日曜日の夜


何故だか

いつも決意する


ダイエットしよう


筋トレしよう


読書しよう


勉強しよう


時間を有意義に使おう


でも月曜日、仕事を終えると


その決意は嘘のように忘れる


仕事で疲れたので

暴飲暴食をして


仕事で疲れたので

筋トレ、読書、勉強はしない


そのくせ

パチ屋に行ったりYouTube見たりゲームしたり、、、

疲れたという言葉は

都合の良いものだ


そもそも

日曜日の夜に

このままの自分ではダメだと思い

決意をしたくなる


平日の仕事のある日に決意はしない

不思議と連休の最終日にしたくなる


それなのに

いざ月曜日、仕事を終えると

これまでの自分でいることを選択してしまう


まるで選挙の公約のようなものだ

当選するまでは立派な公約を掲げ意気込むが

いざ蓋を開ければ公約など口にもしない

選挙の票集めの為の公約にしかすぎない


だからいつまで経っても搾取される側の世界にいるんだ


その決意には具体性がない

そうまるで選挙の公約と一緒だ


暮らしを豊かにします、税金減らします、もっとクリーンにします


いつ どこで 何をして が欠けているのだ


特別な決意などしなくても

明日になればサラリーマンは仕事へ行く

そして決められた業務をこなす


そこには具体性があるからだ


ダイエットする、筋トレする

聞こえが良いから言ってるのだ


明日は仕事終わったら○○のジムでベンチプレス を60kg10回3セットやってチェストプレスで追い込む


という具体性だ


いつも行き当たりばったりだから

やらないのだ


というより

やらなくていいように無意識に

決意を抽象的に言って後から逃げ道を確保しているのだ


明日の仕事終わってから何をするか

具体的に決意を書こう

そして決意に対して結果も書こう


搾取する側へ向かう為の第一歩だ


その積み重ねが

搾取する側の世界へ行く切符になるだろう