日本には
学問の自由がある。
何の目的をもって、どんな勉強をするのか
人それぞれだがそれを許されてる。
よく「効率よく勉強する」ことをうたい文句に教育産業の一角が
広告して商売やってる。
確かに人生は短い。私はすでに四捨五入して50だ。
無駄な勉強をしてゴールに到達するほど時間はもう余ってない。
しかし、しかしだ。
一軒無駄だと思える勉強は、実は後になって役立つものもあるのではないか?勉強なんてそんなもんじゃないか??
一方で人生は長い。勉強してみて身につかなくてあきらめて他の道を行く。そのあきらめ時は本当なのか?
私は勉強に関していえば効率よくできるほうではないのはよく分かる。
けど
毎日毎日生活に追われて学問を忘れる人生はごめんだ。
母が「大学に行きたかった」とこぼすようになった。
「行けばいいじゃん!いっぱいいるよ!!」と励ましても
「意味がない。」と返される。
母が言いたいのは大企業の総合職就職に大卒の履歴が必要だと
思っている。
今でも彼女は一般職就職だったことに歯ぎしりして悔しがっている。
確かにうちの母は頭はいいが、その発言には聡明さがいまいちである。
今私が力を入れて勉強してるのはTOEICだけだが、TOEICは学問じゃない。英語は学問に一つだ。これが私の勉強で吉と出てるか凶と出てるか分からない。
私は家庭ではたまたま学問が好きなパパがいる。ちょっと話すと
己のプライドのため機関銃のように話すパパ。かといって
パパは学者じゃない。それこそ趣味だ。
職場では、いろんな履歴の人がいる。教養の香りはかえって危険だ。
そこそこの役職にでもつければ教養は生きてくる。特にプレゼンテーションするにはどうしても時に質疑応答の際に教養が伴う。
(と思いますが)
今日は何を言いたかったのだろう?
恩師に会いたいな。
人生で最も教養の香りがした人。
その生活はすがすがしいものだった。(生きてます!)
ではまた。