今日のタイトルは、元々西洋のことわざです。
時間は貴重なものであり、金銭と同じように大切で価値が
あるから浪費するものではないという戒め。
時間は無駄に費やすものではなく、有効に使うもの。 
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主に技術的特異点に向けて未来をテーマにしていますが
これが一番の大きなキモなのではないでしょうか。

農業革命、産業革命、IT革命と便利な世の中になる度に
1つの物事をする時間が格段に短くなりました。

家電製品でも洗濯板から今はスイッチポンで全自動洗濯機が
やってくれます。その間他の事もできてしまう。
また、わざわざ電話でお店の電話番号を聞いて地図本を
開かなくてもスマートフォンですぐにお店を調べられます。

料理も火起こしからしなくても、出汁を一からとらなくても
簡単に作る事ができますしね。
世の中が便利になり余暇時間が増えたことで主婦の方も
丸一日家事に追われずに趣味もできるようになりました。
それが最終的に消費が活発になって産業の発展となったのです。


私の場合やりたい事が多すぎるのか仕事も集中しているのか
便利で早く事が終わるはずなのに24時間をタイムスケジュール
を立てなければ平日は回らなくなっています(^^;

これからも、どんどん便利になっていくことでしょう。
今でさえ東京に日帰りで出張もできますし、web上で世界中の
人と会議ができる為、移動の時間も不要となってきています。

新幹線がリニアモーターカーになれば午前は東京で午後イチは
大阪で仕事ができるようになるかもしれません。
世界旅行だって1週間位でできてしまうかも。
今は時間をお金で買う時代です。欲張るならばいくらでも
時間短縮をする事ができます。

ただ時間だけはどう頑張っても24時間なのです。
増やす事はできません。

たまに、ふらっと自転車で出かけてみたり、ゆっくりお茶を飲む・・
こんななんでもない時間がとても大切に思えるようになりました。
時間をかけてカレーをスパイスから作るのも贅沢に思います^^


この先、最終的には余暇時間が多くできることになるでしょう。
その時に時間をいかに大切に使うか・・これが大きなテーマに
なっていくのではないかと思います^^
幼少の頃に育ててくれた祖母は10年ほど前から
ある病気で2度ほど手術をし全身麻酔をしました。
高齢者の全身麻酔は認知症を進行させてしまうそう。

80歳を過ぎてもじっとしているのが苦手で、早朝から
畑に出たり、お針子やかぎ針編みなどをしていたり・・
私が子供の頃はとにかく厳しい(厳格な)祖母でしたが
術後から段々と家仕事をすることもなくなり、食事も
火をあつかうのが危ない為訪問介護の方が来られたり・・

少しづつ年老いていくのを見るのが辛い状況でした。
それは今も進行しており入院の頻度も多くなってきて
寝ている時間が長くなるほど段々と記憶が薄れていくようです。

ただやはり私を育てたという記憶は祖母のなかでとても
強く残っているようで、身内の顔も段々と忘れていく中
私の顔は覚えているようで会いに行くと笑顔になってくれます。


入院をしているある日、叔父から電話がかかってきました。
夜中に私の名前を呼んでいるとのことで電話で話すこと
しかできませんでしたが今の祖母は私が来たばかりの
3~4歳頃同じ布団で寝かしつけていた頃にいるようで、
私が布団に居ない!と言うことで騒いでいたそうです。

また入院中に点滴を引き抜き夜中に居なくなり大騒ぎに
なったことも何度かありますが恐らく目が覚めて自宅では
ない為、家に帰ろうと思い抜け出したのだと思います。

通常で考えれば理解できない行動も全て理由があるという
事は分かってきました。


そして言葉が段々と出なくなってきていたり同じ話を
5分毎に繰り返していますがその内容は祖母が若い頃の記憶
でした。認知症が進むにつれ新しい記憶よりも古い記憶が
強くなっていっているようです。

それが新しいものを忘れているかどうかまでは解明されて
いません。そして辛い記憶ではなく強く印象に残った記憶
の話が多いのです。

祖母もまた日々記憶の旅をしながら今までの生き様を
租借して振り返っているのかもしれません。


とある方のブログで紹介されていた100歳を超える方の対談
のお話を読みながら祖母のことを考えていました。
認知症でなくても、まっすぐ向き合って生きていればやがて
記憶の旅をする。限りなく「無」になっていくそうです。

旅の終わりが近い頃には穏やかに、ただ毎日を過ごす。
欲も我も何もない澄み切った心になっていくのだと。
それは自然なことなのでしょうね。

祖母も少しづつ過去を遡っています。もしかすると子供の
頃までたどり着いているのかもしれません。
人は生まれてからもがいて葛藤しながら生きています。
そして自分に嘘をつかずまっすぐに生きていることで
やがて自然と今までの道を振り返るときがやってくる。

私の知る祖母は昔堅気の人で自分に対してとても厳しい
人でした。その祖母のお陰で私が生きていると思います。
でも苦労をかけてしまったから、記憶の旅を始めてしまった
のではないか・・そんな風にも思います。

祖母は今過去に戻り生まれる前まで戻ろうとしています。
記憶を忘れていくことは私にとっては悲しいことですが
辛い事も苦しみも忘れていくのならば、その人にとって
それはある意味幸せなことなのかもしれない。

生まれる瞬間もしかしたらお腹の中にまで遡りきった時
一つの生きた道が全て繋がって次の旅にでる準備が整う。
それがいつなのかは分かりませんが、その旅を最期まで
見守っていきたいと思います。
恐らく全員の人が何かを心に抱えながら生きている
と思います。人と比べれば大小あるかもしれませんが
それは自分の尺度で測るものであると言うことと
体験したことは自分にしか分からない・・

特に辛い経験を子供の頃にしていた場合は、そこから
逃れるすべがない為、我慢していた分だけその心の傷は
癒えるのに時間がかかります。

怪我や病気であればまだ発見も治るのも明確ですが
心の傷は負っていても気づかない場合が多いです。
深刻な状況になって初めて気づく。でもその頃には
もうかなり深くなっている状態。

通常であれば、負った傷を自覚し受けとめていれば
傷みを覚えた人は人に傷みを与えたくないはずです。
自分がされたことを他人にもしたいと思ったり
他人のせいにしてしまうなどの「逃げ」ている間は
その傷をまだ受け止めていない状態だと思うのです。

学生の頃、心理学科を専攻していた子と一緒に潜り込み
講義を聴きに行っていた事があります。
また、現在も長い付き合いの心療内科の先生も色々と
自分の体験を小出ししながら話してくれます。

その人たちは一様に自分も辛い経験をしたのでそれを
何か世の中に立つことに生かしたい。または誰かを助ける
事で、自分の存在意義を知りたいということを言われて
いたというのは不思議でもあり印象的でした。

確かに、その様な体験がなければその仕事をしようとは
思わないかもしれません。

私もそうなのかもしれません。傷は深くなるほど癒えるまで
時間がかかることも自覚しています。今は気づいて受け入れ
ながらこうして記事にする事で自分の心の整理にもなるし
同じ体験が誰かの役に立つかもしれない。そう思うのです。

自分が傷みを負ったから他人を痛めつけたい。
でもそれは決して最善な方法ではありません。心の傷を
負う人が増える。その人も同じことをするかもしれません。
また、それをしたからといって自分の心は晴れるでしょうか。

因果応報です。その負の連鎖は是非断ち切ってください。
そして決して利己という意味ではなく、自分自身を大切に
してみてください。そうすれば人の痛みも分かるはず^^
分かった時に自分の傷も少しづつ癒えていきます。
「修行」と聞くとなんだか特別なことのように思えます。
お坊さんなどの一部の人や、特殊な場所に行かなければ
できない・・こんなイメージでしょうか。

あえてその様な名前をつけなくても気持ち一つで日常は
全て修行になりますし、いくら立派な修行をしてもその
「気持ち」がなければ身につくことはありません。

様々な会社でも「研修」はあると思います。
専門的な勉強であったり、自己啓発であったり・・・
うちの会社でもそのような研修は節目ごとにあります。

一番修行に近い研修といえば、1週間研修施設に泊り込み
軍隊のような生活を送る・・というものがありました。
個室もベッドと机のみの独房のような雰囲気です。勿論
テレビもありません。(ベッドメイクも自分で^^)

昼間は学校と同じように勉強をしますが、食事や寝起きは
全員で限られた時間の中で号令をかけて行い、次の工程に
遅れたら連帯責任です。早朝はランニングや、登山の日も
ありますし、座禅もあり、掃除も勿論全員で行います。
とにかく5時に起きてから、22時の就寝まで。ぐったり・・
毎日レポートも書くので実際は日付が変わるまで眠れません。
なかなか社会人になると年齢もあり過酷でした(^^;

私は、結構楽しく?参加をさせてもらいました。
なかなか日常でその様な生活をすることはありませんし、
必死で生活を行う事で、日常の悩み事など忘れてしまいます。
気持ちの中がリセットされ、すっきりしました。

一人最年長の方がいましたが、皆の足を引張っていました。
明らかに参加したくないという態度で、同じグループの人と
授業も聞かず雑談ばかり、休憩もなくお酒も飲めないので常に
「帰りたい、ビール飲みたい」と愚痴っておられました(笑

最終日に習った全てのことをテスト形式で理解度を判定し
合格点になったら無事卒業となるのですが、予想通りその
グループ全員だけが不合格で帰る事ができませんでした。

その人も直接原因かもしれませんが、やはりグループ全員が
楽な方に流されてしまっていたのを横にいて感じました。
その中でも強い気持ちを持つことが大切なのでしょうね。

仕事も「お金をもらう為に働いている」という気持ちでは
損得勘定が出てどうやったら怠けられるかなどへ気持ちが
行ってしまいがちで、どうしても成長できません。
「お金をもらいながら勉強している」と思うようになれば
全てに対して新鮮に、真剣に取組む事ができます。

今の会社が嫌で、他の会社に行けばうまくいくという事も
ままある話ですが、結局は本人の心の持ち方次第です。
同じ気持ちのまま次に行っても同じ事態に陥ります。

仕事ぶりを見ていると、どんな簡単な仕事でも凄いなと
唸るような子は、やはりどこに行っても重宝がられます。
こんな雑用なんかと思っていたら大きな仕事はきません。
「今」がうまくできないのなら、状況を変えても同じです^^

とは言え、そういわれても納得できないと思いますから
一度変わって体感してみるのもよいかもしれませんね^^;

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ブログの日スタンプ



ですって!
毎日いろんな「○○の日」が実はあるんですよね^ ^
会社のデスクには日めくりカレンダーを置いていて
毎日その日が書いてあります^ ^