お久しぶりです。


相変わらず仕事に育児に家事に

バタバタした日々を送っておりました。



突然ですが、


先日義理の父が亡くなりました。



父の具合いが悪くなり

何度か病院から呼ばれるたびに


子供にも

心の準備をと思い


「じじはもうすぐ

 天国に行っちゃかもしれないよ」


と日々の中で教えていて、



亡くなった日も


「じじ、天国に行っちゃったよ」


と伝えました。



通夜を終え、


葬儀を終え、


火葬場に着き

ついに火葬炉へ棺を送るその瞬間


「ここ天国の入り口?」


と急にはっとした様子で言い出した我が子。



思わず笑ってしまいましたが


子供なりに色々日々聞いてきたことを

理解しようとしてくれてたのかな


と思い、じーんとしました。




とても優しい父でした。


義理とはいえ、大好きな父でした。


たくさん話をしたかというと

そんなに話はしていません。


でも、それでも大好きだったんです。



あと少しのところで、

看取れずに逝ってしまいました。



葬儀が終わった瞬間から

みるみる体調が悪くなり


それから数日体調を崩しています。



「気を使っただろうから疲れが出たんだね」



というような言葉をかけていただき

お気遣いいただくのは有り難い。



でも違う。


気疲れではなく、

ただ悲しい。


お父さんがこの世にもういない。

もう会えない。


それがわたしは

ほんとうに悲しくてさみしくて。


自分がこんなにも

ショックを受けている。


ってことに自分でもビックリしてる。


でも本当に悲しくて。



峠だよ、山だよ

という時に


もう行ける限り会いに行き

できる限り子供たちも連れて会いに行った。


悔いはないんだけれど


それでも日に日に悲しさが増す。


お父さんはもう

病院にいるわけじゃないんだ。

いないんだ。



わたしなんかよりも


夫や、残されたお母さんのほうが

もっともっと辛いはず。


でもなんだろう。

なんだか葬儀が終わってから


気が抜けてしまった自分がいる。



もっともっと会いに行きたかった。




こればっかりは

順番こだから仕方ない。



わかっていても


日々死を実感して

悲しくなる。


職場の人はきっと


義父でしょ?

って感じかもしれない



そうだけど違う。


わたしにとっては

大好きで大事なお父さんでした。




こういう気持ちの中


止まらない生活を送るっていうのは

結構大変なこと。



でもこれが生きているってことで、


生きてる人間の使命なのかもしれないな