自称、発達障害
アラフォーに両足を突っ込んでいるのですが、子供の頃は「自閉症、ADHD、知的障害」という障害があるらしい、という知識しかありませんでした。
「この障害は治らないのかぁ、どうやって生きていくんだろう?かわいそう⋯」と小学生のころに思った記憶があります。
そして、時は過ぎさり30歳を超えて長男を出産。
この子、新生児くらいから全然寝ませんでした。
ミルクを飲むか、泣いているかのほぼ二択。
縦抱き抱っこで上下運動。どうやったら寝かしつけられるのかネットで検索しつつ実践、ミルクの量が足りない??抱き方が悪い??室温が暑い??お洋服が気に入らない???
ほんとうに大変でノイローゼ状態になり、一度だけ家を1人抜け出して海に身を投げようと夜中の砂浜を彷徨ったこともあります。夜の海は恐ろしかったので「また今度にしよ」と迎えに来てくれた旦那とおうちに帰りました。
ようやく寝かしつけたと思ったら30分後には泣き出す。いつ起きるかわからずこちらはゆっくり寝られない。寝たとしてもすぐ起こされる。
今思い出しても泣けてきちゃう⋯![]()
ですので私の検索履歴はだいたい「赤ちゃん 寝ない なぜ」とかでした。
そこで出てきた検索結果に必ずといっても良いほど出てきたのが「発達障害」でした。
よくよく読んでいくと、、、
ん??身に覚えがある症状がある、、、
ASD??なんだこれは???
自閉症スペクトラム障害(ASD)の症状がなんだか自分にあてはまります。主軸となるのは「対人関係の困難さ」「強いこだわり」らしいです。
思春期ごろから同性のコミュニティに属することが困難となり、同じくクラスの中でフワフワしている愉快な仲間達とうっすらつるむのがやっとでした。
中学生のころは自分の居場所をつくれず、なんでか知りませんがとある男児にいじれめられ、不登校になりました。
自覚はありませんでしたが「雑談」が圧倒的に苦手でした。大学のころにグループワークをしていて「あなたは全然しゃべらないと思ったら、(とある話題になると)急にしゃべりだすね」と指摘されて雑談に参加しているつもりでできていなかったことにようやく気づいたくらいです。
そういえば小学生の頃、クラスメイトはよく授業中にもおしゃべりをしていて「授業中に一体なにを話す事があるんだろう?」と思っていました。あれもれっきとした「雑談」だったんですね。私は授業態度もテストの点数も優等生でしたが対人関係について採点されていたら毎回赤点だったことでしょう。
強いこだわり、と言われると、思い当たるものはこれといってないのですが、急な予定変更とはかマジで勘弁してほしいですし、興味関心の幅は恐ろしく狭く、そしてめっちゃ深いです。オタク気質ってやつですね。
多分ですけど、私はスペクトラムのうすい?グレーではありますが、白ではない。そんな自己分析です。その事に気づいた当初(子どもがあかちゃんのころ)、これは診断をもらったほうがいいのか??と思い、精神科受診について調べたんですが、現時点であんまり困ってないことに気づきました。
私が精神科に通う必要があったのは中学生のころ、めちゃめちゃしんどかったころでした。
しかしあの当時は自分で精神科を受診するという発想もなく、漠然と「なぜ私は恵まれた環境にいるはずなのにこんなに毎日しんどいんだろう?」と不思議でした。あのときに自分の傾向を知っていればどのような対策をとれば良いか分かったのではないか?もう少し割り切った学生生活を送れたのではないか??と考えたりもします。
まぁ、前置きが長くなりましたが、長男です。
彼もまた、私の血を継いだASD継承者であるという疑惑です。結論からいいますと、彼はまだ正式に診断をつけてもらっているわけではありませんが、彼の特性を総括するとASDと呼ばれる発達特性に酷似しています。
疑惑は全然寝なかった新生児のころからありましたが、決定的だったのは6ヶ月のころです。「後追い、人見知り」が出なかったんです。私は育児書を読みあさりどのような過程で発達していくのかを勉強していましたので、長男が後追いも人見知りもしないのをみて「人間に興味がないんだ!!社会性が低いのかもしれない、、、私の遺伝にちがいない!!」と、とんでもなく不安になりました。旦那に伝えると「はは、そんなこと
⋯⋯あるの??
」という感じでした。さらに月日がながれ、もうすぐ1歳半健診というころ、「発語」はおろか「共感の指さし」もなかったんです。これには打ちのめされました。
ほんとに待ちに待った待望の我が子。大切な宝物のような我が子。そんな我が子が私と同じかそれ以上の苦しみを持って生きていくのかもしれないと思っただけで身が引き裂かれそうでした。
これは私だけではどうしようもない。
旦那にまず、私が考えている疑惑や不安をぶちまけてみました。「そんなに不安に思っているのは君だけだよ」といっていた彼でしたが最終的には「なるほど、たしかに心配だ」と同じ方向を向いてくれました。そして地域の発達相談につながることとなったんです。
そこでは児童発達の専門医と臨床心理士が息子を診てくれました。「言語・社会性の発達は1歳いかないくらいだが、方向性(方向性ってナニ??)は悪くない。そろそろしゃべると思う」と言っていたハズです。今後の方針はこのまま保育園に通いつつ社会性や言葉が伸びてくるかみていく、ということになりました。いち早く療育につなげないといけない!と焦っていたんですが、ここでは療育につながらず現状維持になりました。
方針が決まり、今までやってきたことは間違いではない(早期介入を怠っているのでは?と不安でした)と一安心したこともあり、落ち着いて息子の遊ぶ姿を観察してみました。今まで「あれができてない!これができてない!どうしよう!
」ばっかりだったのが「こんなことができるようになってる!」という視点がとても増えました。
不安っていうのはホントによくないですねぇ⋯
医師の言うとおり、1歳半検診のときにはなんとか3つの単語(たしか「ぬ(いぬ)、ばぁ(ばなな)、ぶうぶ(車)」)をひねり出しました。
共感の指さしに対しては、ある日息子が大好きな象さんを動物園に初めて見に行った時にでました。他の動物は興味なさげに視線をさまよわせるだけだった彼ですが、ゾウさんが現れると目をキラキラさせ、ゾウさんを指差しながら私を見つめているのです。もう、ほんとにうれしくて、息子とコミュニケーションがとれる可能性があることが、もう、ほんとに嬉しかったです。速攻年間パスを発行し今(息子4歳)でも足繁く通っています。
とっても心配した言語発達なんですが、2歳になる頃には2語文が出て、2歳半にはペラペラまではいきませんが年相応くらいには発語がでていました。(「会話」となるとまた違うんですが、長くなりそうなのでここは割愛します。あくまで「発語」です。)
しかし、集団行動がまったくとれません。
なんでしょう、周りの人達の動きを意に介さず、自分の赴くままに行動します。
わかる、わかるよ息子よ。やりたくないことって死んでもやりたくない!って思うよね!!
つか周りの子が凄すぎるんじゃないの??
という気持ちもありつつ。
ようするに出発点が違うんです。他の子と。ぜんぜん。
他の子がなんの労力もなく保育士さんの意図を汲み行動できる一方で、彼はきっととんでもなく努力してようやく保育士さんの「しゃべっている事を聞き取る」レベルなんだと推察します。
これは次男を育てて確信したことでもあるのですが、次男は言葉をしゃべる前から意思疎通ができていたんです。語りかけるとこちらをしっかりみてニコッと反応する。言葉や身ぶりで指示するとそのとおり行動する。育児書にあった「7カ月頃から言葉を理解する」記述が実感を持って理解できました。次男は育児書の通り1歳頃に発語があり2歳である現在では3語文をあやつりペラペラ会話しています。
長男は言語がでてからようやく他者とつながった、という印象で、そりゃあ言葉を話す前から人の意図を汲み取れる人達とは違うわな、と納得しました。
幸運なことに、去年、担当保育士さんから地域の「発達障害を持つ子どもの親に対するペアレントトレーニング」を紹介され夫婦で通うことになりました。
そこでは数組の親子が臨床心理士さんに育児に対する困りごとを発表し、心理士さんが解説したり対策を練ったりして、助言のとおりまた育児をして、結果をフィードバックして、というやり方でした。
息子の困りごとを発表すると「まず、感覚過敏がありそう。そして読み取りの力、予測の力が弱い。これはASDの特徴的な傾向です」と息子の核となる特徴を整理して教えてくれました。これまでなんで話を聞いてくれないんだろう?とか集団行動が取れないんだろう?と悩んでいたのですが、「これが息子の特徴で、彼に対応した方法をこちらが試していくしかない」というマインドにかわりました。
通っていた保育園ではゆったりと彼のペースでいさせてくれていて、息子も担任の先生が大好きでした。
そんな中、私たちに転機が訪れます。
お引越しです。
いや、決めたのは私たち夫婦なんですけどね。。。
なんでかって、子どもたちを私の母校である中学校に入れさせたくなかったんです。トラウマすぎて。。。マジムリ。。。
私立中学校も考えたんですが、なにせ遠い!そして本人が行きたがるかわからない。それだったら旦那の実家近くに引っ越して保育園ー小学校ー中学校と通わせるのが良いのでは?と考えまして、引っ越しとなりました。息子たちには多大なストレスを与えてしまい、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それから2ヶ月、、、ほんとに色々ありまして、、、その間のことについてはまた後日書きたいと思います。