本日のお題「心はホット、頭はクールに」は、美輪明宏大先生の言葉だ。どんなことがあっても、人には共感を持って接し、でも頭は理性を働かせましょう、ということだ。

 

 ハンナ・アーレントに関する本を読んでいて、この言葉を思い出した。

 

 

 ハンナ・アーレントは1906(明治39)年、ドイツでユダヤ人の両親の元に生まれた。

 ヒトラーが首相になった1933年、26歳でドイツを脱出する。40年に亡命先のフランスで収容所に入れられたが、脱獄して夫とともにアメリカに渡った。ちなみにこの夫というのは二番目の夫ハインリッヒ・ブリュッヒャー(ユダヤ人ではなかったが共産主義者だった)で、1970年にブリュッヒャーが亡くなるまで互いに精神的支柱であり続けた。

 

 

 ナチスのユダヤ人問題の責任者であったアイヒマンは、逃亡先のアルゼンチンでイスラエル諜報機関に発見、逮捕され、エルサレムで裁判にかけられた。そして1962年に絞首刑となった。

 

 ナチスのユダヤ人絶滅政策が本格化する前にドイツを離れたアーレントは、ナチスの全体主義を体験していない。この裁判を傍聴することが自分の責任だと感じたという。そして「エルサレムのアイヒマン‒‒悪の陳腐さについて」を書いた。

 

 この論文は発表された直後から非難にさらされた。実際には記事を読んでいない者もこの非難の渦に加わり、アーレントの著書不買運動が広がった(「読んでいないのに批判」というあたり、現代のどこかの島国でもよくありますね)。

 

 その理由は、ユダヤ評議会のナチスへの協力について書いたから、そして悪の権化であるべきアイヒマンを思考力の欠如した凡庸な人間としたからだ。

 ユダヤ人を含む多くの人間がこれをユダヤ人への裏切りと理解し、アーレントはユダヤ人のほとんどの友人から絶縁されることになる。

 

 

 アーレントとはやりユダヤ人である友人ショーレムと交わした書簡で、ショーレムは「民族の娘」であるアーレントの文章は同胞への礼節を欠くものだとした。

 

 それに対しアーレントは、自分は「民族の娘」ではなく、自分以外の何者でもない、自分が愛するのは友人たちであって何らかの民族、あるいは集団ではないと答える。

 ユダヤ人だからこそ「民族の悲劇」は我がこととする「べき」だという圧力をものともせず、堂々と宣言する。生半可な覚悟ではできない。

 

 この強さ。まさに「頭はクール」である。 

 

 頭をクールにしておくことは難しい。とりわけ官民挙げて感情第一な現在の日本では。

 

参考

「ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者」矢野久美子 中央公論社

「ハンナ=アーレント」太田哲男 清水書院