そのあと、ふたたびタイヤが路面をとらえ、ようやくバリアントを制御できたかに思えたそのとき、

右側に軽い衝撃があった。

白のSUVに斜め側面から衝突していて、こっちの車のほうがずっと小さかったのにもかかわらず、

そのSUVは豆鉄砲に打たれて倒れる象のように、接触の衝撃でぐらぐらと揺れているようだった。

さらに、怯えているというよりは、きちんとした秩序ある生活を送っていても何かが急にぶつかってくる

こともあるのだと知って驚いているような女の子の顔が、ちらりと見えたか、見えた気がした。

その女の子はスキージャケットを着て、ひどく洒落っ気のない巨大な眼鏡をかけており、

白い毛皮の耳あてをしているせいで、よけいに奇妙だった。

女の子の赤い口は、驚きのためにあんぐりと開かれていた。

12歳ぐらい。11歳かもしれない。

11歳というのは、あのときの年齢と同じ----すると、

白のSUVは盛り土のほうへゆっくりととんぼ返りを始めたのだった。

 “ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい”、そう思った。

スピードを落とし、車を停めて、SUVの状況を確認すべきなのはわかっていたが、

いっせいに鳴らされたクラクションや後ろに迫る急ブレーキの音、そういうさまざまな音のせいで

思わずスピードを上げてしまっていた。

あれはわたしのせいじゃないわ!

SUVがひっくり返りやすいということを、みんなももう知っているべきだ。

あんなふうに軽くどんとやったくらいで、あんなにとんでもない事故が起きるなんて。

それに、あれほど長い1日をすごして、目的地まであともう少しだったのだ。

あと1キロちょっとほどの次の出口を出て、インターステート70号線に合流し、

目的地をめざして西へ走り続けていただずだった。

 しかし、いったんインターステート70号線につながる長い直線道路に入ると、

無意識のうちに左車線ではなく、家族が「どこにも行かない道」と呼んでいた奇妙な

未完成の道に通じる、<地元車のみ通行可>という標識のある右車線に入っていた。

うちの家族はみんな、どれほど得意げに自宅への道順を口にしたことか。

「インターステートを東方向に、行き止まりになるまで進むんだ」

「インターステートが行き止まりになることなんてあるの?」

すると父さんは、公園や野生動物、そして港を取り囲むように建っていた当時の質素な

連続住宅を保護するために結束したボルチモア市民の反対運動の話を、

得々と話して聞かせるのだった。

それは父さんの人生における数少ない栄光の1つだったが、

実際には父さんは嘆願書に署名して、

デモ行進をしたというだけのささやかな役割を果たしたにすぎなかった。

どれほどそうしたいと願っていたにせよ、一度も公の集会でスピーチをするようにと

頼まれることはなったのである。

 バリアントは右の前輪がつぶれたフェンダーにこすられているらし嫌な音をたてていた。

動揺していた彼女にとって、車を路肩に停めてみぞれが降り出すなかを歩いていくのは

ごく道理にかなったことに思えたけど、一歩進むごとにどこかおかしいということに気づいた。

息をするたびに肋骨が小さなナイフを突き立てられるように痛かったし、

泥棒や強盗に狙われるからハンドバッグを手首からぶら下げたりせず、体かた離さずに

抱えるという、いつも注意されていたことを守るのが難しかった。

シートベルトを装着していなかった彼女は、車のなかであちこちへ振りまわされ、

ハンドルやドアにぶつかっていたのだ。

顔には血がついていたが、それがどこから出ているのかよくわからなかった。

口、それとも額からだろうか?

暖かいのか寒いのかわからず、目の前を星が飛んでいるような気がした。

いえ、星じゃない。

それよりも、目に見えない携帯電話から発信される、

ねじれたり回転したりしている三角形の電波のようだった。

 10分も歩かないうちに、明かりを点滅させた1台のパトカーが自分の横に停車した。

「向こうにあるのはきみのバリアントか?」

助手席の窓を下げただけで、あえて車から降りようとせずに警官が声をかけてきた。

 あれがわたしの車かって?それは、その若い警官が考えるよりはるかに入り組んだ問題だった。

しかしそれでも、彼女はうなずいた。

「何か身分を証明するものは?」

「持ってるわ」そう言って彼女はハンドバッグのなかをひっかきまわしたが、財布は見つからなかった。

“ああ、そうだった”----彼女はいかにこれが完璧な状態かに気づいて笑いだした。

もちろん身分証明書などない。自分は実際のところ、だれでもないのだから。

「ごめんなさい、いいえ----」彼女は笑いが止まらなかった。

「なくしてしまったの」

 警官はパトカーから降り、ハンドバッグを取り上げて自分で探してみようとした。

だが、彼女の悲鳴が、警官以上に彼女自身を驚かせた。

警官がハンドバッグを腕から抜き取ろうとしたとき、

彼女の左腕から手の部分に焼けるような痛みが走ったのだ。

警官は自分の肩口に向かって応援を要請し、

ハンドバッグから彼女の鍵を取って自分のポケットに入れると車まで歩いていってなかをのぞき、

また戻ってきて、ついに振りだしたみぞれまじりの雨のなか、彼女のそばに立っていた。

彼女に向かっていくつかありふれた言葉をつぶやいたが、それ以外は無言だった。

「大ごとなの?」彼女は訊いた。

「それは緊急治療室に着いたら医師が教えてくれる」

「わたしじゃないわ。あっちのことよ」

遠くから聞こえてくるヘリコプターのプロペラ音が、その質問に答えていた。

“ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい”。でも、あれは自分のせいじゃない。

「わたしのせいじゃないわ。

うまく切り抜けることはできなかったけど----でも、わたしは何もやってない----」

「権利を読んでやっただろう?」警官は言った。

「きみが口にすること-----それは証拠になる。きみが事故現場から立ち去ったことは間違いないし」

「助けを求めようとしてたのよ」

「この道は行き止まりで、そこから先は車を置いて公共の交通機関に乗り換えなければならない。

本当に彼らを助けようとしていたのなら、現場に車を停めたか、

セキュリティ・ブールヴァード出口を使ったはずだ。」

「<フォレスト・パーク>と<ウィンザー・ミル>のところに古い<ウィンザー・ヒルズ・ファーマシー>

があるわ。あそこなら電話をかけられると思ったのよ。」

 警官は、彼女が具体的な名前を出したこと、すなわちこのあたりに詳しい様子であることに

虚を衝かれたようだった。

「ガソリンスタンドならあるけど、薬局など知らない。それにしても、携帯電話は持ってないのか?」

「個人的には持ってないわ。仕事のときは1つ持たされてるけど。

わたしは不具合があるとか、完璧な状態になる前のものは買わない主義なの。

携帯電話は途中で回線が切れるし、2回に1度は怒鳴るような声で話をする羽目になるから

プライバシーを守れないもの。

携帯電話も固定回線と同じくらいにちゃんと使えるようになったら買うつもりよ」

 これは父さんからの受け売りだ。

これほど長い年月を経てなお、父さんは自分の心のなかにいて、

その口調は以前にも増して断定的だった。

“どんな先端機器にもすぐ飛びつくもんじゃない。

厳しい目を持つんだ。きちんと熟したトマトだけ食べること。

姉妹仲良くするんだぞ。いつか、母さんと父さんが死んでしまったら、

残るのはお互いだけなんだからな”。

 若い警官は、良い子がいたずらっ子を見るときのような、

どこか畏敬の念の感じられる目つきで厳かにこちらを見つめていた。

自分のことをこれほど警戒するなんて、お笑いぐさだ。

この薄闇のなか、こんな服装で、

短くつんと逆立った巻き毛も雨でぺたんこになっていることを考えれば、

自分は間違いなく実際より若く見えているはずだ。

ごくたまにドレスアップしたときでさえ、いつも人から実年齢よりは10歳は若く見られる。

そして去年、長かった髪を切ったら、ますます若く見られるようになった。

不思議なことに彼女の髪は、同年齢のほとんどの女性が薬品を使わなければ維持できないような、

光に透ける淡い色をかたくなに保っていた。

まるで、<ナイスン・シージー>を使って赤茶色に無理やり染められていた日々を

恨んでいるかのように。

髪もわたしと同じように、いつまでも恨みを忘れないのだ。

「ポートマン」彼女は言った。「わたしはポートマン姉妹の1人よ」

「なんだって?」

「知らないの?」彼女は警官に言った。

「覚えてない?でも、言われてみれば、あなたせいぜい----24、それとも25歳かしら?」

「来月26になる」警官は言った。

 彼女はにんまりしないようにつとめたが、

そういう彼は2歳じゃなくて2歳半だと言い張る幼児みたいだった。

人は何歳になれば、もっと年上だったらいいのにと思わなくなり、年齢を上に偽らなくなるだろう?

だいたいが30前後というところだろう。

ただし、自分の場合はそれよりもはるかに前だった。

18歳を迎えるまでに、大人の世界と決別し、

もう一度子ども時代をやり直せるならどんなことでもしていただろう。

「じゃ、あなたは当時まだ生まれてもいなかったわ----それに、あなたはこのへんの生まれでもないん

でしょう。だったら、この名前を聞いてもあなたにわかるはずないわね」

「車内にあった登録証には、ノースカロライナ州アシュビルのペネロペ・ジャクソンが所有者になっていた

が、それがきみなのか?確認したところ、盗難届けは出ていなかったが」

 彼女は頭を振った。

この警官に話を聞かせても無駄だ。

自分が言わんとする意味を完全に理解し、その価値を認めてくれるだれかが現れるのを待とう。

すでに彼女は第二の天性となって久しい分析を始めていた。

だれが自分の味方か、だれが自分の面倒を見てくれるか。

そしてだれが敵で、だれが自分を裏切るのか。


矢印つづく

 裸の木立の向こうに、地球に着陸した宇宙船のような給水塔を見たとき、

彼女は胃がきゅっと縮んだ。

その給水塔が目当ての建物ではなかったが、かつて彼女の家族がやっていたゲームでは

重要な目印の一つだった。

ひょろ長い脚の上に乗った白い円盤を目にしたら、スタート台に足をかけてかがみこむ

走者のように、準備をする時間だとわかるのだ。

“位置について、用意、わたしが見つけるわ-------”。

 これは最初からゲームだったわけではなかった。

環状線のこのカーブ部分に寄り添うように建つデパートを見つけること、

それは彼女がひそかに自分に課していた挑戦であり、フロリダから家に帰ってくる2日がかり

のドライブの退屈しのぎだったのだ。

家族のだれ一人その旅を楽しんではいなかったにもかかわらず、

彼女が思い出せるかぎり毎年、冬の休暇になると、みんなで祖母の家へ行った。

オーランドの祖母のアパートは狭苦しくて変なにおいがし、ペットの犬たちは意地悪で、

祖母の作る食事はとても喉を通らない代物だった。

だれものがみじめな気分になったけれど、父さんはそんな気持ちを隠した。

でも、祖母がどうしようもなくけちで、変わっていて、愛想がないことをだれかが

ほのめかそうものならすごく気を悪くする父さんでさえ、いや、父さんが一番、

落ちこんでいた。

そんな父さんも、家が近づいてきてほっとしている様子を隠しきれず、州境を越えるたびに

大声でそれを告げた。

“ジョージアだよ”。

父さんはレイ・チャールズばりの低音でそう言った。

一家はジョージアの名もないモーテルに泊まり、日の出前に出発して、

すぐサウスカロライナに入り----これほどすてきなことはない!----そのあとは

ノースカロライナ、ヴァージニアへと長く退屈な道のりが続く。

それぞれの州で楽しいのは、ダラムでの昼食休憩と、リッチモンド郊外にある広告掲示板

の踊っている煙草パッケージだけだ。

そしてとうとうメリーランド、すばらしいメリーランド、懐かしき故郷メリーランドに入ると、

もう家までは80キロほどで、当時は1時間とかからず到着したものだった。

今日、彼女はパークウェイをのろのろ北上するにおよそ倍近くの時間がかかっていたが、

いまや交通量は減り、通常のスピードに戻りつつあった。

“わたしが見つけるわ-----”。

<ハツラーズ>は街で一番豪華なデパートで、クリスマスシーズンになると

巨大な作りものの煙突と、その水平のでっぱりにずっとまたがったままのサンタを設置していた。

サンタは入るところ、それとも出ていくところだったのだろうか?

彼女にはどちらとも判断がつきかねたが、ある種の鳥たちが船長に陸地が近いことを知らせる

ように、家が近いことを知らせるその赤い姿を見逃さないように注意することにしていた。

それは、いつまでたっても完全にはなくならない彼女の車酔いを鎮めるための

おまじないとして、車の前輪の下に消えてゆく途切れ途切れの線を数えるのと

同じ秘密の儀式のようなものだった。

その当時ですら、彼女は自分に関するある種の情報については固く口を閉ざしていたし、

面白がられるような風変わりさと、たとえば祖母や、歯に衣着せずに言うなら

父さんと同じような変人扱いをされかねない病的な習慣との違いについても、

ちゃんとわかっていた。

だがある日、その言葉がつい口をついて出てしまった。

楽しい、だれにも命じられていない、自分だけのもう一つの秘密の言葉が、

外の世界にもれてしまったのだ。

「<ハツラーズ>が見えた」

 母さんやあの子とは違って、父さんはすぐその言葉に潜む意味を理解した。

父さんはいつもわたしの言葉の隠された意味がわかるらしく、

それは自分が小さかったころには安心感を与えてくれたが、成長するに従って威圧感へと

変わっていた。

困ったことに、父さんはわたしだけのものだった帰宅の儀式を、家族全体でいっしょにやる

ゲーム、あるいは競争のようなものにしようと言い張った。

父さんは家族みんなで分け合うこと、家族だれかのものを取り上げてみんなのものに

するのが大好きだったのだ。

また、父さんは当時の流行語だった“ラップセッション”と名づけた長くとりとめのない

家族会議や、ドアに鍵をかけないこと、そして母さんにやめさせられたものの

半裸でくつろぐことを良いことだと信じていた。

自分の小遣いで買った袋入りのキャンディーであろうと、心にしまっておきたい気持ちで

あろうと、何かを自分だけのものにしておこうとすると、父さんにしまり屋扱いされた。

父さんにそこに座れと命じられ、じっと目を見つめられて、

家族というのはそんなもんじゃないと説教されるのだ。

家族というのはチーム、単一体、それ自体が一個の国であり、

おまえが生涯持ち続けるアイデンティティの一部なのだと。

「我が家は他人を警戒して玄関に鍵をかけるよ」と父さんは言った。

「だけど、家族に対してそんなことはしないんだ」

 というわけで、「<ハツラーズ>が見えた」は父さんが家族の共有物と決め、

だれが一番最初にそれを言うことができるか競争することになってしまった。

家族全員でそれをやることに決まったとたん、環状線の最後の数キロは

耐えがたいほど緊迫したものになった。

姉妹は長距離ドライブのときだけつける古いシートベルトをしたまま前へ乗り出したり、

首を伸ばしたりした。

当時はそんなふうだった-----シートベルト着用は長距離ドライブのときだけ、

自転車用のヘルメットなんてかぶったこともなく、

スケートボードは古いローラースケートと割れやすい板から作ったお手製だった。

彼女はシートベルトで座席に固定されたまま緊張し、心臓がどきどきするのを感じていた。

でも、いったいなんのために?

考えてみれば、彼女がずっと前に思いついたことを一番先に口に出して言うというだけの

つまらない名誉のためではないか。

父さんのやる競争がいつもそうであるように、これにも賞品や得点はなかった。

もはや自分が優勝確実ではなくなってしまったため、彼女は習い性となっていた

別にどうでもいいという態度を装った。

 ふたたびここを車で走っている彼女は、

そんなむなしい勝利ながら、それは望めば必ず手に入るものなのに、

そのデパートがとっくになく、かつての見知った立体交差十字路のあたりがすっかり

さま変わりしていたことも知らずに、まだ緊張していた。

さま変わり、そう、安っぽくなっていたのだ。

かつて穏やかな年配の貴婦人のようだった<ハツラーズ>が俗っぽい家具量販店の

<ヴァリュー・シティ>になり、その向かい、道路の南側にあった

<クオリティ・イン>はよくある貸し倉庫に変わっていた。

現在位置からは、毎週家族で魚フライの夕食を食べた<ハワード・ジョンソンズ>

が交差点のところにまだあるか確認はできなかったが、それも怪しいものだった。

<ハワード・ジョンソンズ>はいまでもどこかに存在しているのだろうか?

自分は存在しているのだろうか?どちらとも言えない。

 その次に起こったのは、一瞬のできごとだった。

考えてみれば、どんなことでもそうなのだ。

彼女はのちに事情聴取でそう言うことになった。

“氷河期だって一瞬のうちに訪れたわ。ただ、その一瞬が連続していたというだけ”。

そう、どうしても必要とあれば、彼女は相手に気に入られるようふるまうことができた。

そして、いまこの場を切り抜けるためにはその作戦が不可欠というわけではなかったものの、

ついいつもの癖がでた。

質問者たちは腹を立てているふりをしていたが、彼女は自分が大部分の人々に

望みどおりの効果を与えていることがわかった。

そのころまでに、彼女は事故の状況をじつにいきいきとそつなくそらんじられるようになっていた。

“橋はまっ先に凍る場合がある”というおなじみの注意事項を忘れて、

右側、つまり東の方角に目をやりながら、子どものころ目印にしていた建物を片っ端から

思い出そうとしていたのよ。

すると、ハンドルが握っていた手からすり抜けていくような妙な感じがしてね、

実際は車が道路から浮いたようになっていたの。

だけど、みぞれはまだ降り出していなかったし、舗装に乾いているように見えたわ。

あとでわかったが、それは氷ではなく、もっと前に起きた事故で残留していたオイルだった。

会ったこともなければ、今後、知りあうこともないだろう連中の職務怠慢、

あるいはちゃんと運転できるだろう。

ボルチモアのどこかで、その晩、だれかの人生を滅茶苦茶にしてしまったとも知らずに

食卓についている1人の男がいるわけで、その男が何も知らずにいることがうらやましかった。

 ハンドルを握り締めてブレーキを踏んだが、四角いセダンは言うことを聞かず、

いかれたタコメーターの針のような動きをしながら左へすべっていった。

車はコンクリート壁にぶつかってはじかれ回転し、今度は道路の反対側へとすべっていった。

一瞬、運転しているのは自分だけで、ほかの車やそのドライバーたちは

畏敬の念に打たれて凍りついたかのようだった。

そのおんぼろバリアント-----日曜版の漫画の主人公だったプリンス・バリアントや、

彼がかつて象徴していたあらゆるものを連想させるその名前は、

縁起がいいように思えたものだったのに-----は、ラッシュアワー最後尾を面白味もなく

走るなんの変哲もない仕事帰りの車のなかにまぎれこんだダンサーのように、

軽やかに優雅に舞った。


つづく

生きているものは、少なくとも知っている

自分はやがて死ぬ、ということを。

しかし、死者はもう何一つ知らない。

彼らはもう報いを受けることもなく

彼らの名前は忘れられる。

その愛も憎しみも、情熱も、既に消えうせ

太陽の下に起こることのどれ一つにも

もう何のかかわりもない。

           コヘントの言葉9章5節~6節{新共同訳}