現在フロリダ州ジャクソンヴィル、及び全米を対象に就活を行なっています。

 

 

正確には僕はまだ永住権を取っていないどころか、申請も始めていないため、アメリカで就職できる身分ではないのですが、今からでも始めておかないと通常2~3ヶ月Hiringプロセスがかかる、ということで、理想としては永住権が来たらそのまま9月頃就業開始、となるわけです。

 

 

 

説明会に行った先は、Bankersという全米に展開している中規模のファイナンシャルファームとでも呼ぶのでしょうか。保険、投資、など、顧客のファイナンシャルプランを一緒に設計する会社です。この間行ったWaddel&Reedと同じ系統のようです。要するに、顧客(主に65才以上がターゲット)の健康保険(アメリカにはMedicareという65歳以上の高齢者用国民保険制度があるが、8割までしかカバーされず、心臓移植などの大きな手術になればこの国では数千万の金がかかるため2割負担だといってもうかうかしてると破産する)や生命保険のルールなどは非常に複雑で、実際に65歳になってから調べ始める人もいるということで、ここまでファイナンシャルアドバイザーという仕事が広く成り立つということだ。

 

 

 

アメリカの就活は日本でイメージされるような就活とはまるで違う。日本では震災後、企業はクールビズを呼び掛けたが新卒の学生たちは相変わらずリクルートスーツをビシっと決めて就活していたというニュースを読んだことがある。

 

 

 

アメリカでは(少なくとも僕がこれまで経験したものは)全く逆で、男性はネクタイもシャツの色も奇抜、ドレッドヘアーの黒人もいる。女性はもっとバラエティーに富んでいて、会場をパッと見た感じでは社交パーティなのか面接なのか分からない。僕と真波だけほとんど日本の会社に面接に来たかのような格好だった。ちなみに40人の会場に白人、黒人が6:4くらいでアジア人は僕たちを除いて一人か二人だった。

 

 

 

ファイナンシャルアドバイザーという職業柄、前の会社も今回の会社もプレゼンテーションを行なった人たちは本当にエネルギーに満ちていて、ユーモアやウィットに富んだ喋り方をする人たちだった。改めてプレゼンの技術の大事さを思い知らされた。思うにユーモアやウィットの富んだプレゼンテーションは日本人が恐らくもっとも苦手とすることではなかろうか。それは日本の首相や政治家の人達だけじゃなく、日本の就活シーンを見ていても思うことだ。

 

 

 

ただし嘆いてばかりもいられない、ベンチャー企業と言われる中小企業の社長さん達の中には面白い人、情熱を感じる人たちはたくさんいたし、日本一の車セールスマンのJさんのような人達にも会った。

 

 

 

今回の震災にあって、クールビズにも対応できない日本の新卒学生達を思うに、日本の旧来の価値観が社会を支配していることは容易に想像ができる。何もかも壊してアメリカの様になれ、というのではない。

 

 

 

ただ、(経済的)衰退の運命をゆく日本にとって、これまでの価値観のまま生きていても将来の保証は全くない、今までの年功序列の日本のシステムではもしかすれば、一生日の目を見ることはできないかもしれない。そのことを若い人たちはもっと知っておくべきであると思う。そのような時代に成功出来るのは、勉強ができるとか、スーツをピシッっと着られるとか、そういうことではなくて、人を惹きつけるプレゼンや魅力を持っていたり、率先してクールビズをアピールできるような、そんな肝の座った人材なんだろう。
 

ブログ、3日坊主どころか2日坊主になるところでした。笑

現在フロリダ州ジャクソンヴィル、及び全米を対象に就活を行なっています。

正確には僕はまだ永住権を取っていないどころか、申請も始めていないため、アメリカで就職できる身分ではないのですが、今からでも始めておかないと通常2~3ヶ月Hiringプロセスがかかる、ということで、理想としては永住権が来たらそのまま9月頃就業開始、となるわけです。

説明会に行った先は、Bankersという全米に展開している中規模のファイナンシャルファームとでも呼ぶのでしょうか。保険、投資、など、顧客のファイナンシャルプランを一緒に設計する会社です。この間行ったWaddel&Reedと同じ系統のようです。要するに、顧客(主に65才以上がターゲット)の健康保険(アメリカにはMedicareという65歳以上の高齢者用国民保険制度があるが、8割までしかカバーされず、心臓移植などの大きな手術になればこの国では数千万の金がかかるため2割負担だといってもうかうかしてると破産する)や生命保険のルールなどは非常に複雑で、実際に65歳になってから調べ始める人もいるということで、ここまでファイナンシャルアドバイザーという仕事が広く成り立つということだ。

アメリカの就活は日本でイメージされるような就活とはまるで違う。日本では震災後、企業はクールビズを呼び掛けたが新卒の学生たちは相変わらずリクルートスーツをビシっと決めて就活していたというニュースを読んだことがある。
アメリカでは(少なくとも僕がこれまで経験したものは)全く逆で、男性はネクタイもシャツの色も奇抜、ドレッドヘアーの黒人もいる。女性はもっとバラエティーに富んでいて、会場をパッと見た感じでは社交パーティなのか面接なのか分からない。僕と真波だけほとんど日本の会社に面接に来たかのような格好だった。ちなみに40人の会場に白人、黒人が6:4くらいでアジア人は僕たちを除いて一人か二人だった。

ファイナンシャルアドバイザーという職業柄、前の会社も今回の会社もプレゼンテーションを行なった人たちは本当にエネルギーに満ちていて、ユーモアやウィットに富んだ喋り方をする人たちだった。改めてプレゼンの技術の大事さを思い知らされた。思うにユーモアやウィットの富んだプレゼンテーションは日本人が恐らくもっとも苦手とすることではなかろうか。それは日本の首相や政治家の人達だけじゃなく、日本の就活シーンを見ていても思うことだ。

ただし嘆いてばかりもいられない、ベンチャー企業と言われる中小企業の社長さん達の中には面白い人、情熱を感じる人たちはたくさんいたし、日本一の車セールスマンのJさんのような人達にも会った。

今回の震災にあって、クールビズにも対応できない日本の新卒学生達を思うに、日本の旧来の価値観が社会を支配していることは容易に想像ができる。何もかも壊してアメリカの様になれ、というのではない。ただ、(経済的)衰退の運命をゆく日本にとって、これまでの価値観のまま生きていても将来の保証は全くない、今までの年功序列の日本のシステムではもしかすれば、一生日の目を見ることはできないかもしれない。そのことを若い人たちはもっと知っておくべきであると思う。そのような時代に成功出来るのは、勉強ができるとか、スーツをピシッっと着られるとか、そういうことではなくて、人を惹きつけるプレゼンや魅力を持っていたり、率先してクールビズをアピールできるような、そんな肝の座った人材なんだろう。

今日はうちの車のトレードイン(簡単に言うと車の買い替え)に興味があるとかいう車屋に二人して行ってきた。

 

 

 

Acuraディーラーなのだが、トヨタも日産もアメ車もなんでも扱う。アメリカのカーディーラーはほとんどがそうだ。

 

 

 

奥さんが乗ってるキャデラックはバカでかくてガソリンも食う、小さい日本人の二人には全く必要のないサイズなので、第一希望ホンダフィット、第二シビック、第三カローラ、という形でディーラーに希望を伝えた。できれば同じくらいの価値の車が良いが、無理ならキャッシュで5000ドルまでは払う用意がこちらにもある、と。

 

 

 

しかし、ディーラーが持ってきたのは:

 

・フォード  フォーカス(マニュアル車) 

・ヒュンダイ サンタフェ 

・シェビー マリブ

 

 

だった。ディーラーの営業マン(20才の若造)の言い訳としては、僕らのキャデラックのバリュー+5000ドルではどうがんばっても日本車は持って来れなかったらしい。それならそれで無いもんは出せません、と素直に言えば良いものを、随分長い間待たせてこの結果だったのでがっかりした。

 

 

 

キャデラックも買取価格は$4000だという。ものすごい足元見た価格設定だ。

話すことはもうないな~ということで帰ろうとすると、次はいつ来れんだ?のオンパレード。しかも、僕らの車は勝手に移動されてるし鍵も彼らが持っていた。妻の仕事の面接の時間が迫ってるので鍵を早く返して欲しい、と言うが、奥に引っ込んでしまうし、時間はどんどん経ってゆくし、とてもイライラさせられた。

 

 

 

 

どうも車のディーラーみたいなところの営業マン(若い奴だったというのもあるかもしれないが)はがっついてて嫌だ。というわけでAcuraに限らず、アメリカの車ディーラーは大体こういう感じだと思うが、あまり良い印象の残らないディーラー訪問だった。


 

今日からこちらでブログを書いてみることにする。

理由としてはMixi意外に個人的な生活やよりプライベートなことを気兼ねなく書けるスペースがオンライン上に必要になったということがある。このブログの目的は自分や家族の生活を書き連ねることで後で過去を振り返るときに自分たちが辿ってきた軌跡を見つめなおしたり、反省したり、将来に活かせることが何かあれば、と思うからである。

固い前置きはさておき、とりあえず現在5月24日(正確には12時過ぎたのでもう5月25日)における僕と妻である真波の現状から書いてみたい。



ピースボート72回クルーズでのCC(通訳業務)を終えて、僕らは5月2日に住処である、フロリダ州はジャクソンヴィルに戻ってきた。日本はまだまだ地震、津波、そして原発の問題が深刻で、街の明かりが暗く、心なしか街行く人たちの表情もあまり明るくはない。日本の将来は大いに不安ではあるし、後ろ髪も引かれる思いではあるが、僕と真波には未来があり、僕らにはアメリカで暮らそうという将来的なプランがあったので、予定通り帰ってきた。

帰ってきて最初にしなければならなかったのは「結婚」だった。日本の役所では花嫁が離婚して半年以内の場合には結婚ができないと言われてしまっていたので、そのような制約のないアメリカで結婚をした。どちらの国で結婚するかはこの際どうでも良かった。式は来年日本の実家(教会)で挙げるつもりだ。

結婚を急いだ一番の理由は、僕の学生ビザは切れているし、OPTもピースボートのために取らなかったので、実質的にアメリカに滞在できるのは3ヶ月と決まってしまっているため、結婚してすぐに永住権を申し込まなければならない、と思ったからだった。実はこのことが後々裏目に出てしまうとはこの時は思ってもみなかったのだが...



船での知り合いであるレズビアンアメリカ人弁護士にこのことを相談してみたところ、僕らは非常に大きなミスを犯してしまったらしい。3ヶ月ビザなしプログラム(実質は観光ビザ)でアメリカに入国しておいて、すぐに結婚すると、元々移住目的で入国した、ということになり、これはFraud(詐欺)に当たってしまうということらしいのだ。ただし、観光目的で入ったけれども2~3箇月して(この辺が曖昧なのだが)恋に落ちて結婚、となる場合にはOK、となるらしい。(ただし、アメリカにおける9割の結婚は偽装なので、どちらにしても審査官から厳しく追求されるそう)。

そういうことなので、入国して4日後に結婚などというのは言語道断、下手をすれば、面接に行った当日に拘束されて、本国に強制送還される、なんて可能性もあるらしい。そうなればこの先10~20年はアメリカに入国はできない。もっと早く彼女に相談をしておくべきだったと後悔したが、とにかくやってしまったものはしょうがない、移民専門の弁護士をハイアーすることにした、幸いにも良い弁護士が見つかったのでとりあえずは安心した。

ただし、ファイリング(応募)ができるのは万全を持して6月から、GC(永住権)がくるのは恐らく90日後、うまくいけば60日後には労働許可がでるだろう、ということだった。逆に言えば最低でも8月頭まではオフィシャリーに仕事ができないということを意味している。この間の時間をどう有効に使うかが僕の今の最大の悩みだ。GCが出来るまではしばらく働かなくても良い、というエクスキューズを得られたという解釈もできるにはできるが。

ラッキーだったのは真波が化粧品を日本に輸出するビジネスを持っているので、僕がしばらくの間、やり方をおしえてもらいつつ引き継ぐことができるということだ。



妻の真波はアメリカ国籍で、今年終わりから来年始め位までにかけて米国公認会計士(CPA)試験を受けようとしている。その間は仕事をせずに受験に集中するつもりだったらしいのだが、やはり夫婦揃って無収入というのはあまりにも落ち着かないので、今になって会計士事務所やファイナンシャルオフィスやテレマーケターの仕事を探し始めている。



正直、新婚夫婦のアメリカ生活は、言葉の響きほど優雅でも楽でもない。元来日本人の、ジャクソンヴィルに縁もゆかりもない、(ついでに仕事もない)二人が暮らしてゆくには様々な困難が立ちはだかる。

知り合いがいない、という問題だったり、家が辺鄙な場所にあるのに加えて、町が広すぎて移動に時間がかかる、健康保険がないので日本人から見ればバカ高い額を払って雀の涙ほどの医療がやっと受けられるか受けられないか、というレベルであること、仕事を探していると詐欺まがいの行為やねずみ講のような悪徳業者がいること、家主は真波の旧来の友達で良い人なのだが、やはり自分たちの家ではないので勝手が違うこと、安定した仕事についていないにも関わらず、僕の永住権取得のために何千ドルというお金が飛んでゆくこと、等々。

ここまで精神衛生上よろしくないことが続くとは当初、予想もしていなかったことだった。

何はともあれ、人生は待ってくれない、日々を遮二無二やってゆくしかないのだ。



今日は、夫婦二人してWaddel&Reedというファイナンシャルオフィスに行ってファイナンシャルプランナー・アドバイザーになるためのセミナーのようなものに参加してきた。ファイナンシャルプランナーの仕事は不景気に強い Depression Proof であるということ、人生に関わる様々なフィールドに携われるのだということ(Tax,Insurance,Stock,Bond,Education,ect.)、多くの貴重な人脈を築けるということ、人の人生を時には左右するということ、等々を学んだ。ファイナンシャルプランナー・アドバイザーになるには、会社の支援でCFPというテストを4ヶ月の勉強でパスしなければならない、上に挙げた様々なフィールドに関わるテストなので、複雑で難しく、並みの勉強ではパスできなそうだ。それをパスしても、最初のうちは地道な営業のような仕事で人間関係のネットワークを築いていかなくてはならない。やりがいはあるが大変な仕事だろう、特に肌の色も発音も残る外国人にとっては。 去年の夏、日本の会社の面接に行ったときには、営業だろうがなんだろうが、なんでも来い!という感じだったが、やはりアメリカで、しかも経験もない中で、となると多少腰が引けてしまう。ただ、将来のキャリアにはきっとつながる仕事なので興味はある。


とにかく、このような形で僕たちのアメリカ生活は新たなスタートを切った。これから、日々起こったことや感じたことを日記にしたためてゆきたい。