さてそろそろ11号線に出ようかなぁ~・・・」
と思っていると、へんろみちは〝こっち〟
・・・ということで辿り着いたところが武丈公園でした
昭和14年(1939)10月に種田山頭火もやって来て、
〝はっきりみえて水底の秋〟
という句を詠んでいる
西條農業高校を舐めるように回った先の交差点に出る
ここを右折して新居浜方面に向かって行くようだ
そのまま進んで行くと、次の中萩駅へ向かうことになるが、これはちょっと大変なことになりそうだし、とっくに歩くのに飽きてしまっているので、ここまでとする11時52分
歩き出して1時間20分くらいだけど、今の私の歩き旅は、こんなもんです
年始第1弾
なんとかかんとか旧街道に出ることが出来た
<2024年1月31日(水)の歩き旅のメモを基に、写真を編集して2024年2月5日(月)に記>
※ こうして書き記していると、また行きたくなるから不思議なものだ。たとえ1時間でも30分でも、
『こういう旅をチョコチョコ続けてみようかなぁ~・・・』