こんにちは~、一級建築士で、心理カウンセラー、会社経営者、
マインドコンサルタントの松本青郎です。
人は影響せずにはいられない話の続きなのですが、
私たちは、常に周りにオーダーしてしまいます。
なんとなく、わかると思うのですが、
この人がいると雰囲気が明るくなる。とか
この人はいつも、危機一髪の時には誰かが助けに来てくれる。とか
この人は、何を頑張っても、周りに誤解されトラブルになる。とか
にじみ出す、「何か」で、現実を創り出してしまいます。
ついていない人は、ついていない現実を創り出し、
ラッキーなひとは、ラッキーな現実を創り出します。
例えばこうです。
旅行に行き、先々で、人に優しくされて、釣りをしている人たちを見ているだけで、会話が始まり、お魚をご馳走になり、人情と愛や「うれしい」という感情を味わう人もいます。
旅行に行き、自動車がパンクして、なれないタイヤ交換をしながら、不運と「イライラ」の感情を味わう事になる人もいます。
お釈迦様が言ったとおり、
すべての事に原因があって、縁があった時、結果が生じる。
なら、
「うれしい」の感情も「イライラ」の感情もそれを起こす原因が自分の中に有ったという事になりますよね。
前にも書きましたが、
人は生まれたとき真っ白なキャンバスで、その後圧倒的な情報を記憶していく存在です。
まさに人は、記憶情報で出来た一つの宇宙そのものといえるでしょう。
因は、やっぱり、自分の中にある記憶情報だと言えるでしょう。
おおざっぱに言えば
事業家の子供が、親から吸収した情報により、事業家になっていくとか。
泥棒の子供が、泥棒になっていくとか。
あるいは、犯罪者の息子が、反面教師で、人助けをする人になるとか。
親からは多くの記憶情報を吸収している例です。
細かく言うなら、
車を運転していて、無理な追い越しをされて、怒りや恐怖を感じたとき、
人それぞれに程度が違うはずです。
まったく同じように追い越されても、
心底、激しい怒りを感じる人もいれば、
どうでもいいかなと思いつつも、怒りを感じる人もいます。
つまりこれは、
その現実自体には、善し悪しの程度はなく、
その人の中に有る記憶情報が、激しい怒りやわずかな怒りを創り出すってことです。
どんな現実があっても、その現実自体には意味がなく。
それを体験する人の中にもともと有った記憶情報が
引っ張り出されてきているにすぎない
という事です。
もし、人の中に怒りや喜びの感情が全くなかったらどうでしょう?
事実、車で無理な追い越しをされても、何も感じない人もいますよね。
つまり、自分の中にないものは、
感じることも見ることも味わうことも出来ないって事ですね。
逆に、自分の中に有る記憶情報は、
日頃の自分の意識・行動・発言に大きく影響しており、
自分の中に有る喜びの感情は、喜びを感じる現実を創り出す言動を自分にさせ
自分の中に有る苦しみの感情は、苦しみを感じる現実を創り出す言動を自分にさせる
と言えます。
私たちの中に有るわずかな情報(蝶の羽ばたき)が、
この現実世界(台風)を創り出しているんですね。
ありがとうございます。
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