お弁当と水筒を持ってピクニック
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もっとも深刻な危険は、集団熟議そのものではなく、完全なあるいはそれに近い形での自己隔離から生じる。その多くは、極端主義と周辺化がきわめて不幸な(時に致命的な)形で結びついた場合である。どんな制度であれ、その設計者や指導者にとって有意義なのは、孤立集団の熟議と、さまざまな孤立集団のなかにいた人たちの見解を含む、幅広い立場からなされる討論、その両方にとって十分な広さの社会空間の創出を推し進めることである。「公共圏」という観念を発展させたもっとも著名な論者はユルゲン・ハーバーマスであるが、この考えは、人々が多様な見解をさまざまな角度から見聞きできる領域を確保する試みとして理解できる。近時、インターネット空間において、考えの異なる人々の間で確実に熟議が行われるようにするためのシステム設計の提案がなされているが、この理解はこの提案を強く支持する。集団極化が起こるという事実が示すのは、連邦上訴裁判所の合議体がいずれか一方の政党に属する大統領から指名された裁判官だけで構成される可能性を減らすための対策をとるべきだろう、ということなのである。