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国の借金、1087兆円に増加 3月末、国民1人当たり859万円 
2018/5/10 14:41

財務省は10日、国債や借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」の残高が3月末時点で1087兆8130億円になったと発表した。長期国債の残高増加が影響した。2017年12月末と比べ2兆593億円増え、過去最高を更新した。18年4月1日時点の総務省の人口推計(1億2653万人、概算値)で単純計算すると、国民1人当たり約859万円の借金を抱えていることになる。

 

https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL10HOP_Q8A510C1000000/

 

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前回、経済学は正しいのか?有益なのかという疑問を投げかけましたが、知ってる人はしってる、知らない人は知らない衝撃の事実をお話したいと思います。

 

経済学の教科書は8割方間違ってる

8割方というのは肌感覚ですが、ほとんど間違い。あるいは部分的には合っていても、使いものにならないものがほとんどです。

 

高校の時、政治経済の教科書がやたらと薄っぺらかったのを覚えてる人も多いでしょう。

人々の生活に多大な影響を及ぼし、社会科のなかでは重要度は最上位にランクされてもおかしくない科目なのに、なぜこんなに薄いんだろう?と思った人もいると思います。

 

実際、東大文二・京大経済・慶應経済・早稲田政経など、名だたる大学の経済学部でも、社会の受験科目は日本史・世界史などがメインであり、政治経済という受験科目はないのです。経済学部なのに笑

 

これはそもそも、政治経済という科目では内容が希薄すぎて、問題すら作ることが困難という背景があります。

高校までの学習と大学では、大きな違いがあります。

大学は研究機関であり、評価の定まっていないものを取り上げて研究していくという位置付けがありますが、高校までは理論が確立し、間違いはないだろうというものを学習していきます。

しかし経済学には、そのような確立した分野が殆どないのです。

 

はびこる教条主義

たとえば「金利を上げればインフレが抑制できる」

これすら、”状況次第”であって、絶対のメソッドではありません。

しかしそれを理解しない金融政策当局は、度々”教科書に従って”間違いを犯してきました。

 

オイルショックの際は中東戦争により原油の生産が追いつかないためにインフレになりましたが、これは投資が過熱しすぎたためのインフレではありません。

こういうときに金利を上げても無意味なのです。原因が違うのですから。

しかし金融政策当局はインフレ抑制のために金利を上げ続け、20%近い政策金利を適用しました。

そしてその結果、罪もない一般企業の資金繰りを圧迫し、アメリカでは”株式の死”と言われる時代を作ってしまいました。

 

同じ”インフレ”でも状況が違えば、対処方法は変わります。

車社会のアメリカでは生活のためガソリンが必要です、その人達はお金を借りてむやみにガソリンを買ってるわけではありません。

オイルショックのインフレが高金利で収まるはずがなかったのです。

このときはいくら金利を上げてもインフレは収まらず、中東戦争終結でイランが原油の生産を再開したことにより、オイルショックは収束しました。考えてみればとても当たり前のことです。

 

かつて中国では大躍進政策で農作物を食い荒らすスズメを駆除し、結果としてスズメの餌であったその他の害虫が増え、農業に壊滅的な被害を与え、餓死者が続出しました。

オイルショックで金利を上げたアメリカの政策は、中国のことを笑えませんね。

 

再現性がほとんど無く、前提条件や状況の理解を欠いたまま、ずさんな理論構築が横行している。

ブードゥー経済学なんてのもありましたが、まるで新興宗教のように因果律を無視した”教義”が幅を利かせている。

これが経済学の現状です。

 

ノーベル賞には経済学賞はない

これもよく知られた話ですが、ノーベル経済学賞はノーベル賞の一部ではありません。

ノーベル財団によるものではなく、スウェーデン国立銀行がノーベル財団に働きかけて、ノーベルの名前を借りて作ったものです。

 

この賞がノーベルの名前を冠していることには現在でも様々な批判があり、その中にはそもそも経済学そのものがなんの客観性もなく、現実世界とかけ離れた完全に無意味なものであるという、経済学の価値そのものに向けられた批判も少なくありません。

 

ノーベル経済学賞への批判

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6%E8%B3%9E#%E6%89%B9%E5%88%A4

 

ノーベル物理学賞を受賞したファインマン教授は「経済学を含む社会科学は『えせ科学(pseudo-science)』だと語っています。

科学が成功したので、えせ科学が現れました。社会科学は、科学ではない科学の一例です。科学の形式にならい、データを集めに集めるのですが、何の法則も発見できません

https://biz-journal.jp/2016/10/post_16809.html

物理学と経済学の両方を大学で学んだ人は、ファインマンさんと同じような感覚を持つと思います。

technoteもそうでした。

なんじゃこりゃ。経済学というのはこうだったらいいなという願望や妄想が書いてあるだけで、まったく検証もされてないものがあたかも確立した理論のように書いてある。

よくよく考えればありえないことばかり。理論構築自体がはじめからおかしいように思える。

そして後の経済運営の中で、その理論が片っ端から実証的に否定される。

大阪発東京行きの新幹線に乗ってたら、いつの間にか福岡に着いてしまった。こういう事がしょっちゅう起こる。

月にロケットを飛ばしたら50cm未満の誤差で到達できる物理学とは全く違う。

いったいなんなんだ?

学ぶほどにそんな思いが強くなります。

そして先のファインマンさんの言葉に出会い、ああ、みんなやっぱり自分と同じように感じてるんだと納得しました。

 

他の社会科学、例えば社会学などではもうちょっと統計に基づき、「こうだったらいいな」という願望やバイアスは排除し、フラットに考えようという学問らしい姿勢が見えますが、経済学はそのあたりが全くずさんでバイアスだらけ。

学問の体をなしていない状況だと思います。

教科書が8割方間違ってる。

こんな杜撰な学問は、ちょっと他に見当たりません。

 

こういう学問を学んでいると、いつの間にか教義が優先となり「現実とかけ離れててもいいや」と思い始めるのかもしれません。

「教義が正しいんだ!現実のほうが間違ってる!」こんなことを言い出します。

 

国債は国民の借金じゃない?

例として冒頭の記事を上げたのですが、毎年恒例の「国の借金」

この記事が出るたびに、以下のような反発がネット上で見られます。

「政府の借金であって国民の借金じゃない!」

「国民一人あたり○○の借金という表現は間違ってる!」

「マスコミの罠だ!」

「増税したい財務省の陰謀だ!」

 

なぜそんな変なこと言ってるんだろうと思っていたのですが、上記のような主張をしているのは、むしろ経済学や会計学を学んだ人のようです。

彼らの主張では、「政府や国民といった主体を混同することはない。あくまで国債は政府の借金であり、国民には一円も借金はない」そうです。

 

これもまた教義優先ですね。

なぜ国ごとの個別の実態を考えないのでしょう?

「でも日本の場合、政府は税収で運営されてるんだから、実態は国民の借金だよね?」と聞いてみても、「経済学では実態とか、そういう考え方はしないんだ」と言い張ります。

こうなってしまうともうダメですね笑

 

たしかにいろいろな国があります。中には政府自身がキャッシュフローを生み出す資産を持っていることも少なくありません。

原油の出る国は無税国家だってできるでしょうし、燐鉱石の出るナウルでは、資源が枯渇するまで国民は遊んで暮らしました。

 

しかし日本の場合、政府は税収で運営されていると言って間違いありません。数少ないキャッシュフローを生み出す国鉄・電電公社・郵政公社などもどんどん手放しています。

大塚家具で言えば資金繰りのために資産を投げ売りし、キャッシュフローを生み出す店舗を閉鎖し始めた状態で、これからますます資金繰りは厳しくなります。

 

もちろん将来、海底から豊富な資源が見つかり、それを日本政府保有の資源として売却していくことができれば、産油国と同じような国の経営ができるかもしれませんが、それはその時の話。

現状においては、日本の場合、ほぼ100%税金で政府が運営されてます。

国民一人あたり○○の借金という表現は、「日本の現状では」、全く正しいのです。

 

「国民に借金などない!」と言い張る人の心理は、将来の増税という隠れ借金から逃れたいという不安の裏返しなのかもしれません。

あるいは高橋洋一氏のように故意にミスリードする意図を持って発言している場合もあるでしょう。

日本は財政破綻しない論

https://ameblo.jp/technote2012/entry-12201473886.html

以前に書いた高橋洋一氏のこの内容ですが、国会の予算委員会などでも同様の説明をしているようです。

発言から見て意図的にミスリードしていると思えるのですが、このような人が国会で発言していることに驚きます。

 

カルロス・ゴーンは悪くない?

例をもう一つ。

これも会計学の専門家の方が書いていたコラムですが、元記事を探せませんでした。

カルロス・ゴーン氏についての記事です。

彼の主張は大まかにこのようなものでした。

カルロス・ゴーンはリーマンショックで損失を被った彼の個人資産を日産に付け替えたが、その後市況が回復したため再び自分の個人資産に戻した。

その間決算期をまたいでおらず、日産に損失は発生していない。つまりカルロス・ゴーンは犯罪など犯していない。

そうですね。犯罪として立件できるかどうかはテクニック上の問題があるかもしれません。

しかし「日産に損失が発生していない」という認識は正しいのでしょうか?

 

リスク商品は日々刻々価格が変動します。それをすべてリアルタイムで財務諸表に反映することなどできません。

リアルタイムで反映させることが正しいやり方であっても、現実にはできないので、ある日の断面で切って表現しているだけなのです。

決算期のその日に損失がなかったからと言って、期間中ずっと損失がなかったという意味ではありません。

これもルール優先で本質を見誤った判断だと思います。

 

現実には損失を抱えた資産を日産に付け替えた時点で「犯意は明らか」であり「カルロス・ゴーンは悪いやつ」であり「追放されるべき人物」なのです。

 

経済学や会計学を学んだ挙げ句に、それが原因で本質を見誤ったり、現実から逃避するツールのように使うのでは意味がありません。

経済学を学んだ皆さん。そもそもの理論構築もグダグダなのに、前提や個別の状況を考慮せず、金科玉条のように教義を振り回してしまうと、とんでもない結論を導き出してしまいます。

空虚な妄想にとらわれず、「普通に」考えましょう。

 

リフレ派の間違いはどこにあったのか?

日銀総裁の黒田さんも、リフレ政策で結果が出ないことはもう理解しているでしょう。

彼のような優秀な人が何故間違ってしまうのか?

 

彼は法学部出身であり、大蔵省に入省してからオックスフォード大学院で経済学を学んだようです。

彼がもし、時間のたっぷりある学部生の頃に経済学を学んだのであれば、いろいろと思索し、リフレ派にはならなかったかもしれません。

しかし大蔵省に入省してから留学したのでは、業務の一環として経済学を学びに行ったのであり、淡々と大学院修士課程をこなすだけに終わり、自らの興味から熱意を持って取り組んだのではないと思います。良い点数で単位を取得できればそれでいいのですから。

 

technoteも貨幣数量説を学んだとき、直感的に「これはおかしい」と感じましたが、黒田さんもおそらく同じように違和感は感じたと思います。

しかし、その違和感を深く追求することなく、おかしな理論を丸呑みして経済学修士を取得し、日常業務に戻っていったんじゃないかと思います。

 

彼もどこかで経済学の怪しさは聞いたことがあると思いますが、まさか8割方間違っている使いものにならないものだとは、さすがに予想していなかったのかもしれませんね。

 

経済学の議論が好きな人は、好き勝手に妄想していればいいと思います。しかし投資家としては今後どうなっていくのか?その現実の姿に興味があります。

リフレ政策の間違いはどこにあったのか?今後どうなっていくのか?次回以降見ていきたいと思います。

続きます。

 

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