天皇と皇室の後継難の解決を目指した「皇室典範改正案」が国会で討議されている。

 

小泉内閣時代の2005年に報告があった当時の有識者会議による案は「女性・女系天皇を認める」案であったが、悠仁さまの誕生があり見送られることとなったまま今日に至っている。

 

悠仁さまの誕生で当座の問題は解決された形ではあるが、しかし、「側室制度の廃止」と「男系男子限定」の両立は困難を極め、根本的な解決を見ないまま今日に至っているわけでもある。

 

今国会で議論されているのは、政府の有識者会議が2021年にまとめた案で2点を中心に進められている。

 

第1点は、「女性皇族は結婚後も皇族の身分を保つ。その配偶者や子供は皇族としない」というものである。

 

真子さまの例もあり、秋篠宮殿下の「皇室も生身の人間」という発言を考慮すれば、「本人限定」もやむを得ないのかもしれない。

 

ただ、私は高市首相ら自民党保守勢力が言うように「女性、女系天皇容認につながるから」という理由は認めない。

このことは、第2点目の案をどう考えるかということと関連する。

 

第2点は、「旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎える」という案である。

 

この案で問題が解決できればいいが、「該当者の意思」の問題もある。根本的解決につながるかどうかは、なお流動的と言わざるを得ない。

 

高市首相は「男系という歴史的事実が天皇の権威と正当性の元」と発言しているが、私はそのことも認めるが、それ以上に「象徴という天皇の地位の神聖性、世俗的超越性」にこそ「天皇の権威の源」があるのではないかと常々思っている。

 

一言で言えば、国民の心を支える「気高さ」である。

 

その最たる例は、敗戦で荒廃焦土と化した日本の復興に果たした役割を考えればいい。天皇制が与えた国民的安心感と統一感は、日本の戦後復興の精神的支柱でもあったと思う。

 

歴史的存在感も大きいが、その精神的存在感は政治権力以上の力を感じさせる。

つまり、天皇制の持つ崇高な機能である。

今日においてもその精神的伝統は、「国民に寄り添う形」でいかんなく「祈り」として発揮されている。

 

この精神的機能面に着目すれば、男系男子が困難になった時には女性天皇であろうと女系天皇であろうと、天皇の機能を果たせるのであれば、こだわる必要を私は感じない。

それが時代の現実に相応というものであろう。無理なことは長続きしない。

 

世論調査によれば、国民の7割前後も「女性・女系天皇容認」にある。世論も時代の推移に応じ「機能面」に着目して考えているのだろう。

「女性・女系天皇」もかたくなに否定数るのではなく、次善の道として残しておくべきであろう。

 

何よりも「国民的合意」が大切である。