ケニア山登山から1年後、ケニアの隣国タンザニアにあるアフリカ最高峰のキリマンジャロ山登山に挑戦した。
ナイロビからタンザニアのアリューシャに、友人二人とナマンガ経由の国際バスで向かい、アリューシャの知人宅に一泊した後、路線バスで、キリマンジャロ山南麓のモシに向かい、そこで、別のバスを乗り換えて登山の出発点近くのキボ•ホテルに向かった。

モシのバス乗り場は、現地人でごった返しで、何故か、大勢の子供達が外国人らしき乗客に群がっていた。

こちらも、キボ•ホテル方面行きのバスに乗ろうと、バスに近づいたら、四方八方から子供達の手が、ジーパンの後ポケットの財布に伸びてきて、びっくりした。

必死に、子供達の手を払い除けて、バスの席に着いた時は安堵した。

現地人の誰も、バス会社の人間も、警察官も、こうした窃盗に邁進する子供達を止めようとも、咎めようともしない、ケニアでは、一度も目にした事がない光景に唖然として、この国の病巣を見た思いがした。
キボ•ホテルは、標高1500メートル強に位置し、キリマンジャロ山登山の入口のマラングゲートの近くにあった。
キボ•ホテルの一帯は、いわゆるキリマンジャロコーヒーの一大生産地であり、見渡す限りのコーヒー園が広がっている。
標高1800メートルのマラング•ゲートから登山が始まるが、山岳ガイドと食糧や飲料水などを運ぶポーターなど現地人5人を雇用して総勢8人のグループ登山となる。
登山初日は、標高2700メートル超のマンダラ•ハットを目指して、熱帯雨林の中をチンタラ進む。
野生のバナナなども生えていて、時折、野鳥か、猿らしき鳴き声も聞こえるジャングル行となる。

登山道は、よく整備されていて、常に先行する健脚のポーター達にトボトボついていく。

途中、2回ほど休憩をして、900メートルの高低差を5時間くらいで登るので、ほぼハイキングといった感じだ。

食事は、ポーターが作るが、現地食のオンパレードで、トマトやじゃがいもや肉(山羊?)切が入ったカランガというスープや、タンザニア人の主食の白いとうもろこし(メイズ)の粉を蒸したウガリ、小麦粉を水に溶かして、塩味を加えてナンのようにフライパンで焼いたチャパティ、卵焼きのようなマトケ、牛肉の串焼きのムシカキなど、そこそこな味の料理であった。

これに、ほぼ毎回、チャイという砂糖たっぷりのミルクティーが、デザートのバナナやパパイヤなどとともに出た。

登山2日目、この日は、標高3700メートル強のホロンボ•ハットを目指して、標高差1000メートルをジャングル地帯が終わって、灌木や草原地帯を通って、初日と同じくチンタラ、高地への順化を図りながら進む。

さすがに、富士山の山頂の標高に匹敵するホロンバ•ハットのあたりは、酸素の薄さが実感されて、頭痛が始まり、鎮痛剤が必要になった。

この辺になると植生は、かなりまばらになり、ジャイアント•セネシアなどの草木の高山植物と砂礫の地面となり、視界を遮るものがほとんどなく、遥か下方まで、山下のアフリカの大地が見渡せる。

眠りも、酸素が薄いせいか、かなり浅くなる。

翌朝、山小屋から東方に日の出が望めた。

外温は10度前後まで下がっていて、現地人のポーター達も、ジャンバーなどを着込んでいるが、足元は、いつものサンダル履きであった。

登山3日目は、最終キャンプ地のキボ•ハットを目指す。

標高4700メートル強のキボ•ハットは、登頂のベースキャンプであり、そこまでの高低差1000メートルを、これまでの倍くらいののろいスピードで、トボトボ登って行くが、これが、高山病の頭痛などもあって、かなりきつい。

ポーター達の足も、さすがに遅い、というか、高山順化のために、ノロノロ進むしかない。

キボ•ハットに着いた時、こちらは、意識朦朧となって、食欲は皆無で、ほぼ寝たきりの状態で、頭痛薬の連続服用で、なんとか持っていたが、頭痛はガンガン、呼吸も苦しく、かつて経験したことがない、全身の倦怠感で、山小屋の硬いベットで、ごろっと寝転がるしかなかった。

当然、食事は一切、喉を通らず、わずかに、熱いチャイをなんとか喉に流し込めるという低落であった。

山岳ガイドは、こちらの顔面が蒼白なのを観て、これ以上の登りは無理と判断し、真夜中出発の山頂登頂への参加は不可と告げ、こちらも同意した。

真夜中に、同行した二人の知人と山岳ガイドの3人組の登頂パーティーは、標高5682メートルのギリマンズ峰を目指して出発した。

こちらは、ほぼ眠れない、頭痛と吐き気のダブルパンチのうつらうつらの一晩を山小屋で過ごし、夜明けと共に、ポーターの肩を借りながら、トボトボと下山し始めた。

不思議なもので、キボ•ハットから200〜300メートル下った辺りから、頭痛が和らぎ始め、自力歩行が可能になり、ポーターの肩を借りずに歩けるようになった。

そして、自分の高山病の限界が標高4500メートル程だなと実感した。

午後遅めに、ホロンボ•ハットで待っていると、山頂登頂組の2人の同行者がガイドと共に帰って来た。

聞けば、ギリマンズ峰は、勿論、最高峰のウフル峰5896メートルまで征服したという。

こちらの体調は、まだ軽い頭痛は残っているものの、食欲も回復して、なんとか動き回れるまで、回復したが、頭の芯に、ぼやっともやがかかっているような感じで、高山病の後遺症か、気になった。

こうして、激動の登山4日目は、終わった。

そして、登山5日目は、一気に、マラング•ゲートまで下って、キリマンジャロ登山の全日程が終わった。