「自己開示」

と、書いたとたん、



胸のザワザワが止まり、
ついでに、始めたブログまで止まってしまい(笑)


あれ? 
開示と宣言しただけで満足したのかな?



まあ、いいや…

また、書きたくなったら書けばいいし、
としばらく放置。





で、今朝


まだほんのり肌寒い気温の初夏の朝のじかん、

静けさの中で、ふと思い立ってまた書いてみた。





連休中、うちの相方さんとクロスバイクで
海沿いの道路を走ったんですけど

それが、とてつもなく気持ちよくて…
海風の中で、
道を突っ切りながら、思わず思ったのが、


こんなに軽やかな60代がくるなんて!


だれが想像しただろう。


あの暗く、重苦しかった20代、30代のころには
とてもとても想像できていなかった。


60代なんて、ほぼ棺桶に足突っ込んでると
本気で思っていましたからね(笑)


当時、60歳の女性に向かって「おばあちゃん」なんて
平気で呼びかけていましたもの。

いま、思えばなんて失礼だったんだろうって思います。



それくらい、若いころって、
じぶんが歳を取ることなんて、想像もつかないんですよね。


あの頃
どれだけ、重い荷物を背負い込んでいたんだろう。

誰から背負わされたわけでもないのに。

じぶんで勝手にたくさん荷物を抱えて
ウンウン苦しんで、先が見えなかったわたしに


こんな「今」がくるなんて想像できるわけがない。




だけど


36歳の頃から、じぶんを見つめ始めた。

いや、見つけ始めたのかな?


とてつもなく長い長い作業。

見つけたと思っては、また戻り
わかったと思えば、また落ちる。


そんな作業を繰り返し、繰り返し




一つひとつ、少しずつ少しずつ
背負っていた重荷を下ろしていき

おそるおそる、一枚一枚の扉を開けつつ…



やっと、奥底にいるじぶんを見つけたら


いつのまにか荷物はどこかに消え、


軽やかな、ほんとに、毎日がワクワクの「今」に出会った。


こんな60代が待っているなんて…



生きてみなければ、わからないウインク











子ども時代から10代、20代と暗黒時代は続くわけですが…ショック




いったい、なぜ「書く」ことにすがっていたのか?


絵を描いてもいいし
歌を歌ってもいいし
ダンスをして体を動かしてもいいし



ココロのバランスを取るためには、なんでもよかったはずなのに、


わたしには
たまたま書くことが、性に合ってたんでしょう。




40歳近くになるまで、その「書くセラピー」は
続いていました。



今でも、時々、気持ちがブレたり揺れたりしたとき
内観するかのように、ノートならず、
スマホのアプリに綴っています。





実は、わたしは他のサイトで ブログを
すでに10年以上続けています。




そこには、写真入りで

なにを食べた、誰と会った、
今日はなにをした、という

他愛もない日常の備忘録を綴っています。



それはそれで楽しいのだけど…

なにか、それではもの足りなくなり

だんだん胸がざわつき始めているのを感じていました。



最初は無視していたけど、


なんだか、日に日に、内なる奥の方が騒がしい。


なんども聞こえないフリをしたけど、



耳をすますと


出してくれ! 


と、言っている「声」と「ざわめき」が聞こえてくるのです。



なにを?

出すっていうの?


過去のドロドロを?
潜んでいる闇を?
この経過や、変遷を?



冗談じゃない!
と、思考で抑えるわたし。



騒がしいこの「声」は
きっと気のせい。




わたしはそんなこと望んでいない。



いい歳をして、自己開示なんて、できない。


と、自意識が否定する。



浮かんでは消し
湧いてきては抑え



それでも、ざわつく、なにか。



そう…

人の話を聞くのは得意で、好きで
今まで仕事でも
いろんな人となりを紹介してきました。


知らない人の内なる気持ちを綴ったブログを読むのも
好きです。


だけど気づけば、


じぶんのことを
文章に綴り、表に出すことが
どんなに苦手だったか…



それに気づいたのです。




歳を重ね、経験を重ね、
もう、じゅうぶん軽やかに解放されているはずなのに


自己開示をこんなにも怖がっていたとは…ガーン




なぜ、いまさら
じぶんを書くことが必要なのか?


この先、なにを書くのか?
なにが出てくるのか?


そんなこと、わからない。 


だけど、とにかく

なんかザワついている、このなにかを鎮めたい。

この「じぶん」に応えたい。



と、始めたバンジー(笑)





どうぞだれも読まないで、と願ったはずなのに



それなのに、あれ?




1人でもイイね、がついてると、
なんだかうれしがってるやん笑い泣き




ほら、もう意外なじぶんが出てきたよ音譜



また、少し軽くなっているよウシシ










物理的には満たされていたものの

ココロの奥底に、ぽっかり空いた穴。



外れないように、世の常識、社会のルール、

両親の理想に沿って、育っていくうち



いつの間にか、  

じぶんは、意見や意思や感情のない



“空っぽの人間” だと、



どこかで感じるようなり、




たとえ、普通の女子のようにふるまっていても


いつかバケの皮が剥がれ、

その空っぽさを見破られる。


と内心、いつも怯えていました。





その穴を埋め始めたのは、12歳のとき。




わたしが起こした、あることで
父親が激怒したのがきっかけでした。


家長であった父親は、家庭の中では神でした(祖母と母は勝手に侍女してましたが  笑)


決してワンマンではなく、日頃優しかった父だけに、

常に正しく、立派で人柄もいい父だっただけに、


その父を怒らせるのは、
我が家の法律では、完全にわたしが悪いのです。



だけど、そのときだけは…


父の怒りに触れて、震え上がりながらも、

はじめて自覚したのです。



「わたしは悪くない。

父とわたしは違うんだ」


と。



これが、いわゆる
自我の目覚めってやつでしょうか?





それをきっかけにして、


12歳のときから

次第に、精神的に両親から離れていきました。



 


さあ、

ここからが黒歴史の始まりですグラサン




夢はこの家を出ること


勉強もほとんどすることがなく

成績も落ち始め


平気でウソをつくようにもなり、

当時「不良」と呼ばれる男子とも、付き合うようになってきたりあせる


高校に入るとズル休みや、

隠れてタバコ吸ったり…ウシシ


表ではきちんと育てられた普通の女の子、

裏は闇を抱えたネクラ女子汗





そして、


置き去りにされたココロの穴を埋めるかのように

胸のうちをすべてノートに書きまくっていました。




ポエムだったり、


物語だったり、


日記だったり、


ただの雑記だったり…





書くことで、心のバランスをなんとか保っていたのだと思います。







その「書くこと」が、遠い未来、やがて仕事になるなんて、思いもしませんでしたけど爆笑






いま、振り返っても、

まさかのシナリオだと感じずにはいられません