あれは、ファン(羽生選手の)に対してのみ 語られたことであり、まさか 自分のことを大して好きでもない人が 見に来ているとは思わず、素直な心をさらしてくれたのだと思います。
用意周到に 大々的な CMや、宣伝などをせず、こっそりと ショーのチケットを販売し、ライブビューイングでは 映画の倍以上の値段を設定し ひやかしでは見に行かないだろう線を狙い、本当に 彼を好きな人だけが 見ることが出来た ときに 彼の思いを打ち明けてくれて それを 受け止めてくれることを 期待し、見る側も 教えてくれたことを喜びと出来ることを 贈ってくれたのだと思います。
彼はとても賢く、すなおで、かわいらしく ちゃんと 相手の望むものを きちんとした形で 届けようと努力をしてくれています。
このショーの言葉に対して、彼を 好きではない人間が見て おもしろくないと 思ったとしても、その人間の推しが もしも 同じことを 自分に対してしてくれたとしたら 涙を流して 感動したと思います。
人のよろこぶことは 大抵一緒です。
認められ、求められ、求めることに答えてもらえた上に感謝され、そのうえ秘密の共有さえしてくれるなんて この上ない特別感をもらえたはずです。
そして、大概のひとは そのようには できません。
やれないのが普通だし、やろうとさえしないのが普通です。
一歩はずせば 大恥です。
だからこそ、アンチは 叫び続けるのでしょう。
普通なら できないことを やり続けるから。
欲しいものは 決して手に入らず、おのれが 変われば すぐに手に入れられるとわかっていても いまさら 平安が欲しいなどとは 望めないのでしょう。執着を 手放せばいいのに。
憎むより 受け入れるほうが ずっと簡単で 楽しいのにと 思ってしまう 私には まったく理解できないのですが、その精神のあり方を 知るすべがないのが ラッキーなのだとも 思うので。
わたしは あれほどの執着と 労力を 厭う相手に注ぐことは出来ない。
変わった人だとしか思いようがないが、対象が違うだけで 単なる人生の無駄遣いと思えば 同じようなことをしていないわけではない。
わたしは 好きなこと好きな人に対して 役に立つでもなく 感謝されることでもなく、ただの娯楽として 時間の浪費をしていると思うことがあるからだ。いや、楽しみの時間をもらっているのだから、決して 無駄遣いではないと 思っているのだけれど。
あの言葉たちは、ファンにのみ 伝われば良いことで テレビを見る その他大勢には さらさなくても よい言葉だったのではないでしょうか。
ファンは、ファンであることが前提になっているので、一般の方の反応が理解できなくなってしまっている部分があると思います。 大切で 繊細な言葉は きちんと 扱われるべきだと思います。 知らない人に わたらなくて よかったと 感じました。