〔夏休み#2#3:信州旅行その2〕
考えてみたら、「制御振り子式383系」の特急しなのに名古屋から長野まで乗るのはいつ以来だろうかとの考えがよぎる。確かに前に長野に行った時は「東京から長野新幹線を長野まで乗り通し」て、長野電鉄で湯田中に行って温泉に入った後、新幹線乗り継ぎ割引を使って長野から特急しなので名古屋に戻った。長野五輪の時は「自然振り子381系の臨時夜行列車」で白馬まで行き、白馬から松本迄は「特急スーパーあずさ」、松本から名古屋までは383系の臨時「特急しなの」で帰ってきた。野沢温泉の時には583系の「臨時寝台急行シャレー軽井沢」で三宮から長野まで行って、長野電鉄木島線経由で野沢温泉からJR戸狩駅(現:戸狩野沢温泉駅)へ出て、飯山線で長野に戻り午後の特急しなので名古屋に帰省した。
木曽路を行き来する旅の時は「青春18きっぷの利用」で特急とは無縁、甲府への旅も青春18きっぷの普通列車利用で「篠ノ井でしなの鉄道に乗り替えて」小諸から再度JR小海線に乗っている。
もしかすると名古屋から長野まで特急しなのに乗り通すのは「長野新幹線開業前に行った信越本線廃止区間の横川―軽井沢間の乗り納め」の時以来かもしれない。
でも、それならば長野電鉄の廃止区間、屋代―須坂間の屋代線に乗ったのはいつだったかしらん?。
松本電鉄の松本―新島々も乗ってるはずなんだけど、いつ乗ったんだったのかな?…。
はっと気付くと、既に特急しなの7号は中津川を過ぎて「木曽路」区間に入っていた。名古屋を発車した後、千種駅に停車した後に勝川駅を通過したのは覚えていたので、その後に過去の信州旅行の事を考えながら睡魔が迫って一時間近くウトウトしたらしい。
この日(8月31日)の特急しなの7号は8両編成で、先頭がグリーン車で後ろ2両が自由席車。
通常6両編成で運行される特急しなのも「夏休み仕様」での運行ではあるが、自分の乗る6両目指定席もさすがに31日では窓側の席がさらりと埋まる程度。二人連れで通路側に座る人も数える程度しかいない。
トイレに立った時にざっと見渡すと、「観光客」と「ビジネス客」とが半々程度かな…と。
自分の隣の通路側の席も空いたままで特急しなの7号は「制御振り子の機能をフルに発揮して」高速でカーブの多い木曽路を駆け抜けていく。
木曽福島の手前で木曽川と王滝側が合流していて、それより先の木曽川ははるかに小さな流れになっていく。木曽福島発車後はいよいよ分水嶺に。藪原駅を通過して鳥居峠のトンネルを抜けると、奈良井駅では川の流れが逆方向になっている。
日出塩駅を通過すると「木曽路は終わり」。
木曽路区間の中仙道には、日出塩駅から見て南の街道上に「是より南木曽路(これよりみなみ・きそじ)の道標」が置かれていて、対する観光地で有名な馬籠宿の先の街道上(旧の長野県と岐阜県の県境地点)にも「是より北木曽路(これよりきた・きそじ)の道標」が石碑として置かれていて、現代の我々もが「木曽路」の範囲を知ることができる。ただ、わざわざ読み仮名を書いたのは、中央本線上に「南木曽(なぎそ)」と読む駅があるため、日出塩駅の側の道標を「是より南木曽路(なぎそじ)」とわざわざルビを振っていたDQNな紀行作家が何人かいたからで(笑)。どんなに高学歴な紀行作家でも鉄道の趣味は地理と歴史を知らないとバカ丸出しになる好例だと思ったから。
この木曽路を南に抜けて馬籠の次の宿場が「落合宿」。何度も映画やドラマになった「十三人の刺客」は、異常性格で残忍な殿様を参勤交代の帰りにこの「落合宿で襲撃して暗殺するために策を練る」という設定になっていて、そのために「尾張藩直轄領・木曽谷」が重要な意味を持っている。
(映画は1963年と2010年だが、自分が視たのは1990年のテレビ用スペシャル時代劇で。)
そんな木曽路を抜けた先の塩尻盆地に入ると、既に黄金色に穂先が実りつつある田んぼが広がる中に、所々に田んぼ1枚に稲ではない別の作物が植えられていて「真っ白い花」が咲いている。写真でしか見たことの無かった「蕎麦の花」だと瞬間的に気付き、数ヵ月後の「新そばの季節にはまた新そばを食らうぞ」と心に誓ったもの。
他にも塩尻盆地はワインの産地だけあり、車窓のそこここにブドウ畑も広がっていて飽きない。そんな風景を眺めているうちに塩尻駅着。諏訪方面に向かう乗客が下車。ビジネスも観光も諏訪にはポイントがあるからな~。
塩尻から松本はほんの10分程度。ここで指定席のほとんどの乗客が下車して、6号車指定席に残るのは10人に満たない乗客。しかし松本から指定席に長野まで乗ってくる乗客も数人いて、「後ろの自由席はもっと混んどるんだろうな」と考える。
考えてみると変なのは「塩尻―松本―長野のJR東日本の篠ノ井線は長野県の主要都市を結ぶ重要路線」なのに、走っている特急はJR東海の「しなの」だけ。篠ノ井線が単線で増発が難しいとしても、行き違い可能な駅や信号所を整備して、諏訪地区から安曇野経由で長野とを結ぶ特急や快速を設定して長野県内の通勤通学の足を確保する必要があるんじゃないかと。
更にそのような長野県内の重要路線でありながら篠ノ井線は線路の規格が低いために松本以北(塩尻―松本間は線形が良く使う必要は無いので事実的にJR東日本区間)では「383系のウリである制御振り子が使えないのでスピードアップできない」という難点もあるし。
JR東日本は「対東京だけを考えていて」長野県内の移動を考えていないように思える。
等と車窓を観ながら考えていたら、しなの7号は冠着駅を通過。トンネルを抜けたら「日本三大車窓のひとつ」である「姨捨からの善光寺平(いわゆる長野盆地のこと)」の風景が右手に広がるので、がらがらの車内で右側の席に移動する。
トンネルを抜けたら列車は左カーブして絶景に。車内アナウンスも入るほどの好天で見事な眺めが窓越しに見える。何度見てもすばらしい景色で、「比較的身近に日本三大車窓のひとつ」があることに感謝しないといけない。

ただ、夏の終わりだけあり「木々が伸びて視界を遮る場所」も数多くあったりもするけど、凍える冬や雪が残る春とはまた違う善光寺平の眺めに見入ることに。
ここまで来れば長野はもうすぐで。
リンゴ畑に小さな実の付いた木々を眺めて、篠ノ井駅、そして終点の長野駅に到着。
定刻12:54に着いたので、2時間54分の特急しなのの
乗車を終えた。
長野は思ったより良い天気で暑い。さてまずは「駅内の長野市観光センター」に行って、アルピコ交通のパスのフリー切符を引き替えにいかないと。
(続く)
考えてみたら、「制御振り子式383系」の特急しなのに名古屋から長野まで乗るのはいつ以来だろうかとの考えがよぎる。確かに前に長野に行った時は「東京から長野新幹線を長野まで乗り通し」て、長野電鉄で湯田中に行って温泉に入った後、新幹線乗り継ぎ割引を使って長野から特急しなので名古屋に戻った。長野五輪の時は「自然振り子381系の臨時夜行列車」で白馬まで行き、白馬から松本迄は「特急スーパーあずさ」、松本から名古屋までは383系の臨時「特急しなの」で帰ってきた。野沢温泉の時には583系の「臨時寝台急行シャレー軽井沢」で三宮から長野まで行って、長野電鉄木島線経由で野沢温泉からJR戸狩駅(現:戸狩野沢温泉駅)へ出て、飯山線で長野に戻り午後の特急しなので名古屋に帰省した。
木曽路を行き来する旅の時は「青春18きっぷの利用」で特急とは無縁、甲府への旅も青春18きっぷの普通列車利用で「篠ノ井でしなの鉄道に乗り替えて」小諸から再度JR小海線に乗っている。
もしかすると名古屋から長野まで特急しなのに乗り通すのは「長野新幹線開業前に行った信越本線廃止区間の横川―軽井沢間の乗り納め」の時以来かもしれない。
でも、それならば長野電鉄の廃止区間、屋代―須坂間の屋代線に乗ったのはいつだったかしらん?。
松本電鉄の松本―新島々も乗ってるはずなんだけど、いつ乗ったんだったのかな?…。
はっと気付くと、既に特急しなの7号は中津川を過ぎて「木曽路」区間に入っていた。名古屋を発車した後、千種駅に停車した後に勝川駅を通過したのは覚えていたので、その後に過去の信州旅行の事を考えながら睡魔が迫って一時間近くウトウトしたらしい。
この日(8月31日)の特急しなの7号は8両編成で、先頭がグリーン車で後ろ2両が自由席車。
通常6両編成で運行される特急しなのも「夏休み仕様」での運行ではあるが、自分の乗る6両目指定席もさすがに31日では窓側の席がさらりと埋まる程度。二人連れで通路側に座る人も数える程度しかいない。
トイレに立った時にざっと見渡すと、「観光客」と「ビジネス客」とが半々程度かな…と。
自分の隣の通路側の席も空いたままで特急しなの7号は「制御振り子の機能をフルに発揮して」高速でカーブの多い木曽路を駆け抜けていく。
木曽福島の手前で木曽川と王滝側が合流していて、それより先の木曽川ははるかに小さな流れになっていく。木曽福島発車後はいよいよ分水嶺に。藪原駅を通過して鳥居峠のトンネルを抜けると、奈良井駅では川の流れが逆方向になっている。
日出塩駅を通過すると「木曽路は終わり」。
木曽路区間の中仙道には、日出塩駅から見て南の街道上に「是より南木曽路(これよりみなみ・きそじ)の道標」が置かれていて、対する観光地で有名な馬籠宿の先の街道上(旧の長野県と岐阜県の県境地点)にも「是より北木曽路(これよりきた・きそじ)の道標」が石碑として置かれていて、現代の我々もが「木曽路」の範囲を知ることができる。ただ、わざわざ読み仮名を書いたのは、中央本線上に「南木曽(なぎそ)」と読む駅があるため、日出塩駅の側の道標を「是より南木曽路(なぎそじ)」とわざわざルビを振っていたDQNな紀行作家が何人かいたからで(笑)。どんなに高学歴な紀行作家でも鉄道の趣味は地理と歴史を知らないとバカ丸出しになる好例だと思ったから。
この木曽路を南に抜けて馬籠の次の宿場が「落合宿」。何度も映画やドラマになった「十三人の刺客」は、異常性格で残忍な殿様を参勤交代の帰りにこの「落合宿で襲撃して暗殺するために策を練る」という設定になっていて、そのために「尾張藩直轄領・木曽谷」が重要な意味を持っている。
(映画は1963年と2010年だが、自分が視たのは1990年のテレビ用スペシャル時代劇で。)
そんな木曽路を抜けた先の塩尻盆地に入ると、既に黄金色に穂先が実りつつある田んぼが広がる中に、所々に田んぼ1枚に稲ではない別の作物が植えられていて「真っ白い花」が咲いている。写真でしか見たことの無かった「蕎麦の花」だと瞬間的に気付き、数ヵ月後の「新そばの季節にはまた新そばを食らうぞ」と心に誓ったもの。
他にも塩尻盆地はワインの産地だけあり、車窓のそこここにブドウ畑も広がっていて飽きない。そんな風景を眺めているうちに塩尻駅着。諏訪方面に向かう乗客が下車。ビジネスも観光も諏訪にはポイントがあるからな~。
塩尻から松本はほんの10分程度。ここで指定席のほとんどの乗客が下車して、6号車指定席に残るのは10人に満たない乗客。しかし松本から指定席に長野まで乗ってくる乗客も数人いて、「後ろの自由席はもっと混んどるんだろうな」と考える。
考えてみると変なのは「塩尻―松本―長野のJR東日本の篠ノ井線は長野県の主要都市を結ぶ重要路線」なのに、走っている特急はJR東海の「しなの」だけ。篠ノ井線が単線で増発が難しいとしても、行き違い可能な駅や信号所を整備して、諏訪地区から安曇野経由で長野とを結ぶ特急や快速を設定して長野県内の通勤通学の足を確保する必要があるんじゃないかと。
更にそのような長野県内の重要路線でありながら篠ノ井線は線路の規格が低いために松本以北(塩尻―松本間は線形が良く使う必要は無いので事実的にJR東日本区間)では「383系のウリである制御振り子が使えないのでスピードアップできない」という難点もあるし。
JR東日本は「対東京だけを考えていて」長野県内の移動を考えていないように思える。
等と車窓を観ながら考えていたら、しなの7号は冠着駅を通過。トンネルを抜けたら「日本三大車窓のひとつ」である「姨捨からの善光寺平(いわゆる長野盆地のこと)」の風景が右手に広がるので、がらがらの車内で右側の席に移動する。
トンネルを抜けたら列車は左カーブして絶景に。車内アナウンスも入るほどの好天で見事な眺めが窓越しに見える。何度見てもすばらしい景色で、「比較的身近に日本三大車窓のひとつ」があることに感謝しないといけない。

ただ、夏の終わりだけあり「木々が伸びて視界を遮る場所」も数多くあったりもするけど、凍える冬や雪が残る春とはまた違う善光寺平の眺めに見入ることに。
ここまで来れば長野はもうすぐで。
リンゴ畑に小さな実の付いた木々を眺めて、篠ノ井駅、そして終点の長野駅に到着。
定刻12:54に着いたので、2時間54分の特急しなのの
乗車を終えた。
長野は思ったより良い天気で暑い。さてまずは「駅内の長野市観光センター」に行って、アルピコ交通のパスのフリー切符を引き替えにいかないと。
(続く)